ろくでなしの蝮
 
我レ狂カ愚カ知ラズ 一路遂ニ奔騰スルノミ 砂原洪一


4ラウンドだけの闘士も四つの勝ち星をあげれば、6回戦ボーイになれる。
また二つ勝てばA級ライセンスを申請できる。そうすりゃ10回戦メインイベンターもありうるか。

一番の近道は新人王戦のトーナメントで5・6戦勝ちあがれば、東日本の決勝戦からはB級に昇格する。4回戦ボーイは誰しも新人王に憧れて、そして成りたがる。それにしてもカッコいいネーミングだよなぁ。新人王、シンジンオウ、ルーキーキング、王様だぜぃ!
「皆様、土下座をなされたいっ、王様のお出ましだぁぁぁ!」(福島泰樹さんのCD『帝都慕情』所収「走れ小僧」より)。
一度でいいから成ってみたかった王様に。


ボクサーくずれの砂原洪一自身が、ボクサー砂原洪一自身の天地創造から書き始めるにあたって保障される自由とは何だ。一体何なんだ。いっこうに軌跡あるいは戦績という代物に囚われたままだ。


私は恥知らずにも新人王に三回もエントリーしている。今の規定じゃ無理らしい。とうに肩たたきにあってリストラされてたかもしんない。
1・2・1。
これはワンツー・ワンのコンビネーションブローでも私の通信簿でもない(ボクシングの通信簿だったら5段階評価でスタミナ1、フットワークというか逃げ足2、ハート1といったところか)。1年目は一回戦で敗退、2年目は二回戦で敗退、意を決した3年目も初戦で敗退というテイタラクの意。
内容もほとんどない。
1年目は4ラウンドにスタミナ切れでほとんどイヤ倒れのようなKO負け。2年目は相手の硬質の拳にブルって逃げまわって逃げまくって当然のように判定負け。そして3年目は私自身の8戦目だったのだが、あんまり憶えていないぐらいにアッという間に倒された。2ラウンドKO負けだったか。

4年間、四回戦ボーイをやって4勝5敗。初の六回戦はダウンを奪ってもスタミナ切れの判定負けで10戦4勝6敗。勝率四割。競馬のジョッキーならノりにノれてるが、ボクサーじゃどうしようもなく、まったくイケてない。


時代は阪神大震災の直後。オヤジ(会長)の弟子の一期生が、神戸の家業が休業中なので先輩ボクサーの特別コーチとしてジムに泊り込んでいた。ジムワークでは先輩に付きっきりでもつれ合うように猛特訓していた。
土曜のジムワークが跳ねてストレッチをしていると
「明日、仕事は休みかい?二人だけでトレーニングしようか。これを読んでみて」
と一枚のびっしりと書き綴られた手紙を渡された。
手紙には自分の試合のビデオを観ての感想とその反省点、そして練習課題が箇条書きで一枚の紙を埋め尽くしていた。そのコーチはオヤジも一目置く理論家で、家業の合間を縫ってボクシング技術理論を研究して整理し自ら編纂した冊子を携えてやって来たのだった。
そのコーチとの出会いが私のスタミナに対する概念を変えた。
日曜日の昼下がり、誰もいないジムで濃密な三時間あまりのマンツーマンは目からウロコの衝撃だった。まずは呼吸法からフットワーク、パンチを当てる技術まで。
パンチを打つときに息を吐き、防御するときは吸う。呼吸を整えるためのフットワーク、クリンチのときに息を吸い込むタイミングなどなど………。
センスがよくて勝ち続ける奴はキャリアの中で自然と会得していくのだろうが、私は今まで繰り返し、繰り返し見つけ出そうとして失敗を重ねて見付けられなかった。
なおかつ糸口さえも体系化できなかった。
その鍵がやっと見つかった思いだった。
同僚にも呼吸困難になるなんてあまり聞かない話しだったし、問題はスタミナの使い方だったのだ。
特訓のあとにジムの近所の焼肉屋でご馳走になったキリキリと凍ったジョッキに満たされた生ビールはのど越しがたまらなく心地よかった。


マムシを喰らい、どす黒い醜悪な血が逆流しだすのは、このあとすぐのB級トーナメントからだ。狂熱のサディスティックな血がゆらぎだす。呼吸法を伝授してくれたコーチが一度だけ付いてくれた初戦はスタミナの心配もなく5ラウンドにブジュブジュに相手の顔を切り刻み血達磨にしてTKOで勝つ。が、しかし、二回戦は1ラウンドに相手の眼ん玉が往っちまう顔や喚声までが今でも正確に思い出されるほどに私の心をとらえている右ストレートで倒したのに、またお調子者が頭をもたげ相手の勝負根性に追い上げられスタミナ切れして引き分けで敗者扱い。


三ヵ月後には地方での六回戦だった。この試合を微妙な判定で拾うが、試合後に網膜に映る世界が回りだす。ネオン街では真っ直ぐにすら歩けない。一晩眠れば、治るんだろうと安易に考え、友人と一緒に早目にサウナで一眠りした。が、しかしだ。翌日、地方の草競馬に寄ったのだが、1レースで三十頭ぐらいのサラブレットがゲートを出て一気に走りだしやがる。
なんじゃ、こりゃっ!
まるでインディアンの襲撃じゃねぇか。
いったいオレの眼ん玉よ、どうなっちまったんだ。
このままじゃ終われねぇんだよ。黄昏っちまうわけにはいかねぇんだよ。
アパートに戻ってから「弱気は最大の敵」の張り紙をずらして
「我レ狂カ愚カ知ラズ 一路遂ニ奔騰スルノミ」と筆ペンで大書きして部屋に貼った。


数日前に観たビデオ「226」から練習日記に殴り書きしていたものだ。
私が生まれる35年前のその日に決起した陸軍1200人の顛末。俗に言う2.26事件。
叛乱軍の旗色が悪くなり弱気になりだしたショーケン演じる青年将校の野中四郎大尉に、はじめは渋っていたが野中に熱心に誘われて決起した三浦友和演じる安藤輝三大尉が烈火の如く怒り吼える。
「野中さん、これはあんたが書いた字だ。『我レ狂カ愚カ知ラズ 一路遂ニ奔騰スルノミ』俺はこの言葉で動いた。この言葉で起ったんだ。狂でも愚でもいい。それがなぜそんなに早く冷めてしまうんだ。俺は狂い続けるぞ。そうだろう、野中さん!」
試合に出発する前夜、この言葉に意味もなく私は痺れていた。

このままでは終われないんだ。黄昏てしまうわけにはいかないんだ。
たとえ、網膜に映る世の中がありのままの現実と数センチずれていても………。
(以下次号)



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