NY、勝手に殴れ!
   [ スラム街のジム フィリピン・ボクシング体験記 vol.1 ]
Text Photo By 杉浦 大介




 2001年7月。その頃の僕は、自らの代表作に出来るネタを探してアジア、アメリカを放浪中だった。NYを拠点に、全米、日本、韓国、中国と渡り歩いた末に、フィリピンに辿り着いたのだ。

 「貧困と混沌、退廃と危険」。それがフィリピンに対する日本人の固定観念的なイメージである。確かに他のアジア諸国と比べて、実際に、フィリピン、マニラの貧しさは群を抜いていた。

 野良猫や野良犬は気味の悪いほど痩せこけていて、見ていて切なくなる。道を行く人々も、異常に痩せているか、或いは奇妙に太っているかに極端に分かれる。マーケットに並べられている食料には大量のハエがたかり、顔を背けたくなるような異臭を発している。

 僕は初日だけ、旅行者が多く集まるエルミタ・マラテという地区に泊まったのだが、夜になるとそこは売春婦とポン引きで溢れ返っていた。

 僕もまるでバッグパッカーのような、お世辞にも小奇麗とはいえないような格好をしていた。だがそれでも、街の人々の目に僕は「豊かな国から来た金持ち旅行者」と写っていたのだろう。実際にフィリピン人たちの金銭感覚では、僕なども金持ちの部類に入ったのだろう。

 多くの売春婦に幾度も誘惑されながら、混沌とした街並みに圧倒されながら、初日の僕はマニラを独り彷徨い歩いた。その後、スラム街のジムの有り様に度肝を抜かれる事も、そしてランディ・マングバットとの印象的な出逢いを経験する事も、まだ想像も出来ないまま。


 2日目以降、僕はマニラでボクシングジムの会長兼マネージャーを務める知人の好意により、彼のジムの2階にある合宿所に寝泊りすることになった。単なる取材だけではなく、せっかくの機会なのだからトレーニングにも参加させて貰うことにしたのだ。

 その日からフィリピンボクサーたちと同じスケジュールでの生活が始まった。

 朝は6時に起床して、約1時間ほどのロードワーク。7時に朝食、10時に昼食をとり、午後1時からジムでのトレーニング。夕食は7時からで、夜10時には消灯。大体これが基本的な一日の流れだ。

 ジムメイトたちは世界ランカーやフィリピンランカー、あるいはアジア・チャンピオンといった強豪ばかり。貧困の中からチャンピオンを目指す彼らとの共同生活は、チープな表現だが、絶対に金では買えないような貴重な体験だった。選手たちの貧乏ぶりは想像を絶する程で、合宿所のオンボロさには言葉を失った。

 ボクシングジムだというのにシャワーすらない。もちろんお湯も出ない。練習後は水をバケツに汲んで頭からかぶり、汗を流す。トイレも水洗ではなく、これもバケツの水で汚物を無理矢理に処理する。紙も無く、大便の後はお尻を水と手で洗い流す。

 食事代はマネージャーが支給するのだけれど、やはり超質素。ライスはパラパラ、オカズもパサパサの野菜や魚のごった煮である。そんな食事を、選手たちは文字通りむさぼるように食べる。フォークやスプーンを使わず、手づかみで食べている者も中にはいた。

 そして夜になると、大量の、大げさでなく数えきれない程のゴキブリがジムには出現する。合宿所、といってもベッドなどなく、剥き出しの床に酷い臭いの毛布を1枚敷いて眠るのだが、実際にゴキブリと一緒に寝るような感じだった。

 1度夜中にハッと目を覚ましたら、周囲に5匹くらいのゴキブリがウロウロしてヒゲをピクつかせていて、ゾッとした事もあった。旅を繰り返していた当時の僕は、どんな環境にもすぐに適応できる方だと自負していた。しかし、こんな世界にはなかなか慣れられるものではない。

 たった2週間ほどの滞在だったが、2度ほどゴキブリが身体の上を這い回っているのを感じて飛び起きた事もあった。その時はさすがにショックで、暫く眠れずにうなされ続けることになった。

 しかし選手たちは逞しいというか慣れたもので、ピッと指で弾き飛ばしたり、脚で蹴飛ばしたりして、簡単にゴキブリを殺してしまう。中には手掴みで捕まえて外に放り投げていた奴(名はロベルト・モレノ、来日試合経験あり)もいて、度肝を抜かされたものだ。ゴキブリに対する感覚が僕たちとは違うのだろう。蚊みたいなものか?あるいはそれ以下かもしれない。僕が騒ぐと前述したように殺してくれるが、普段は気にもとめない。共存共栄をはかっている感じである。

 小さな猫くらいの大きさの巨大なネズミを目撃したこともあり、瞬間、荷物をまとめて日本に帰りたくなった。犬や猫は可哀そうなくらい痩せているのに、なんでネズミはあんなにデカイのだろうか?(ゴキブリも日本のよりひとまわりデカい)。謎である。

 と、まあこんな状況だったのだが、どんな場所か想像つくだろうか?

 日本人の感覚で言ったら、人間が住む場所ではない、といった環境だったのだろうと思う。実際にたまに日本からボクサーが修行にやって来るのだけれど、大抵我慢できなくてすぐに出て行ってしまうのだそうだ。

 「おまえは日本人のクセによくこんなところに住めるな」

 1週間が過ぎた頃には、ジム・メイトたちから変な感心をされてしまった。


 練習時間以外は自由だったのだが、そんな場所だったのでもちろん特別やることもない。テレビもないし、小さなラジカセが1台あるだけ。ヒマな時間には皆で歌をうたったり、カードゲームをしたり、ダンスを踊ったり。

 アシスタント・トレーナーのアラン・アレグリア(元比国チャンピオン。当時37歳。10年間王座を守り20度近く防衛した強者)は、朝から晩まで暇さえあればデカい声で歌ってばかりいる。最初の内、いちいち拍手をしてあげていたら、調子に乗って止まらなくなってしまって大変困ったが。

 インティン・イグナシオ(当時フィリピン・ランカー。タイトル挑戦の予定があると言っていたが?試合前にビビッてウンコをもらした過去あり)はボロボロのギターを器用に弾く。彼のギターに合わせて「ホテル・カリフォルニア」「オネスティ」「ワンダフル・トゥナイト」などを僕も歌った。上質なポップ・ソングは国境を超えるのだ。

 ちょっと頭のイカれたドンドン・ラプス(クレイジーなのに彼女は綺麗でまとも。美女と野獣?)にはフィリピン・ミンダナオ島のダンスを教わった。ステップが妙でちっとも上手く踊れなかったが。その独特のリズムを会得する事は日本人には難しい。

 練習して、メシを食って、洗濯して、寝て、歌って、話す・・・・・・。そんな原始人みたいな生活が、しかしとても楽しかった。なぜ僕がゴキブリ屋敷を逃げ出さなかったかといえば、それは明るくて屈託がなく、純粋でハングリーなフィリピーノたちとの生活が楽しかったからだろう。

 現在はマニラで暮らしているが、みんな田舎の島々の出身。汚れがないというか、本当にピュアな子たちばかりだった。大半が歳下の選手たちだったのだが、彼らに教わることも決して少なくはなかった。

 みんな僅かなばかりのファイトマネーもすべて故郷の家族に仕送りしているので、本当に全くお金は持っていない。だが、悲壮感はない。毎日を楽しんでいる。金がなくて、ゴキブリを恐れないというだけで、素顔は僕たちとまったく変わらない若者たちである。
 ほのかな恋もする。よく合宿所の窓から近所の女の子に手を振ったり、向かいの家の着替えを覗いたりもしていた。1度ジョジョ・パテーニョという名の18歳の新人ボクサーに、ラヴレターの代筆を頼まれたこともあった。どうしても英語で手紙が書きたいと言うのだ。

 [ Dear EMA I love you. I need you. You are always in my mind.
   JOJO ]

 そんな簡単な文を創ってあげたら、大喜びでそのまま書き写していた。しかし、あんなので大丈夫だったのだろうか?上手くいっていると良いのだが。

 僕は何処に行っても、普段殆ど写真を撮らない。その場所を去った時、写真の中の風景しか覚えていない、なんて事になるのが嫌だからだ。だが今回は近くの写真屋にフィルムを買いに行って、そして仲間たちの写真を沢山撮った。最後の日に焼き増しをしてあげたら、みんな大喜びだった。

 「サンキュー、ダイスケ、サンキュー・ベリマッチ!」

 サンキューはこっちのセリフだと思った。本当に。

 マニラのボクサーたちとの日々は、そんなこんなで最高に素敵だった。

           
         (vol.2ランディ・マングバット篇に続く)


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