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約束の6ラウンズを終えると、保住はもう立っていられなかった。その場にへたり込むとキャンバスにヒザを着いたまま、ひれ伏すような体勢でグローブを外してもらった。一方の鈴木も肩で大きく息。どうにか立ってはいるが、おそらくそれは背を預けているロープのおかげだった――。
4月のとある土曜日。東京目白のヨネクラジムにて、保住直孝(ヨネクラ)と鈴木悟(八王子中屋)のスパーリングが人知れず行われた。
国内の最重量級シーンを長らくリードしてきた保住と鈴木の、浅からぬ因縁や水と油のキャラクターは業界に広く知れ渡っている。
保住は鈴木に対して、あまりある「借り」があった。4年前の夏、日本タイトルを奪われた挙句にアゴを折られていて病院送りに。そして昨年の春、「秒殺する」と豪語していたリターンマッチの1週間ほど前になってアキレス腱を痛め、戦いをキャンセルしたのだ。
もっとも、練習中のケガに罪はなく、いつどのボクサーにも起こりうる事故である。それでも保住は、予定された当日のリング上から「誠に申し訳ありません」と公に謝罪。そしてその黄金カードは、「中止」ではなく「延期」と発表された。
しかし、世界への飛翔と位置づけていた節目の日本タイトルV10戦で、肩透かしを食らった鈴木と陣営には、もはや再戦の意思はなかった。土壇場でのカード変更に伴う有形無形の痛手に加え、真偽はともあれ保住の負傷理由に関する忌まわしい噂が流れたことが落胆の心を逆なでし、態度を硬化させたのだった。
ところが、その後1年あまりで二人の内外の様相は激変した。
新庄剛志(日本ハム)の高校の1年後輩にあたる野球の元アマエリート、荒木慶大(泉北)が大阪から台頭。長らく続いた保住と鈴木のミドル級二強時代に、大きな風穴を開けたのである。
鈴木は昨夏、保住との再戦を待たずに迎えたV10戦でこの荒木に敗れ、世界ランクからも転落。巻き返しをきして、秋には豪州の世界ランカーが保持する東洋太平洋タイトルに挑んだものの、これも失敗に終わった。その結果はもとより、栄華を誇ってきた鈴木の見るに堪えないパフォーマンスは、ボクサー生命の終焉までも予感させるものだった。
一方、保住が所属する名門ジムは、看板エースを欠いても話題に事欠かなかった。保住と同年齢で一階級下の金山俊治(現クレイジー・キム)が、ニ冠王となってアジア最強を証明。また一階級上の西澤ヨシノリが、世界王者に挑んでダウンを奪う予想外の健闘を見せた。
負傷が癒えたエースのほうは、名のない外国人選手を相手にKOを重ね、日本1位まで再浮上。そしてついにこの5月、新参の日本チャンプに挑戦する機会、その存在感をあらためて知らしめる舞台が巡ってきたのだった。
「だれか、まともにスパーやれるヤツいないの?」
久々のタイトルマッチまで1ヵ月を切ったころ、保住がジムのマネージャーにこぼした愚痴が、すべての始まりだった。
効率や要領を重んじる保住は、「倒すなよ」と耳打ちされて行うスパーリングに辟易し、もはや何の価値も見出せずにいた。またマネージャーも、そのことを人伝で耳にするたびにストレスをためていた。
しかし、体重約70キロに身長180センチ前後のミドル級サイズは、世界のスタンダードでも日本にあっては希少である。しかも、世界最高峰の舞台を経験している保住の相手ができるレベルとなれば、あては一人しかいなかった。
ヨネクラジムの林隆治マネージャーは、保住の了解をえると、その無二の先方へと迷わず連絡を入れた。
「……うちの保住と鈴木選手で5ラウンドくらい、スパーできませんでしょうか」
八王子中屋ジムの中屋廣隆会長は、その電話の主の勇気と実直さにえらく心を打たれた。
「よく声をかけてきてくれたなと思いましたね。うれしかったし、それに応えたいというのが、なにより先にたちました」
そして例のドタキャンの一件から渋っていた鈴木を納得させた上で、1週間後に選手たちをつれて出向くことを林マネージャーに約束した。
鈴木もまた1ヵ月先に、新鋭との10回戦を予定していた。保住にとってのベストパートナーが鈴木であるように、鈴木にとっても保住とのスパーリング以上に有意義な実戦練習はないはずだった。
また中屋会長には、鈴木は過去のボクサーではないとの自負と確固たる信念があり、それを保住とのスパーリングで試してみたいとも思っていた。
「打たれすぎて反射神経が鈍ってきたような選手を、ボクはリングに上げたりしない。鈴木はそういう状態じゃないし、この1年半は新しいスタイルに取り組んできてたんですよ。ボクシングに不滅のスタイルというのはないですからね、少しずつでもスタイルを変えていかないと日本レベルより上にはいけないということで。そもそも、荒木戦の採点(1−2)には納得してないし、鈴木を最後まで自重させたボクがいけなかったんですけど、スタイルの過渡期に結果が出ないということはよくあるんじゃないですか」
パワーとストレートへの傾倒を弱めつつ、本来のスピードと右ストレートに続く左も有効に使えるボクサーへ。その理論とマイナー・チェンジが誤りではないことを、鈴木と中屋会長は1ヵ月後の試合より前に確認することになる。
「こんにちは。よろしくお願いします」
約束の当日。ウォーム・アップを終え、先に相手に声をかけたのは鈴木だった。いつもの太い声に、いかにも善良そうで甘いスマイル。そのすらりとした183センチの長躯は、シンプルな黒いジャージをもハイカラに見せてしまうのだった。
「……」
赤い減量着の保住がなんと返事したかは不明だが、蛮カラを象徴するような丸刈り頭をちょんと下げ、挨拶に短く応じた。体に似合わず、小さなストライドでパタパタとジム内を行き来するその姿は、連日のトレーニングとウェート調整の過酷さを暗に物語っていた。
「保住はちょうど疲れてる時期だと思うんですよ。ちょっと心配ですね」
林マネージャーが部外者の一人にした内緒話が謙遜でないことは、ほどなく明らかとなった。
初回半ばに始まった打ち合いは、時間の経過とともにエスカレートしていく。
そして2ラウンド目の開始からまもなく。それまでハイガードの代償にボディをさんざん叩かれてきた保住のアゴを、鈴木のフィニッシュ・ブローである右ストレートがまともにとらえた。これで片ヒザを着きかけた保住は、踏ん張りきれずに後方へよろめいていってキャンバスに転がった。鈴木は驚いたように手を止め、周囲の対応を待っている。
だが、さらなる驚きは、そこにいた両陣営のだれもが口をつぐんで動かず、それがまた当然であるかのように保住が自力で立ち上がり、すぐさま打ち合いを再開したことだった。さすがにしばらくはサンドバッグ状態となって背を丸めたものの、やがて猛反撃に移ってダウンを帳消しにしていくのである。
鈴木もまた連敗中の拙さを払拭。パンチが的確で、空振りしてもバランスを失ったりしない。近距離でも左を多彩な角度からぶつけ、互角に渡り合っていた。しかし、3ラウンドあたりから目に見えて強まった保住のプレッシャーにより、ズルズルと後退。そして右クロス、左フック、右アッパーと強打を浴びるシーンもあり、頭を下げたところに体ごと圧し掛かかられて何度かキャンバスに寝かされた。
最終6ラウンドのラスト30秒間、すさまじい左右の連打で保住の猛追はピークに。鈴木もこれに負けじと右ストレートを打ち込んで、タイムアップを迎えた。
「もう、なんのわだかまりもなくなったね」
帰りの道すがら、ふと漏らした中屋会長の言葉に、鈴木もまた一点の曇りもない晴れやかな表情で頷いた。
後日、八王子中屋ジムのホームページに、鈴木と保住がスパーリングをしたという一文と二人のツーショット写真が載った。が、その詳細については、どのメディアへも渡らずに報じられることもなかった。
保住陣営が口止めしたのではない。第一、保住がスパーリングで倒れたのは初めてではなく、鈴木もまた有頂天になるつもりはさらさらなかった。中屋会長はそれでもあえて、引きつれた全選手にかん口令をしいたのである。
それこそは、盤屈が解けて生まれた友好の証だった。
保住は5月1日、日本王座への返り咲きに失敗。
その4日後の子供の日、新鋭を3回でストップして14ヶ月ぶりの白星をあげた鈴木は、ほぼナチュラル・ウェートのスーパー・ウェルター級への転向をリング上から発表した。実はそのための下準備とテストは、あの保住とのスパーリング以前に済んでいたのだった。
「ミドル級でやり残したことはないのか?」
控え室に戻ってきた鈴木は、その問いにこう答えている。
「保住さんが負けて、ちょっと悔しいっすね。(後楽園)ホールだったら、荒木とやりたいけど関西(敵地)まで行ってはやりたくないんで……」
それはつまり、保住が日本チャンプに復帰していたとしたら、ミドル級にとどまって挑戦する意思も少なからず有していたということだった。むろん、鈴木をその気にさせたのは、あの壮絶な6ラウンズの手打ちであったことは言うまでもない。
保住は早くも6月29日、韓国ミドル級2位を相手に再起戦を行う。
「延期」された黄金カード、保住と鈴木のリマッチは闇に葬り去られたままという事実は、1年前となんら変わらない。しかし、わずか2週間たらずにせよ、にわかに実現の可能性を帯びた時期があったことを両雄の拳は知っている。
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