ニュージャージーにガッティを見に行くの巻 6
なぜ早く完結させないのですか。とっとと書いてください。と編集長から責められ続けて、はや数ヶ月。その間ほかのボクサーのことを書いてみたり、アートを描いてみたり、お休みしたりしてうやむやにしてきたのであるが言い訳のネタも切れ、いよいよ観念して今、私はパソコンの前に座り、「NY日誌番外編」と打ってみたところである。
実は、前回の(といっても何ヶ月か前の)「ホットドッグが買えなくて気が触れた白人男性」の回で終わったことにしてしまおう、という目論みもほんの少しあった。
どう考えてもあれが「ニュージャージーにガッティを見に行く」の最終回にふさわしいわけはない。それまで何回分書いたか失念したが、肝心の生ガッティを見た描写を、いまだ何一つ、書いていないのである。
ではなぜ。
告白すると、記憶があまりないからです。
!!!
わお。
いや、正確にいうと、時間が立ちすぎたから記憶が薄れたわけではなく、試合会場に入ってビールを一口飲んだあたりから、もう怪しかったのである。空きっ腹にビール。睡眠不足にビール。興奮にビール。とても効くのである。
あの日、私は意地でもノートをとらないと決めていた。いちファンとして純粋にあの現場を、試合を愉しもうと思っていたからだ。普段からメモをとるといっても大したことは書いてない。生涯、戦評を書けない自信のある私であるから、試合の展開とかそんなことは書いてなく、「トランクスがくしゃくしゃ、なんで?」とか、ほとんど試合とは直接関係のないことしか残っていない。それでもノートの存在は、ガッティへの集中力を多少だとしても欠けさせる。そんなわけでビールの片手に、各座席についている紙コップ置きを眺めては、これ便利だなぁ、後楽園ホールの椅子にもついてたらいいのにな、とか、さっきの偽バター・ビーンは椅子にお尻が入りきるのだろうか。入らない人は2席分チケットを買うのだろうか。アメリカにはおデブさん用ビッグシートがあるのだろうか。ご存じの方がいたらぜひ教えて欲しいのであるが、まあ実にくだらないことしか考えないでいた。
第一試合は7時で、メインが始まったのはたしか10時をまわっていた。リングアナウンサーのマイケル・バッファーがリングに上がると、会場には待たされた者たちのうおおお、という歓声と拍手が一気にわき起こった。まだ主役がでてきてないのにこの有様。場内の温度が1度は上がったと思われる。
(余談だがバッファー氏といえば、N.Y.のケネディ空港につきタクシーに乗ったら、ドアを閉めたとたん、あの氏の猫が唸るときのような物言いで
「うううううう、シートベルトを締めましょぉぉぉっ!」
とアナウンスが流れた。こんな副業をやっておるのかと驚いたが、彼の人気の程が伺えた一件であった)
そして、ガッティの名がコールされたとたん、観客はほぼ総立ちになった。いうまでもなく私も立った。本当なら椅子の上に立ちたい気分だったが、さすがに大人としての分別がある。で、もうみなさん、「ガッティ」合唱である。待ち望んだ瞬間。私も叫ぶのだ。腹の底から。ええ、叫んでやりますとも。喉を潰す覚悟である。まず第一声をあげた。
「ガッティぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!」
……。
がしかし。何かがおかしい。周囲と何かが違うのである。合わないのである。完全なる違和感。
なんなんだ。しばし考え込んだ。
……ハッ。
私は自分の前に、残酷な現実が立ちはだかっていることに気が付いた。
言葉の壁、っつーやつである。
なんと、ガッティはガッティでなかった。イントネーションが違ったのである。アルツロは「あーるつぅろぉ」で「つぅ」を一番強く発音し、ガッティは小さい「ッ」はほとんど発音せず「ガティ」だったのである。
衝撃であった。ガティ……。
えーーーーーーーーっ、ガティなんてガッティじゃないじゃん!
誰なんだ、最初にgattiをガッティって表記したのは。
周囲は思う存分ガッティの声を叫んでいる。「ガティ」より「アーロツロォォォォ」が多い。「アーロツロー」はこれまた発音が難しいのである。私には無理ね。悔しい。羨ましい。無念だ。やり場のない怒りを覚えたがそんなことで挫けている場合ではないと思い直した。目の前に(といっても小さかったが)生ガッティがいるのである。
6年前、WOWOWでアイバン・ロビンソンとの激闘を見て以来(途中から正座して見ました)、彼は私のアイドルであった。こんなことをいうとミーハーと思われるが、(ガッティに関してはミーハーファンであるが)実は顔も好みである。チャーミングじゃないですか。イケメンといってもいい。でもこれには私のまわりの人は誰も同意してくれない。懇意にしているある女性編集者に写真を見せたら、「……加茂さんはファニー系がお好みなんですね」ととても気を遣いつつ、やはり同意してくれなかった。なぜ?
さて、試合である。ここからいよいよ記憶はないに等しいという状態になった。興奮と酔いで頭まっ白だったのだ。覚えていることといえば、あれー、ガッティがアウトボクシングしてるとか、ディフェンスワークを多用し顔面ブロックという無茶な真似を最小限に押さえている驚きだとか、でもやっぱり興奮して空いたところに右ストレートを食らってふらつき、あーやっぱガッティだ、と不安になりつつ同時になんだか嬉しくなったりしたことぐらいである。試合中は私も忙しかったのだ。というのもガッティがウォードにダメージを与えても与えられても観客がそのたび立ち上がるので私もそうせざるを得ない。おおっ、いけいけっと立ち上がり、ぎゃーと叫んで頭を抱え、ふーっと溜息をつきながら着席し、その繰り返し。観客ばかりではない。私のすぐうしろにモニターだかなんだのブースがあり、関係者のパスをつけた背広姿の男性がいた。日本ボクシングコミッションの安河内氏に似た(容姿をご存じない方は、林マネージャーのページのお写真をご覧ください)、その人は試合が始まるまで、いかにも生真面目といった風貌そのままに難しい顔をしてあれこれスタッフに指示を与えていたのだが、気づくと、
「アールツロー、そう右だよ右、そこ、おおっ、ガード忘れるな、うぎゃあああ」
と完全に取り乱していた。
みんなガッティのとりこである。
結果はガッティの判定勝ちであった。
リングには次々と知り合い友人たちがあがり、祝福し、記念写真をとり始め、最後には、リング近辺担当の警備員も全員リングに上がって記念撮影していた。アットホームな雰囲気である。ああ、ガッティにはやはりヒーロー、とかスター、ではなく、「人気者」という称号がふさわしい。
もみくちゃにされながらようやくリングを降りると、そこには婚約者のヴィヴィアンちゃんが待っていて、熱くハグをしていた。それがまたいい絵だったのである。彼女はとてもチャーミングだけどどこか垢抜けない風情で、でもあたたかい感じの女性であった(と見えた)。いかにもプレイメイツみたいな金髪爆乳ねーちゃんだったら、なんだガッティお前もか、とガックリきただろうが、ますます好感度は上がったのである。
(がその後、ガッティはどうやら婚約していたのにヴィヴィアンちゃんにふられたようで、世界戦の記者会見で彼女のことを聞かれ思わず涙をこぼしたらしい。やっぱり素敵な人!)
会場を出た私は興奮納まらず夜のボード・ウォークをぐるぐる歩いた。満ち足りた気分だったが、唯一とても残念だったのがその幸福感を共有できる仲間がいないことで本当だったら祝杯をあげて大騒ぎしたかったのだが、なんだか一人でバーに行くのもはばかられ火照りを納めるには歩き回るしかなかった。パンフレットを抱えていたのですれ違う人数人に、「見た?見た? 面白かったね!」とか、「試合みたんだ? いいなー」と声をかけられ、ああ、ガッティの試合、本当に見たんだ、とそのたび夢心地になり、そして、遠い道のりだったこの旅ももう終わりなんだなという寂寥感も押し寄せてきた。
完。
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