スポーツと地域、そしてボクシング
| Text By 船橋真二郎 |
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今年、4月末までの試合数772試合。昨年の4月末までで744試合。10年前の1994年まで遡ると490試合。毎年もう天井だろうと思うのですが試合数は衰えを見せる様子がありません。しかし試合数に比例して試合の質が上がっているのかと聞かれると首を傾げざるを得ません。選手数も増加しており、興行自体飽和状態で、試合を頻繁に組んで選手にキャリアを積ませることも一部の有力選手を除いて至難の業になって来ているのではないでしょうか。やはり選手数が多すぎるって弊害があるのでは。また、B級、A級への昇級の仕方も簡単過ぎるのでは。 ☆ ☆ ☆ ということで、編集長の期待する「誰か」が私のような若輩者ではないのは明らかなのだが、僭越ながら私が書いてみようと思う。編集長が問題提起されているような状況の打開策として、よく耳にするのが「プロテスト合格の基準をもっと厳格にし、選手数の増加を抑えることで、高いレベルを維持する」という意見だ。この意見に、絶対反対という訳ではないし、プロなのだから、淘汰はあって然るべきである。だが、結果的に競技人口を減らすという部分については、消極的と感じてしまうのだ。少子化が進む今、将来的な競技人口の確保、そのための底辺拡大が他のスポーツにとって命題にもなっている。そういう状況の中で門戸を狭めてしまうのは、長い目でボクシングの発展を見つめたとき、リスクが高いとは言えないだろうか。同じ淘汰するのなら、もっと上のレベルで行えばいい。例えば、ランキングに10人という枠があるように、チャンピオン、ランカーを除いたA級、B級、そしてC級にも、上からピラミッド型に人数に枠を設けるのはどうだろうか。チャンピオンとランカーを便宜上、S級とする。試合はS級、A級、B級、C級それぞれの枠内に入る全選手の出場を義務付けた各カテゴリのトーナメント方式で、1年に渡って開催させるのだ。そして、上に昇格できる人数にも制限を設けて、降格ありでその枠を争わせるのである。敗者は順次、敗者同士の順位決定戦に回っていく。優勝者(自動昇格)を除いたA級トーナメントの上位者はS級の下位ランカーと、勝者が昇格する入れ替え戦に。A級トーナメントの下位者は、優勝者を除いたB級上位者と。C級トーナメントは新人王戦のような形式で行い、優勝者は飛び級でA級に昇格させ、それ以外の上位者は、B級下位者との入れ替え戦に回ることとする。と、ここまで書いてきたところで、引き分けの場合、怪我をした場合はどうするのかなど、問題点は様々、自分でも指摘できるし、業界事情を無視した、あまりに稚拙であきれかえるばかりの提案なので、ここでやめにする。要は、入口を狭くするのではなく、上のレベルに人数制限を設け、その少数精鋭の同じレベル同士で試合を組ませることにより、試合の質も選手個々の試合数も、確保できるのではないか、ということである。 選手数が増加し続けている傾向の中で上の人数に枠を設けると、必ずそこからあぶれる選手が出てくる。そういった選手たちは淘汰するべきか?そうではなく、彼らには別に試合の場を 設けるのだ。具体的にいえば、地域レベルにそういう場を作り出すのである。地域の単位は、そのエリアにあるジム、あるいは選手の比率によって、都道府県単位でも市区町村単位でもいい。ジムが集中している関東圏などでは、近隣のいくつかのジムを併せ、ブロック単位で形成させる。試合は必ず、各地域単位の中にある体育館などの地元で行い、プロテスト合格後のC級昇格を賭けた4回戦、また、いったんはC級、B級、A級に昇格したが、それぞれの人数枠からあぶれてしまった選手たちが、試合を行う場とする。また地域からC級への挑戦は2回までとし、C級に昇格を果たせなかった選手たちは、地域の6回戦、さらにその上を目指していくのである。これでは地域の試合が、いずれ敗者の溜まり場になってしまいそうだが、地域の選手たちにも逆転のチャンスは与える。まず、地域単位のローカルチャンピオンを認定するのである。各ローカルチャンピオンはそれぞれの地域で防衛戦を行っていくが、2年に1度、各ローカルチャンピオン同士によるトーナメント戦を実施。優勝者は特別枠で、日本ランキング入りを果たすことにする。 などという具体案はさておき……。要は、選手数の増加現象を、試合の場を広く地域レベルにも拡大するチャンスに変え、ボクシングの地域での普及にもつなげようということである。つまり、もっと積極的に選手数を増加させようということだ。そのためには、行政、地元企業、住民を含めた地域と地元ジムとの結びつきを、今よりさらに強めていく必要がある。 日本のスポーツは、長らく学校や企業を中心に発展してきた。企業スポーツが衰退して久しい昨今では、学校を卒業してからスポーツに親しむ機会が、減少する傾向にある。また少子化により、学校単位でのチーム編成が困難になる傾向も顕在化してきている。そういう状況の中で、スポーツの振興を学校や企業に依存させるのではなく、地域中心に振興しようという動きが出始めている。文部科学省が2000年9月に示したスポーツ振興基本計画には2010年までに「全国の各市区町村において少なくとも一つは総合型地域スポーツクラブを育成すること」「各都道府県において少なくとも一つは広域スポーツセンターを育成すること」が具体的な目標として掲げられている。ヨーロッパなどがそうであるように日本でも、子どもから高齢者まで、様々なスポーツに親しむ機会を、地域のスポーツクラブによって実現させようというのである。文部科学省は前出のスポーツ振興基本計画の中でプロスポーツ組織に「地域の一員として総合型地域スポーツクラブの育成に参画するなど、地域の実態に即した形での貢献を行うこと」「トップチームの下部組織として、地域住民が参加するスポーツクラブを育成すること」を要請している。すでに、このような指針が示される前から多くの企業スポーツを保有している企業や、Jリーグに代表されるプロスポーツ組織は、スポーツによる地域貢献という理念を意識し、地域レベルで率先して動いてきたところが少なくない。今後のスポーツの発展は、行政、地域企業、住民を含めた地域の協力があってこそ、地域貢献活動がそのスポーツの発展、競技レベルの維持・向上に、そして、底辺拡大を含めた後進の育成に、不可欠であると認識されてきているからであろう。その流れの中にボクシング界も、もっと積極的に入り込んでいってはどうだろうか? もちろん、ボクシング界にそのような動きがまったくないわけではない。横浜さくらジムは、青少年の健全育成を掲げて、小学3年から6年生を対象にした「全国ちびっ子ボクシング大会」を自治体や教育委員会などの協力も得て、3年前から主催しているし(今年7月25日に第4回大会)、小学生ボクシングスクールを開いてもいる大阪の六島ジムは、今年の3月、「第1回ALL JAPAN U-15 Youth BOXING」という15歳以下の大会を大阪市立我孫子中学校の体育館で開催している。『Talk is Cheap』でもおなじみの新田ジム会長・新田渉世さんは、高校時代の友人が教員を務める郷里の中学校で講演を行った際、2人のプロ選手を伴い、講演の他にミット打ち体験とスパーリング実演を行ったという。また、この6月1日には島根県江津市に県内初のボクシングジムが開設。元世界2階級制覇チャンピオンで、現在は井岡ジム会長の井岡弘樹さんが、過去に保護司やスクールアドバイザー経験もあるという地元出資者の「引きこもりの子どもに、(ボクシングで)手を差し伸べたい」という主旨に賛同し、協力している。 このようにジム単位で、地域貢献活動を行っているところは他も含めて決して少なくはない。だが、もう1歩進んで、こういった取り組みを個々のジムの裁量に任せるのではなく、業界全体での取り組みとして、各ジムにある程度、義務づけてはどうだろうか?例えば、地元の小学校、中学校の体育の課外授業として、年に1回でもボクシング(ボクササイズ)教室を行うとか、自治体と協力して、地元市区町村施設(ジムでもいいが)で、週に1回、小中学生や主婦、また親子で参加できる無料ボクササイズ教室を開催するなど。自治体とも連携して、地元住民が気軽に身体を動かせる機会を、業界を挙げて、全ジムがそれぞれの町で提供していくのである。横浜さくらジムの大会には昨年、42名の参加者が、六島ジムの大会には68名の参加者が全国から集まったという。こういった若年層の大会も、全ジムが協力すれば、さらに大規模な小学生、中学生の大会への発展が実現できるようにも思える。 決して簡単な道ではないだろうが、そうすれば、地域でのボクシングに対する理解も深まり、地域レベルでのボクシングの基盤を築くことも、また競技者の底上げ――レベルの向上、将来に渡ってのボクシング人口の確保、増加にも、近づけるかもしれない。 やはり私のような若輩者が書くべきではなかったですね、編集長(別に頼まれた訳ではないですが……)。建設的、現実的な改善案は、やはり他の方にお任せするとして、最後に故・佐瀬稔さんの力をお借りして、長々と書き連ねてきたこの原稿を終えることにしたい。今から10年ほど前、佐瀬さんがプロテスト受験者、ライセンス保持者、そして試合数の増加について、書かれていたことがあった。(※) 《責任や闘争をともなう大人になりたくない。今のままでいい。戦いを通じてアイデンティティを確立するなんてかったるい。する気はない。人と人との葛藤から身をかわす。身辺には常に心理学でいう「バッファ・ゾーン」(防御領域)をめぐらす。前途に障害物を発見したら避けて通る。辛いことはいっさいいや。やさしく平和に暮らしたい……。》 「近頃の若い者像」に関する、様々な調査、分析、統計データをもとに、佐瀬さんは「これで世の中はどうなっていくのか……」と慨嘆する。一方で、日本ボクシングコミッション事務局で調べた数字は、 《闘争心、いつか何者かになりおおせるという精神のエネルギーを欠くことのできない》 そういう、世の中の流れとは正反対の所にあるはずのボクシングに身を投じる若者が年々増加していることを示している。そのような若者がいることに、全体的に見れば少数ながら、増え続けていることに、だからボクシングに、佐瀬さんは希望を見出しているように感じられる。 《「若者文化の多様化」などというのは、彼らに何かを売りつけようとするコマーシャリズムが作り出した虚のイメージでしかない。実態はさむけのするほどの画一化が進んでいる。画一のぬるま湯の中に身を沈めていれば、その日その日は何事ごともなく(葛藤や手傷を経験することもなく)過ぎる。すべて世はこともない。しかし、そういう生き方がどうあってもできない少数派もまた存在する。みずからの命のありかを岩に爪で刻みつける、胸の底にたぎるものを表現する。他とはちがうおのれの心を高らかに叫びあげたい。そうしないことには生の実感をつかみとれない、と決断した者である。夕ぐれ、彼らはそうやってボクシング・ジムにやってくる。》 そういう貴重な少数派の若者を、救い出すことができる。試合の質、プロフェッショナルうんぬんとは、また別の方向で、そこにボクシングの存在意義を見出してもいい。 そういう観点からも、選手数の増加はやはり抑えるべきではない。だが一方ではプロとして、試合の質は高いレベルで保たれねばならないことも言うまでもない。両者は、並び立たないのだろうか? ※引用は 佐瀬稔著『感情的ボクシング論 敗れてもなお』(世界文化社/1995年4月発行)より
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