|
やっとボクシングの“ボ”の字くらいは分かってきた。
経験が無くたって出来る。大事なのは気持ち。情熱。自分が動くこと。それで選手はついてくる。初めはみんなゼロなんだ・・・
ドリームジム三浦利美会長のご紹介で、今回は松戸平沼ジム2代目会長の平沼恒之氏を訪ねた。後楽園ホールやスパーリング大会の会場などで時々あいさつ程度を交わすことはあったが、ゆっくりお話しするのはこれが初めてだった。今年30歳を迎える平沼会長は、丹精なマスクに軽くあご髭を蓄えた、穏やかな雰囲気の“青年”だった。
「改札を出て少し歩くとすぐ左に見えるはずです」電話で説明を受けたとおり、ジムはほぼ駅前と言ってよい立地にあり、表に面した窓ガラス全体からは、明かりと共にジム独特の活気が溢れ出ていた。
ビルの2階にある松戸平沼ジムへ入ると、18坪のスペースにリングとサンドバッグが無駄なく配置されていた。「狭くてすいません」と2代目は気を使ってくれたが、黙々と汗を流す練習生達の眼差しは皆まっすぐ前を向いていて、“居心地”はすこぶる良かった。
父親がプロボクサーだった。東京拳闘会で8回戦まで戦い、引退後にジムを開いた。父親はちょうど恒之さんが生まれた頃にジムを開いた。そして3歳年上の兄もプロボクサーになった。ジムで生まれ育ったような恒之さんだったが、兄とは違いボクシングには全く関心を持たなかった。高校時代は、多少ジムで練習したことはあったが、学校のバレーボール部に所属し、卒業後はサラリーマンとして普通の生活を送っていた。
ところが7年前に大きな転機が訪れた。父の後を継ぐことが決まっていた兄がリング禍で倒れ、帰らぬ人となってしまったのだ。父はショックでふさぎ込んでしまい、ジムは稼動しない状態に陥ってしまった。“ついに”、恒之さんはサラリーマンをやめてジムの運営に身を投じることになった。「残された練習生達をなんとかしなくちゃ!って思ったんです」
20代前半、ボクシング経験無し。父は、ジムにはほとんどノータッチ。2代目が頼れるのはトレーナーとジムの選手達だけだった。2名のトレーナーは元日本ランカーで、年齢はもちろん恒之さんよりも上だ。年齢もキャリアも上の2人を、立場上は使ってゆかなくてはならない。いろいろ難しい問題もあるかと予想出来るが、私の見た限りではチームワークは抜群といった様子だった。2代目は2人のトレーナーを尊敬し、彼らから多くを学んでいる。2人は2代目をきちんと立て、サポート体制を整えている。ジムで記念撮影をした際、並んだ3人の笑顔を見て、僭越ではあるが「このジムはきっと伸びて行く」と感じた。
近隣のジムには努めて出稽古に出かけ、よそのジムの会長やトレーナーからもいろいろ勉強させてもらっている。自分のジムの選手のレベルを測るのにも有効で、「よそへ行くと自分達の甘さを痛感しますね」と実は経験者のジム会長よりも確かな目をもっているかもしれない。ジム内では良いと思っていた選手も、よそへ行くと大したことなかったりするものだ。実際私も、目の前でスパーリングをしている松戸平沼ジムの4回戦選手を見て、新田ジムのレベルを改めて考えさせられていた。
「出稽古のスパーリングでは、試合での指示の出し方も勉強出来ますしね」実戦経験の無い2代目は、ダメージの感覚がまだ分からないという。例えば相手がどれくらい効いているのか、自分の選手をどこまで頑張らせればよいのか。いつタオルを投げればよいのか―。といった判断も「勉強しなくちゃいけませんしね」と、人一倍熱心な姿勢は留まるところを知らない。「うっ、2代目、まだまだ私も分かりません」本当にその熱心な姿勢には敬服する。負けてはいられない・・・。
日曜以外、毎日午後2:30から10:30まで60人前後の練習生を相手に奮闘している。現在プロ選手14名、トレーナー2名のこのジムは、9年ほど前から現在の場所で活動を開始した。「父が始めた頃は、自宅脇のプレハブでやってました。まあ、今より広かったですけどね」現在、練習生の人数は60人くらい。あまり変動はないという。「沿線にセレスさんがジムオープンしちゃいましたからね・・・」やはり元世界王者セレス小林のネームバリューは手ごわいようだ。結構この沿線は、ボクシングジムの激戦区(?)だが、「出稽古にはちょうどいいです」と、2代目はポジティブに捉えている。
全体の4分の1がプロ選手という“攻撃的”なジムは、昨年33試合をこなした。月3試合のペースだ。私もジムの会長としてマッチメークをするが、14人のプロ選手で年間33試合を組むというのは、けっこう凄い―と思う。丹精なマスクの下に隠された闘志は、こんな所からも窺い知ることが出来る。
私事で恐縮だが、私にはボクシングに全く興味のない中学3年生の息子がいる。もしボクシングジムを“家業”と考えた場合、恒之さんのように息子がそれを継ぐという発想が生まれてくる。ボクシングに関心がなかったにもかかわらず、“家業”を継いだ2代目の心境を尋ねてみた。
「僕の場合は、目の前に残されたジムと練習生がいたのでやらざるを得ない状況だったんです。ただ、こうなるんだったらプロで1戦でもしておけばよかったってつくづく思います」2代目にも、最近生まれた男の子がいるとのことだが、「もしやりたいと思ったらやればいい」と、決して“家業”を押し付ける気持ちはないようだ。私も同感だが・・・。
ただ、ご自身としては、「この道を選択して良かったと思っている」。サラリーマン時代は仕事を“やらされる”だけの世界だった。いまこうして若い子達の人生を預かるという、責任ある仕事、やりがいある仕事をすることが出来、「大変だけど本当に良かった」と言う。2代目にとってこの仕事は、もしかしたら単なる“家業”ではなく“天職”だったのかもしれない。
松戸平沼ジムの30年の歴史の中で、チャンピオンはまだ生まれていない。「僕がジムを継いでから約7年です。何か事を成すには最低10年はかかると考えていますし、幸い僕はまだ若く、まだまだ先は長いですから―」謙虚さの中に自信が見え隠れするのは、おそらく「大事なのは気持ち。情熱。自分が動くこと。それで選手はついてくる」という確信を胸に抱いているからなのだろう。
ジムと同じビルの1Fにある居酒屋を出ると、5月の割に少し肌寒かったが、ビールが程よく回ったせいか、2代目の人柄のせいか、とても心地の良い夜だった。
|