Second Wind
Text By Mayumi Kitano




 先日、あるボクサーから1枚のハガキが届いた。

 そこには、子供が生まれるのを機に引退を決めたこと、函館にある奥さんの実家に移り住んで第2の人生をスタートさせることなどが書かれていた。
 取材のため最後に話をしてからもうだいぶ月日が経っていたのに、覚えていてハガキをくれたことを嬉しく思う反面、引退を決めた経緯や、その決意を挨拶状にしたためた彼の胸の内を思うと、やるせない気持ちもあった。

 しばらくして電話で話したとき、声や話しぶりに湿っぽいものは感じられなかったが、彼は、「でも」ということばを繰り返し口にした。
 まだ続けたい気はしましたけどね。でも…。
 これから何をするかは決めてません。でも、とりあえず函館へ…。

 たくさんの「でも」でどうにか自分をまっすぐに支えながら、彼は北海道に発ったように思えた。

 ボクシングに限ったことではないが、何かを「やめる」というのは、とても勇気がいることだし、あとに何の未練も残さないなんていうことは、不可能だと思う。
 卑近な例だが、パチンコをやる人は「次こそは」「もう少し続けたら出るかも」と思って、やりつづけてしまうんだそうだ。もし途中で止めたら、「あのままやってたら大勝ちしたかも」なんて思うにちがいない。

 ケガなら否応なく辞めざるを得ないから未練を断ち切りやすい、という説も聞く。が、果してそれは真実だろうか。

 現場監督の仕事をしながらプロのリングに立っていた私の友人は、拳を傷めて引退を余儀なくされ、その後は、かねてからの夢だった一級建築士を目指して本格的に勉強を始めた。端から見れば順調な第2の人生を歩んでいるように思えたが、本人はずいぶん長い間、「俺も夢を追ってたけど、散っちまったからな」と言っていたものだ。
 人間の気持ちは、テレビのチャンネルでも変えるように簡単には切り換えられない。たとえ今は第2、第3の人生をハツラツと生きているとしても、それがそのままボクサー人生に未練がないこととイコールでは結ばれないのだ。

 最近、あるボクサーが、自身の応援ホームページの掲示板に引退宣言を書き込んだ。
 きっかけとなった故障からは、もう1年以上になる。担当医に「ボクサー生活を続けることは無理」と告げられてからも、もうすぐ1年。
 その間、彼はずっと揺れていたようだった。それは、引退か現役続行かという選択肢の間で、というよりは、「引退せざるを得ない」という現実を受け入れるか否かという葛藤に私には思えた。

 現役を続けられる可能性がないか、セカンドオピニオンを求めてその分野で権威のある病院や医師を探してはいたが、いくつかの情報を得ても、実際に診察を受けることは最後までなかった。
 再びリングに立てる可能性を求めるのと同時に、「もうどうしても無理だ」という最後通牒を突きつけられるのを恐れていたのかもしれない。あるいは、体感的に限界を悟ったのかもしれない。

 最終的に引退を決めた真意は、まだ本人に確認していないが、昨秋、自分からボクシングをとったら何が残るだろうかとつぶやいていた不安げな表情が思い出される。

 彼は今、「第2の人生」の入口に立てているのだろうか…。


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