拳闘書感想譚「プロが描くプロの世界」
『テン・カウント』 F・X・トゥール著 早川書房 Text By 中津川 一路




2週間ほど前、ジムで練習しているシナリオライター志望の空手マンが、「テン・カウントって本知ってますか?」と話かけてきた。知らない、というと、彼はバックから、「テン・カウント」を取り出した。

「これすごく、いいんですよ。」

数週間前に「ミステッィク・リバー」を絶賛していた彼はそう言って、私にその本を手渡した。



1日1話。眠りにつく前の時間を使って、6日間で読み終えた。

これは、ひねたボクシングファンに、ボクシンングへの愛着を再確認させる本だ、と思う。



1ページ目には父と、自分にボクシングを教えてくれたトレーナーと、出版を持ちかけてくれた編集者へ、本を捧げる言葉があり、2ページ目には「ON BOXING」からの抜粋がある。この抜粋が端的に内容を示している。

「ボクシングは男のための、男をめぐる、そして男そのものだ。失われてしまったことが痛感される、男性らしさの信仰への賛美なのである。」



作者はF・X・トゥール。原題は『ROPE BERNS』。6つ収録されている話のうちの、最後に収録されている話が、本の原題となっている。



こんなに胸が痛くなるボクシングの小説は初めてだった。勇気を与えてくれる話もある。ボクシングを好きにしてくれる話もある。悲しさに涙腺が緩んでしまうページも幾つかあった。

どの短編も経験者以外にはわからないだろう、細かいボクシング技術、カットマンの手管、ジムの雰囲気、などが圧倒的なリアリズムで描写されている。白人がマイノリティであるアメリカでのジムの様子や、アマチュアとプロとの関係なども、その当事者の目で述べられているので、非常に説得力があった。

そして『ボクシング』を抜きにしても、帯に推薦文を書いているJ・エルロイの小説のように、見事なハードボイルドとして成立している。



プロローグ 自分のボクシングの体験談「魔法の世界の一員」

カット・マンの仕事を描いた「モンキー・ルック 猿顔 」

引き立て役に抜擢され、敵地で戦うボクサーのチーム「ブラック・ジュー 黒いユダヤ」

才能ある女性ボクサーとトレーナー「ミリオン・ダラー・ベイビィ」

年老いたカットマンの目を通しての試合を描いた「フィリーでの闘い」

ハーンズに挑戦すると言うアマチュアにもなれない白人青年の話「凍らせた水」

オリンピック出場を目前に控えたプロスペクトと、そのトレーナーにやってくる運命「ロープ・バーン」



なんといっても、この本のすごさは、人々がなぜボクシングに惹きつけられるのか、ボクシングに、はまった人間のツボを心得ている。まあ、トゥールがボクシングに魅入られた人間なのだから、当たり前なのだが。

そして、この本には多くのプロが出てくる。ボクサーも本物のプロであり、トレーナー、カットマンも、マネージャー、プロモーターも吸いも甘いも知り尽くしたプロフェッショナルである。出し抜く方も、出し抜かれる方も、だ。その駆け引きや、やり方は決してフェアではないが、爽快感を感じさせてくれる。情緒に流されない乾いたタッチが、日本人には新鮮に思えた。



ただ一つ。「ロープ・バーン」「ミリオン・ダラー・ベィビィ」は悲しくてページをめくるのが辛かった。自分が小説を書くとしても、こんな話は避けて通るだろう。内容は素晴らしいが、どういう気持ちでこの話を書いたのだろうか、とは思った。実話だったのだろうか。



F・X・トゥールは兵士、バーテンダー、闘牛士など流浪の半生を送り、40を過ぎてからボクシングを始めた。やがてトレーナー、カットマンとしてボクシングの傍らに身を置く。そして心臓病を患ったことを機に本を書き始め、この本を1冊だけ残して、72歳で世を去る。

トゥールは「ある人間はボクシングの人生の縮図だというけれど、自分には人生こそがボクシングの縮図だと思う(訳者あとがき抜粋)」と言っていたらしいが、まさにそのプロフィールだけでも、戦い続けたボクサーのようだ。戦い続けた足跡は、W・L・D・(KO)の数字残らないが、彼の文章のあちこちから滲み出ている。



戦い続けなくてはいけないのは誰でも同じだ。戦い続けるか、試合を投げるか。一生その繰り返しか。

ちょっと溜め息。


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