高橋ナオトがマーク堀越を大逆転のKOに屠り、天才復活を印象付けた夜の至福の時間。その時間を楽しんでいた私の背後でCは一人静かに座っていた。そのCの存在が分かったのは、背中に視線を感じた私が振り向いたからだった。目と目が合ったにも拘わらず、私は直ぐに何事もなかったように首を元に戻した。冷ややかな感情が私を支配した。それにしてもあのCの眼差しは何だったのか。
Cと、その居酒屋で出くわしたのが偶然であるはずはなかった。後楽園ホールを後にし、皆と連れだって酒場へと急ぐ私達を、彼女はそっとつけてきたに違いなかった。そして、高橋の勝利にわき上がる私達の言動を、背後からつぶさに眺めていたのだろう。しかし、私がCに見た何の感情もない、あの二つの目は何だったのか。
翌朝、高橋の快挙を反芻しようとした瞬間、私を突き上げたのはCのあの眼差しだった。反射的に私の手はCから送られてきた、まだ開封してなかった手紙を探していた。Cの手紙はこんな風に始まっていた。「自己愛って誰にもあるものだと思います。自分を愛することが出来なければ、人間は生きて行くことは出来ませんから。でも、その自己愛って、何なのでしょう。自分を愛する自分って何なのかしら。
誰にも愛されない自分、そんな自分を人間は愛することが出来るのかしら。人間って人から愛され、認められ、求められる自分しか愛することは出来ないのじゃないかしら。そうなら人から愛されることを知らない人間がどうして自分を愛することが出来るのかしら。
私は高橋ナオトさんとマーク堀越さんの試合を是非見ようと思い、チケットを手に入れました。負けても負けても、高橋さんって、人気があるでしょう。その高橋さんをどうしても見たかったんです。ファンからあんなに愛される高橋さんの試合をもう一度、後楽園ホールで見てみたかったんです。・・もしお時間があったら、丸山さんともお話がしたい。高橋さんが勝つにしろ負けるにしろ、丸山さんとお話がしたい。私は近々ロサンゼルスに旅立ちます。そこで、ボクサーとしての自分を試したいと思ったからです。その前に一度お会い出来れば、幸せだと・・」
Dに深い屈辱を味わわされたCは通勤電車の中で男の手が僅かに触れるだけで、激しい湿疹が出来るような体になっていた。その心の傷は、リトマス試験紙替わりにされた私自身が一番よく知っていた。でも彼女はそれだけの理由で自分を誰からも愛されない人間、社会から疎外された存在と感じるようになってしまったのか。
私はそこまで考えて、再び昨日出会ったCの眼差しを思い浮かべた。それは虚ろで、恰も死んだ魚のような目だった。
それから1週間が過ぎた。私は大学時代の友人の家で1枚の複製画を肴に飲んでいた。それはV・ベローフによって描かれたドストエフスキーの肖像画だった。椅子に座ったドストエフスキーが両手で膝を抱えながら、じっと何かを見つめている絵である。「確か、エルミタージュ美術館だったか。小林秀雄がこの絵の前で全く動けなくなった、という訳が分かるだろう」。その絵画に出会った瞬間、国内随一のドストエフスキーの優れた解釈者は、金縛りに遭ったように身動きが出来なくなったのだった。「小林秀雄を金縛りにしたドストエフスキーの眼は一体、何を捕らえていたのだろう」。したたか酔った私が友人に問いかけた。「さあ、俺なんかに分かるものか」。友人は深いため息をつくと「文豪がこの世に送った秀でた知性。イワン・カラマーゾフ、キリーロフ、スタブローギン・・。ドストエフスキーの眼差しはそんな奴らが陥った深い深い虚無の、さらに奧の奧にあるものを見ていたはずだ」。しかし、この大学で教鞭を採っている友人はややあると私の目を見ながら「いや、きっと何も見ていないんだろうよ」そう言ってハハ、と力なく笑った。それは高校時代からドストエフスキーに魅了されながら、四半世紀が過ぎた今、ドストエフスキーにしたたかに打ちのめされてしまった男の、自分に対する絶望の笑いに違いなかった。
「今日は泊まっていくんだろう?」という友人の問いに頷く私に彼は「じゃあオフクロさんに電話をしておけよ」と声をかけてきた。私が母親と二人暮らしで、その母親が大腸ガンの手術をしてから、余り日が経っていないことを知っていた友人の配慮だった。「お前のところにいるのは分かっているんだから、大丈夫だよ」と遮る私に友人が言った。「お前が嫌なら俺がかける」。これではまるで高校生のような会話ではないか、と舌打ちしながら渋々、プッシュホンを押した私に突然、母親の緊張した声が飛び込んできた。「あのね、今、困っているのよ」。小声で母が続けた。「Cさんて方がさっきからウチに来ていてね」。母の話をまとめるとこうなる。夕方、Cが突然、私を訪ねてきた。母が私の不在を告げると「じゃあ、待っています」と答え、そのまま家に上がり込んだ。しかも彼女のいでたちが普通ではなかった。旅行用の鞄を左手に持ち、右の手には長ネギがはみ出た大きな買い物袋を抱えていた。母がCにその買い物袋を尋ねると「丸山さんもお母さんもお肉がお好きと聞いていたので、すき焼きにしようと思いまして」と笑みを浮かべてそう言った、という。
「今Cさんがこっちに見えたからあなたに替わるわ」。母親から受話器を受け取ったCは何の抑揚もなく言った。「何時ころお帰りになれるんですか」。Cには自分が突飛な行動をしている感覚は何もないようだった。「君は一体、僕の家で何をしているんだ」。詰問口調の私に「・・」。沈黙でCが答える。「とにかく、すぐ帰るよ」。そう言って電話を切った私に友人がからかい口調で言った。「何か、穏やかじゃないようだな」。私は友人に事の次第を掻い摘んで話した。友人が笑いながら言った。「お前はソーニャにはなれないものな」「当たり前だろう。俺は男なんだから」「そういう意味じゃなくてさ」。友人の言葉が何を意味していたのか、大体の察しは付いたが、それ以上、返答をせずに私は友人の家を辞した。
帰宅した時は11時を回っていた。ドアを開けるといきなり困惑仕切った母の顔とぶつかった。何も言わずに居間に入ると、すき焼き鍋の用意をし始めたCがいた。「帰ってくれないか」。私の言葉にCが振り向いた。「君が帰らないのなら僕が出ていく」。しかしその言葉を母が咎めた。「こんな時間なんだから、泊まっていってもらうしかないでしょう?」。そう言う母の目は私を明らかに非難していた。それから3人の奇妙な食事が始まった。肉は最上級の霜降り牛だった。誰も口を開こうとしなかった。ただ、私と母によく煮えた肉を卵を溶いた皿に運んでいるCの動きだけが異様に活発だった。
沈黙に耐えかねた母が口を開いた。「それであなた達は、これからどうするの」。「朝、Cさんは帰るでしょう。お母さんには、それから詳しい話をします」。そう言った後、Cを覗くように見た。しかし私が出会ったのは、あの居酒屋で垣間見たと同じ表情のないCの目だった。その時、やっと私はCの精神の異常に気づいたのである。
翌朝早く、私はCを最寄りのJRの駅に車で送っていった。帰宅した私を母が質問付けにした。私はことの顛末をおおまかに話した。ただしあのCの体を襲う湿疹のことを除外して・・。「つまりCさんは男の人にとてもひどい目に遭って、あなたに助けを求めてきた。それを取り合おうとしないばかりか、あなたも彼女を邪険に扱ったのね」。「それは違うよ」。しかし、母は納得しなかった。「Cさんは必死にあなたに救いを求めたんでしょう?でなければ、いきなりにウチまで来るわけがないでしょう。あなたが言うように二人の間に何もなければの話だけど」。私は母との話をいい加減に打ち切ると外へ出た。
外の冷たい空気を吸いながら思った。 あの目がCの精神の異常を物語っていたのだ。そう考えれば、Cのこれまでの行動が読めてくる。Cの心はいつから病んでいたのだろうか。Dとの出来事が原因なのか。それとも、それは単なる引き金だったのか。そう考えると私の頭は混乱した。
「あなたと何の関係もない人が何故、よりによって晩ご飯の材料まで持っていきなり訪ねてきたのかしらねえ」「分かりませんね」「だってどう考えても可笑しい話じゃないの」「それを一番感じているのは僕だよ」。こんなやり取りは、何日も続いたが、Cが訪ねてくることは2度となかった。そして私も母もCの事は記憶から消えていった。
(以下次号)
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