NY、勝手に殴れ!
   [ 真夜中のボクサー 〜NYジム巡りvol.3・クランチジム ]
Text Photo By 杉浦 大介




 クランチジムはいわゆる純粋なボクシング専門のジムではない。全米規模でチェーン展開されている、俗に言う「会員制総合スポーツ・ジム」である。
 だが、マンハッタン内にあるクランチの大半には充分な広さのボクシングリングが設置され、多数のサンドバッグ、パンチングボール等も備えている。
 別料金で経験者のトレーナーを雇うこともでき、まずは本格的なボクシング・トレーニングが可能になっている。グループでのボクシング・コースもあるが、これはまったくの初心者体験用。
 さすがにこのジムでプロ選手を見かけることはまずないが、アマチュア選手が試合前の調整に汗を流す姿を見る事もある。女性ボクサーが多いのもクランチジムの特徴だ。

 ボクシングに興味はあるが、いきなり群雄割拠のグリーソンズジム等に通うのは気が引ける、という女性やホワイトカラーが第1歩を記すジムである。

 カラフルなペイントに彩られた外観、館内。ハウスミュージックが間断なく流れ、やや軽薄な印象もあるが、設備の使いやすさでは無骨な他のボクシングジムとは一線を画す。

 トレーニングマシンにはCD再生機能やテレビ、更に何とインターネットまで付き、「忙しいニューヨーカー」を象徴するようなクランチジム。サウナ、ジェットバス、マッサージ室も完備。それでいてボクシング専門ジムよりもひと回り安価なことも魅力である。

 そしてこのジムの最大の利点は、幾つかが24時間オープン(週末を除く)しているということ。多忙で生活時間の不規則な人でも、早朝、或いは深夜と自分の自由な時間にエクササイズをこなすことが出来る。

 もちろんあまりとんでもない時間に行くと、トレーナーは利用できず、スパーリングパートナーも見付けることはできないのだが・・・・・・


 僕がこのクランチジムに初めて顔を出したのは約1年前のことである。

 ある冬の日の、深夜3時。誰もいないダウンタウンのジムで汗を流しながら、1人の日本人ボクサーが現れるのを待っていた。

「NYのダウンタウンに、メチャクチャ強い日本人ボクサーがいる。ホントに強いよぉ。まだアマチュアだけど、黒人も白人もスパーする度みんな倒しちゃう。最近は相手がいなくてねぇ」
知り合いのトレーナーに久方ぶりに逢った時、彼は珍しく酷く興奮した面持ちでそう僕に言った。日本の某大手ジムからスカウトされたこともあり、アメリカで選手としてもトレーナーとしてもプロ・ライセンスを取った彼の眼力を、僕は日頃から完全に信用していた。だから、彼がそこまで絶賛するボクサーのトレーニングがどうしても見てみたかったのだ。

 本当だろうか?そのボクサーは本物なのだろうか?

 アメリカでは弱い人種の代名詞といった存在である日本人が、スパーとはいえ地元ボクサーをバタバタ倒す。そんな姿を想像するだけで心は揺れた。

 だから、深夜3時まで僕は待った。


 I選手は、身体能力に非常に恵まれたボクサーに見えた。

 パワー、馬力に優れている。テクニックも並以上にある。そして何より真面目で丹念な性格で、トレーナーが現れる時間まで、たった1人で黙々とサンドバッグに小さなパンチを打ち込み続けていた。

「ボクシングの魅力・・・・・・?なぜ始めたか?そうですね・・・・・・はっきりとした理由は、ないですね・・・・・・」

 無口な青年だった。だが、リングの上では誰よりも雄弁だった。1度軽いスパーリングで手を合わせたこともあったが、バンタム級の小さな身体ながら、抜群のプレッシャーには舌を巻いた。

 そう、彼は本当に強かった。小手先ではない、日本人らしからぬ強靭なボクシング。僕はすぐに、友人のトレーナーと共に小さな夢を見るようになった。

 「あいつはチャンピオンになるよ」「そうだね、彼ならやれるかもな」

 その後も、僕は何度か深夜3時にクランチジムに向かった。I君はアルバイトをしていたレストランの勤務時間の関係で、深夜にしかトレーニングが出来なかったのだ。

 彼は他に誰もいない真夜中のクランチジムで、いつでも1人でサンドバックを叩き続けていた。後にI君がゴールデングローヴ大会で、大観衆の前で、相手から3度のダウンを奪ってKOするシーンなども目撃することが出来た。

 だが、僕の中で、彼はいつまでも「真夜中のボクサー」だった。

 彼はいつでも深夜のクランチで、小さなパンチを飽きる事無く放っていた。


 I選手は今頃どうしているのだろうか?

 クランチジムに顔を出すと今でも、ふとそう思う事がある。

 彼はもうNYにはいない。ゴールデングローヴの2回戦で判定で惜しくも敗れた後、彼は日本に帰って行った。

 事情は聞いていない。何をやっているのかもわからない。ボクシングを続けているのかどうかもわからない。

 「Iくんはどうしてる?」

 「さあ、最近は連絡もないねぇ・・・・・・」

普段はアップタウンでバーテンダーをやっているI君の元トレーナーと、カウンターを挟んでそんな会話をすることも最近は随分と減ってしまった。

彼はどうしているのだろう?

 このままボクシングを止めてしまうには余りにも勿体ない逸材だった。

 僕はあれから、深夜3時のクランチにはもちろん1度も行っていない。行く必要もない。彼のトレーナーも、あれから日本人は誰も教えていない。日本人に限っていえば、彼以上の素材にはまだNYではお目にかかっていないのだ。


 I君はどうしているのだろうか?

 NYのような街で暮らしていると、たまにこんな出逢いと、そして突然の別れが訪れる。深夜のクランチでの記憶だけを残して、彼は去った。

 せめてI君は、日本の何処かのジムで、ボクシングを続けていてくれれば良いのだが・・・・・・。




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