もう返事はこないだろう。そう考えていた私の元にCからの分厚い封書が届いたのは平成元年の1月20日だった。その日を明確に覚えていたのには理由がある。その翌々日にあの歴史に残る名勝負が、即ち、高橋ナオトがマーク堀越に挑んだ試合が待ち受けていたからだ。
私は封書を受けてから2日経ってもその中身を見ようとしなかった。もうこれ以上、彼女に関わり合いたくないという気持ち以上に、Cという差出人の名を見ただけで、私の自尊心が痛んだからだった。男に触れられるだけで生じる湿疹を見せるために私に自分の体を触らせたC。私をリトマス試験紙のように扱ったCの無神経が腹立たしかった。
そこまで男に嫌悪を感じるようになったCに対する憐憫の情も、そのために私に助けを求めてきたCの切羽詰まった心も、私は忘れていた。恐らく私はそうすることで私の何かを守ろうとしたのだろう。私が自分の自尊心がいかに浅ましく、小さく、愚かなものであるかという事実に突き当たったのは、それから随分、あとのことだっ
た。
1月22日。私は、はやる心を抑えながら、自宅を後にした。マークは昭和62年1月に日本S・バンタム級王座を獲得すると、以後6度の防衛戦をいずれもKOでクリアした、最強の王者だった。高橋は丁度1年前、島袋忠に日本バンタム級王座を明け渡した後、S・バンタムに転級。3連勝(2KO)を記録し、天才復活を印象付けていた。このカードがどれほど話題を呼んだのか、それは薄暮の時間ながら日本テレビがライブで放映したことでも分かるだろう。当日売りのチケットは試合の3時間前で完売となり、試合開始の時間が近づくころには、後楽園ホールはトイレにも行けないほどの混雑でごった返した。
僅かな余地を見つけて座り込んだ記者席の右隣りには芦沢清一さんが無言のまま陣取り、左の席の佐瀬稔さんは、二人が登場する前の誰もいないリングを祈るような表情でじっと見つめている。そして私もこの二人以上に緊張し、体を硬くしたまま、数分後に控えたゴングを待っていた。
マークやや優勢で始まったタイトル戦が大きく動いたのは4回だった。ラウンド中盤過ぎに高橋の右がマークのアゴを明確に捕らえたのだ。次ぎの瞬間、マークの体はニュートラルコーナーまで弾き飛ばされ、そして腰から崩れていった。ダウン!。8カウントで立ち上がったマークをさらに高橋が追いつめ2分過ぎ、2度目のダウンを奪う。が、それから体を接してパンチを防ぐマークを21歳の挑戦者は捕らえることが出来ない。それでも、後楽園ホールを埋め尽くしたほとんどの観客は高橋の勝利を確信したことだろう。だが、続く5回に追い打ちをかけられず、王者を休ませてしまったことが、このタイトルマッチを歴史に残るドラマへと変えて行くのである。
6,7回と蘇ったマークの左右フックが再三、挑戦者にヒットするとその都度、高橋の膝が揺れた。そして8回。マークの痛烈な右が挑戦者のテンプルを捕らえると、高橋はそれまで耐えていたダムが一挙に決壊するように前のめりに倒れていった。
島川主審のカウントがファイブを数えたころだった。平素から記者席では冷静沈着をモットーとしている芦沢さんが叫んだ。「立て、立て、立て、高橋、立て!」。恰も天空まで届くような芦沢さんの悲痛な声が途切れた時、高橋は立った。が、その膝も上半身も夢遊病者のようによろよろと揺れていた。この高橋に決着を急ぐマークがラッシュする。
試合後、この8回のシーンに報道陣の質問が集まったが、高橋から返ってきたのは「僕、ダウンなんかしたんですか」という言葉だった。つまりその時、高橋の意識は既に完全に失われていたのである。マークの猛攻にさらされながら、意識が途切れた状態で出した高橋の左フックは、しかし、的確で鋭かった。一転してマークの目が宙を彷徨いだす。そして、9回。窮地を救ったその苛烈な左の後に飛んだ右がマークのアゴの先端にヒットしたのは中盤だった。次ぎの瞬間、マークの体は背中からキャンバスにたたきつけられていた。それでも立ち上がったマークに高橋が追撃の左右フックを見舞い、主審が10のカウントを数えきり、試合は終わった。
左隣りから「う、う」というすすり泣きの声が聞こえた。声の主は佐瀬さんだった。私も誰かに背を叩かれれば、両の目から涙があふれ出していたに違いなかった・・。
その夜、私達を待っていたのは至福の時間だった。水道橋駅近くの馴染みの居酒屋は、私達の歓喜の声で溢れ返っていた。「おう、飲んでいるか!」。随分離れたテーブルで飲んでいた歌人の福島泰樹さんが、そのころはほとんど付き合いのなかった私に声をかけてきた。「この試合にこうして立ち会えた自分の僥倖を私は一体、何に感謝すればいいのか。それは神か!神なのか」。すっかり酩酊した佐瀬さんが声高らかに、詠じている。やがて原稿を書き終えた芦沢さんが合流すると、また乾杯が始まる・・。
こうして、その夜、繰り広げられていた酒宴が佳境に入ったころだった。私はふと、背中に強い視線を感じて振り向いた。視線は10メートルほど後ろの席からのものだった。そして視線の主はCだった。その二人掛けの席に一人で座っていたのはCだけだった。私は、再び顔を戻すと、また仲間内の話の交流に加わった。やがて、店を変えて飲み直す話がまとまり、私達は立ち上がった。思い切って振り返った私の目に映ったのは、既に空になった二人掛けの席だった。「これでいいんだ」。自分のそう語りかけながら外へ出て、さらに酔いつぶれるほど飲み歩いた私から、Cという存在は完全に消え失せていた。そして「高橋が蘇った」という幸福感は翌日、Cの手紙をほどくまで続いていた。
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