マネージャーというお仕事 19

林 隆治(ヨネクラジム マネージャー)







☆ ジム制度に関する考察

 ジムの名義貸しというのが問題になっている。発端は西日本ボクシング協会が行った決定だ。協会に加盟していない独立系ジムに対する規制を、一段と厳しくする措置を発表したのだ。

 これは様々な議論を呼び起こすことになった。協会の加盟金の高さ、ジム間の競争原理の欠如についての批判、そして、そもそものクラブ制度の是非まで問う声さえも上がっている。

 確かに現在のボクシング界は非常に閉鎖的な一面を持っているし、各ジムの企業努力も足りないかもしれない。また選手たちの権利が著しく制限され、移籍が原則的に認められないのも、クラブ制度の持つ弊害と言えるだろう。
 私もつい最近までは、協会はもっと開放的になり規制緩和をするべきだ、各ジム同士にもっと自由競争させるべきだ、と考えていた。加盟金を高く設定してジムが増えるのを防ごうなんてセコイ、と。

 しかしこの問題について深く考察すると、そう簡単な話ではないと思うようになってきたのだ。

 まず根本的な問いを発してみよう。

 ジム同士というのは純粋な意味での競争相手なのか?商売敵なのか?
 そうに決まっているではないか、というのが大方のファンの人の意見だろう。ジムの経営者は、もっと企業努力を行って、顧客(練習生)を増やすことを考えなければならない。その競争に勝てないジム(すなわち練習生を集められないジム)は淘汰されてしかるべきである。

 確かに正論ではある。だが、ここで皆さんが致命的に見落としていることがある。ボクシングジムには「スポーツクラブ」という側面とともに、「競技参加者」(この言い方が適切かわからないが)としての役割も併せ持っている、ということだ。

 ボクシングジムが単なる「スポーツクラブ」ならば、多くの人が主張するように、自由競争にするべきであろう。町にあるフィットネスクラブと同じだ。他のジムより良い立地を探し、設備を整え、月謝を安くし、より多くの顧客を集めることが経営の目的になる。それで顧客を満足させられないジムは、市場の原理により退場するだけである。資本主義社会では当然のことだ。

 しかし、ジムを一つの「競技参加者」と捉えると、まったく違う視点が浮かび上がってくる。

 分かりにくいから例を挙げよう。

 例えば、「プロ野球に、セ・パ12球団しかないのはおかしい。やる気のある企業はどんどん球団を作って、競争に参加するべきである」と主張する人がいたら、どう思うだろうか。明らかにおかしいことを言っていると分かるであろう。

 すなわち、プロである限り、そのスポーツに参加する人(団体)が制限・規制されるのは、これもまた当然のことであると思われるのだ。ボクシングジムは単なるフィットネスセンターではなく、ボクサーを育成して試合をさせるという役割を担った、「競技参加者」でもあるのだから、これを単純な市場原理に則って自由競争させることが、果たして適切かどうかは疑問である。

 大相撲の世界を考えれば、もっと分かりやすい。相撲界にはなぜ、親方株制度があり、部屋数が制限されているのか。元力士たちがどんどん勝手に独自の部屋を作れるようになってしまったら、何が不都合かと、相撲界の人々は考えているのか。それを突き詰めると、この問題の奥深さが見えてくる。

 まず、競技参加者を過当な競争から保護する、ということの必要性だ。普通の経済競争においては、ライバル企業を圧倒し倒産に追い込んだとしても何の問題もないが、プロ野球や相撲やボクシングの世界では、そうはいかないということだ。

 相手があってこその野球であり、相撲であり、ボクシングであるからだ。もちろん、競技の上では、いくらライバルを圧倒しても良い。だが、市場競争で他社を叩き潰すことはあってはならない。経済競争による淘汰の結果、プロ野球球団が巨人だけになってしまったらリーグ戦を行うことが出来ないし、相撲部屋が一つしかなくなってしまったら、すべての取組が同部屋対決になってしまう。

 つまり、どんな種類の競技であれ、競技というものは、必ずある一定の「競技参加者」を必要とする、ゆえに競技参加者の生存を必要以上に脅かすような競争原理の導入は、無理だということだ。

 野球界が、ドラフト制度など年俸の高騰を抑えるシステムを作ることや、ボクシング界が選手の移籍を原則的に認めない、ということも、この発想の延長線上にあると見て良いだろう。

 さて相撲の親方株制度を見て、次に思い浮かぶのは、少し不穏当かもしれないが「人減らし」という言葉である。

 貧困の時代、集落に住む人々は、どうしても食い扶持を確保できない時に、赤子を殺してでも自分たちが生き残る道を選んだ。

 相撲協会が得る収入すべてを「食い扶持」と喩えるのは品がないかもしれないが、それにありつける人の数を制限する、というのが親方株のそもそもの発想なのではないか。だから、どんな大横綱であっても、親方株を取得できない者は「人減らし」の対象となり、追放されるのだ。

 「収入を一定の固定された人々に配分する」という考え方が、はっきりした形で表れているのが、相撲界の部屋制度であると思う。これは非民主的で、しかも非常に閉鎖的であるが、ある意味、合理的な運営方法であるとも言える。

 人は「ボクサーのファイトマネーが少ないのは、ボクシングの人気がないからだ」と言う。これを裏返しに言い直すと次のようになるのではないか。

 「今のボクシング人気で本来養えるボクサーの数よりも、現実のボクサーの数が多すぎる」

 人々はボクシングの人気を向上させるにはどうしたら良いか、という論議は好きだが、そもそも、ボクシング界に携わる人間の数が、ボクシングの人気に見合っているのか、適正なのか、を論ずることはほとんどない。

 相撲界はこの点で、すでにはっきりした答えを出している。それが良いか悪いかは別として。

 ボクシング界はどうか。残念ながら、論議は迷走していると言わざるを得ない。加盟金を高くして、ジムの数を増やさないようにしよう、などというやり方は、やはり答えになっていない。もっと根本的な解答があるはずだ。それに辿り着くには、ボクサーのプロとしての資質についてや、クラブ制度のあり方にまで踏み込まなくてはならない。

 ジム制度の考察をしているうちに、思わぬ展開になってきた。

 だが、少しヘビーになるから、それは次号に廻そう。

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