It's tough to be a man

Text By 宮田 有理子





 とある祝宴で、派手に歓声を上げる現役ボクサーの姿を目撃した。周囲の話では、酒好きで知られる彼はスターとからかなりのピッチでグラスを空けていたらしく、たしかに誰がどう見ても、泥酔状態である。シャープなジャブ、スピーディーなコンビネーションで見るものをうならせる技巧派は、目の前で、全身を緩ませ、ふにゃりふにゃりと笑っていた。

ボクサーの飲酒に関しては"全否定"だった。
初めて手にした専門誌でいきなり「リング禍」「脳内出血」といったショッキングな言葉に出くわしたからかもしれない。アルコールによる血管内脱水状態や肝機能障害が脳内出血につながりやすい、大切な脳がある頭部を打つボクシングにおいてアルコールが与える悪影響は、他のスポーツの場合とは違う、ということを知り、飲酒癖があるというだけでボクサー失格ではないかという思考回路まで出来上がってしまった。

だが、その宴の席で、酒に酔うボクサーの姿を目にした時、以前は確かにあった嫌悪感、違和感がわき上がってこなかった。ただ、なんでこの人は飲まずにいられないのだろうかと、少し悲しいような気分になっただけだ。

 ボクシングの深みにはまるにつれ、また乏しいながらも年を重ねるにつれ、ものごとは白か黒か、善か悪かで割り切れなければ心地が悪かった頭も、ほぐれてきていた(割り切れないことの、あまりの多さに……)のかもしれない。そして昨夏、一篇の映画を見たことで、頑なな思考はもう芯を抜かれてしまった。

『チャンピオン』という名のその韓国映画は、世界戦のリングで命まで燃やし尽くしたボクサー、金得九の人生を描いたものだった。1982年11月13日、米国ラスベガスのシーザース・パレス屋外リングで、WBA世界ライト級チャンピオン、レイ・マンシーニに挑戦した金は、壮絶な打撃戦の末、14ラウンドに力尽き、4日後に亡くなった。その事実のみを記す一行の記録にしか触れてこなかった身には、十分に興味深い作品だった。

映画は説明的なナレーションもなく、淡々と、情景や登場人物自身が語る言葉と表情でつづられていった。
海沿いの村から一人の少年が金も持たずにバスに乗り、町へ出る。雑誌を売ったり、自分の血をお金に換えたり、一人で生き抜いてきた彼がある日、ボクシング興行のポスターを目にし、ジムに入門。「人糞を汲み取る仕事でも、一番になれ。その世界で一番になれば、それがチャンピオンだ」と教える会長と出会い、彼、金得九の生活は一変した。精いっぱい働き、仕事が終わると一目散にジムの階段を駆け上がる。「ボクシングほど公平なスポーツはない。人間の体はおんなじなんだ」、彼は仕事場の同僚に言う。仕事とボクシングに明け暮れ、部屋には"女は人生の敵"と張り紙をする。
 ところが、階上に越してきた製茶会社に勤める女性に一目ぼれ。不器用な愛情表現を繰り返してやがて相思相愛の仲になった。ボクサーであることで彼女の父から交際を反対されたが、決まっていた東洋タイトルマッチで勝利を収めると、めでたく婚約。最愛の女性も得て、幸せの絶頂の中、迎えた世界タイトルマッチのリングで、命まで燃やし尽くしてしまった。

 これが映画として優れているかどうか、ボクシング映画として秀逸な作品か、一から百まで事実に忠実かなどは、私にとっては問題ではない。
ボクサーの、男の孤独を今さらながら感じられたこと、理想や常識などとは次元の違う世界に彼らは生きているのではないかと感じたことで、十分「いい映画」だった。大いなるカルチャーショックだった。といって急に、男の孤独について語れるほどしなやかな人間になったとうのではない。自分の中ではまだまったく、漠然として形をなさない。ただ、さまざまなシーンに、感じた、というだけで。
最初のシーン。控え室から暗い通路を抜けて、太陽が降り注ぐリングへ向かう場面を見た時点で、この時ボクサーは何を思うのか、と考えるだけで鼻水が落ちてきてしまった。
愛する女性とのデートを楽しみながら、でも早く彼女を家に帰し、薄暗い自室に戻って天井を見上げる。
 東洋王座に就いた日、打ち上げに行く前に一人、シャワーを浴びながら「私は本当に幸せです」と歌う声がどんどん涙声になり、号泣する。
 故郷に凱旋し、花輪を首に観衆に向かって「必ず世界チャンピオンになります」と叫ぶ。
 フィアンセに、「死ぬか殺されるかの戦い」と言ったり、世界戦へ旅立つ空港へは来るな、と言ったり……
 
男はつらいよ。まさにそのとおりなのだろう。
男はやりきれなくても、本当は泣きたくても、弱気を隠して強く見せなければならない。会長が言う。「ボクサーはミスコリアよりもよく鏡を見るんだ。なぜだかわかるか。戦う相手がその中にいるからだ。おまえが弱気な顔をしたら、相手の力は二倍になるんだ」。

そんな現実から逃れるのに一番手っ取り早い方法が、酒なのかもしれない。あるいは一番手っ取り早い、褒美でもあるだろう。映画の中では、主人公がジムメイトと酒を酌み交わしながら父のいない生い立ちを吐露しあい、試合後の打ち上げでは会長が「今日は俺のおごりだ、飲め」などとのたまう。打ち合った後の飲酒など、とんでもないことだが、現実はこうなのだろう。リングの上では男であり続けなければならないボクサーこそ、酒に甘えずにやっていられないのだろう、と思ってしまう。そもそも、ボクシング自体、絶対にカラダに悪い。それでもそこに我を生かす道を見出して生きる男たちがいるのだ。彼らの多くは、酒が、無茶な減量がカラダに悪いなんて承知の上で、「悪いからやっちゃいけねぇなら、ボクシングはやっちゃいけねぇだろ?」と言うのではないか。

スポーツ選手である以上、万全に近い身体状態を作るのがプロフェッショナルだし、ボクシングがスポーツとして存続するためには、事故を予防する努力は体制にだけではなく選手個々にも必要だと思う。あくまでそうある"べき"だと思うし、実際、しっかりと節制して心身を磨いているボクサーがほとんどだと信じる。
でも、それでも、だ。
ボクサーの体には毒で心には貴重な潤いである、酒というやっかいなものがある。理屈を超えた世界でさまよう男たちがいるのもまた、現実なのだ。


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