丸山幸一のインサイドブロー

ある女性拳闘家 3


 「私の体を触って下さい」という言葉にたじろぐ私を気にもとめず、Cはブラウスも脱ぎ捨てた。ブラジャーだけを身に纏ったCの体は、肩から二の腕にかけて浮きだつ血管。小ぶりの乳房を包むブラジャーを押しのけるような腫れ上がった大胸筋。くっきりと三つに割れた腹部・・。私が垣間見たのは鍛え上げられた肉の塊だった。その苛烈な塊に私は抱いたのは凶悪な印象だった。そして嫌悪を覚えた。「触って下さい」。Cがまた言った。

 私は意を決して彼女の二の腕を触った。Cの口から小さな声が漏れた。その声を無視して肩に触れた。それから腹部へと手を這わせた瞬間「ああ!」という叫び声と共に、私は大きく弾き飛ばされていた。すかさず「ごめんなさい」。Cが小声で言った。しかしその表情は謝罪の言葉とは裏腹に、憎悪に満ちていた。私は茫然として彼女を見つめていた。私が触れたCの体は単なる物質でしかなかった。しかしその物質は思いもよらない反応を示した。

 冷静になってCの体を眺め渡した私は息をのんだ。Cの顔も首も腕も、いやCという個体の全てが真っ赤な湿疹で覆われていたからである。その時、彼女が私に体を触れさせた意図を初めて理解した。「こうなっちゃうの」。押し殺したような声でCが言った。「Dのアパートを飛び出してから電車の中で男の人の体が触れただけで、湿疹が出るようになったんです。それが段々ひどくなって、今ではこう・・」。

 「それを見せたかったのか」。私は言葉を吐き出すとCの部屋を後にした。外へ出ると、すっかり明るくなっていた。体のどこかが激しく痛んでいた。後頭部を触ると指先が血に染まった。彼女に突き飛ばされた拍子にぶつけた傷だった。・・深い疲労の底に屈辱に似た感情があった。何という一日だったのだろう。そうつぶやきながら、私はまだ、人がまばらな中央線に乗り込んだ。


 その年の夏はうだるような暑い日々が続いていた。Cからの手紙が届いたのは、その夏が終わりかけたころだった。

 手紙はこんな内容だった。「この前のこと、怒っていると思います。でも私は、あなたに触られたときも、あんな発疹が出来るとは思っていなかったんです。あなたはDや、Dが連れてきた、あの男のような人間とは違います。私があなたに感じたのは高潔な心でした。だから別のことを期待したのかも知れない・・。

 Dと別れてから私が抱いたのは、復讐の心でした。私の心を粉々にしたDへの復讐。・・でもそれだけではなかった。私がいつも感じていたのは,Dが私から去っていくことへの恐怖でした。前もお話したけど、何度も遭っているうちに私がDの中に見たものは私が空想していた愛とは全く異質の何かでした。それでもDを失うことが怖かった。そして、その果てにDに陵辱された自分自身が憎かった。その私に私自身で復讐したかった。そうでなければこれ以上生きていけないと思ったんです。その方法。それは私が男より強くなることだった。だから私は男の人よりも沢山走って、仕事が終わると時間の許す限り練習をして、家に帰ると、筋トレに励み、そうして強い体を作りました。でも、その毎日に満足していたのはほんの半年ほどでした。その後に感じたのは深い孤独でした。高校時代の友達と会っても、みんなみたいにはしゃぐことも出来ない。そういう自分を作り上げようとしたのは私自身なのに・・。それは、自分に復讐しようとした私自身が招いた結果でした。

 その孤独を癒すために私はもっと練習して自分でも信じられないほど強くなりました。でも孤独はますます深まるだけでした。生きていくのが苦しいほど。そんなとき、出会ったのがあたなでした・・(後略)」

 私がこの手紙を読んで感じたのは憐憫の情だった。同時に突き当たったのは、彼女自身の巧妙な自己欺瞞だった。Cは私の中に”高潔な心”を感じ、それ故に自分を救ってもらえるかも知れないという期待を持った、と言っている。しかし、私と会ったのは2度だけだった。それだけでどれだけ私を理解できると言うのか。

 確かにCは私という取材者に嫌悪の感情は抱かなかったに違いない。とはいえ私は全く未知の人間である。いわば行きずりの男である。そんな男に何故、自分という人間を知ってもらおう、と考えることが出来るのか。その神経が理解できなかった。

 私はしばらくしてCに返事の手紙を出した。その中に私が感じたことを率直に書いた。私を”高潔な人間”と感じてくれたのは光栄だが、そんなものは感傷に過ぎないこと。さらに酷な言い方だが、Dが突如、Cを道具のように扱いだしたのも、その原因はもしかしたらCの中にあるかも知れないこと。Cの自己中心的な性格に、これまで多くの人間が負担を感じたに違いないこと。等々を書いた後、もう彼女からの連絡はないであろうと、思いながら投函したのだった。

 が、それから3カ月も経たないうちにCからまた分厚い手紙が来たのである。 
(以下次号)



 


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