白井義男さん追悼


特別寄稿 「片方だけの手製のリングシューズ」

Text Photo By 佐藤ヒデキ




私は普段、広告写真の仕事をしているのだが、1986年頃、仕事で、能楽家の金春信高氏を撮影することになった。仕事の関係者は、
「彼はポートレイトを得意としていて、現在、日本人ボクサーのポートレイトを撮り続けているカメラマンなんです」
と言って、金春氏に私を紹介した。すると金春氏は、
「最近出版した本で、白井義男氏とも対談したんですよ」
と言って、A4サイズでハードカバーの立派な対談集を私にプレゼントしてくださった。
その夜、早速、読ませていただいたのだが、その文中に、白井氏の言葉でとても感動した話があった。
"当時は貧乏で、試合用のシューズを買うお金がなくて、荒川土手でシートの切れ端と革を拾って、自分で縫って作ったんですよ。そのシューズで五試合も闘い、そのファイトマネーを貯めて、新しい靴を手に入れたんですよ"
白井氏が一番の宝物にしている手製のリングシューズ。私はそのシューズを、どうしてもフィルムに定着させたくなった。
何日か後に白井氏に直接、連絡を入れ、シューズの撮影を依頼した。あえて金春氏の件は話さずに。電話の向こうの白井氏は、
「いつでもいらっしゃってください。いいですよ」
と答えてくださった。
当時のお住まいであった代々木のマンションを数日後に訪ねた。名刺を差し出すと、居間に通された。居間には、大きな外国製の高価な花瓶がズラリと並んでいた。
「海外に行くと、つい買ってしまうのですよ」
と、白井氏は穏やかな口調でうれしそうに話された。
恐らく、白井氏は私がカメラを持参し、ご自宅でシューズを簡単に撮ると思われていたことだと思う。だが、私はカメラさえ持って来ていなかった。図々しくも私は、こうお願いした。
「白井先生、大きなサイズのフィルムで撮りたいので、私にリングシューズを2日間、貸していただけないでしょうか?」
まだ私は、金春氏の件を話してはいない。白井氏は少し驚かれた様子だったが、
「実は、片方しかなくてね。どこかに行っちゃったんですよ。もうボロボロでねぇ」
隣に座って話を聞かれていた奥様が、うなずくようにニコリと笑っておられたのがとても印象的だった。
結局、どこの馬の骨かわからないような若い無名のカメラマンに、片方しかない、思い出のたくさん詰まった、世界にひとつしかない大切なリングシューズを、二つ返事で貸していただけることになった。白井夫婦の心の広さに感銘を受けた。私は大切に大切に、小さな片方だけしかないリングシューズを、両手で抱きかかえて持ち帰った。そして、枕元に置き、一晩眺め、感動の余り、シューズに向かって手を合わせた。本当に時が蘇るような思いだったのだ。その夜は、興奮の余り、深く眠ることはできなかった。
翌日、私は、舐めるようにシューズを撮影した。撮影を終え、シューズをお返しにうかがうと、
「もういいんですか?うまく撮れましたか?写真、楽しみにしていますよ」
と白井氏はおっしゃり、
「実はねぇ、なくなったもう片方のシューズも、人に貸したんですよ」
と言われたように記憶している。
(なんと寛大な人なんだろう)
私は涙が溢れそうになった。世界チャンピオンになれる人間とは、こういう方なんだと確信した。
後日、白井氏に写真をプレゼントすると、とても喜んでくださった。その写真は暑中見舞のポストカードで使わせていただく事にした。私の思い出の作品だ。

それから何年も経って、後楽園ホールに足を運ぶことも多くなり、白井氏とは何度もお会いしていたのですが、ご挨拶するのが精一杯で、シューズの件では、結局、お礼を伝えられないままに月日が流れてしまいました。恥ずかしい限りです。昨年、ホールでお見かけしたときには、顔色も悪く、げっそりと痩せておられたのを思い出します。

 日本のボクシング界の扉を開いた、偉大なる心優しきチャンピオン、白井義男、ゆっくりおやすみください。





白井義男氏を偲んで

Text By 新田渉世
Photo By 山口裕朗



 過日、1月14日(水)に東京都港区の聖アンデレ教会でおこなわれた、白井義男氏の追悼礼拝式に出席しました。これまで白井先生とは直接的な関わりはなく、私にとっては"日本人初の世界チャンピオン"という歴史上の偉人のような存在でした。今回は日本ボクシング協会加盟ジムの会長として、式へのご案内を頂いた次第でした。唯一の接点といえば、私が現役時代に協栄ジム主催の"ガッツファイティング"に試合出場した際、テレビの解説をして頂いたことくらいでした。選手の良い所を褒めるスタイルの解説にはいつも心が救われ、勝敗に関係なく「白井さんは分かってくれているんだ」と思えるようなコメントを頂いていた記憶があります。追悼礼拝式で、喪主である登志子夫人が「主人は病床においてさえ、いつも自分のことより家族や選手のことを心配する優しい人間でした―」といった内容のご挨拶をされていたのを聞き、白井先生のお人柄に改めて感動致しました。式には後に続いた歴代世界王者達が多数参列し、故人の偉大さを一層引き立てていました。天に召され、まさに歴史上の偉人となった白井義男氏―日本ボクシング界に大きな足跡を残し、そして末端のボクサー達へも心が救われる解説をして下さった"偉大な先輩"に、心より感謝申し上げ哀悼の意を表します。ゆっくりとお休み下さい。


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