| 拳闘書感想譚「カンガルーのボクシング」 | ||
| マチルダ ボクシング・カンガルーの冒険 ポール・ギャリコ | Text By 中津川 一路 |

| この原稿を書き終えた頃、白井義男さんの訃報を聞いた。 白井さんが最初に戦った相手は、カンガルーだったと伝説のようなエピソードがある。 カンガルーのボクシングも自分らの目に届くところでは見かけなくなってしまったようだが、僕自身も見たことはない。本当に縁日の見世物で巡業しているようなことがあったのだろうか、と勘ぐってしまうような伝説の世界の逸話だ。白井さんの逝去で本当に伝説の世界にいってしまった感がある。 この小説は天才的ボクシング・カンガルー。マチルダと、それを取り巻く人間たちの話だ。 話は見世物小屋でボクシングを見せていたカンガルー、マチルダとそのトレーナー、ビリー・ベイカーが食い詰めて、芸能エージェントのビニーのところにやってくることころから始まる。ビニーも食い詰めていて彼女に食事をおごってもらうようなデートをしているありさま、そこにボクシングマネージャーのパトリックが加わって、マチルダを売り出そうと画策する。最初のうちは、マチルダに勝ったら賞金を払うという素人相手に商売をしていた一行だが、酔っ払って小遣い稼ぎに世界ミドル級チャンピオンをKOしたところから話はアドベンチャーの様相を呈してくる。まあ、荒唐無稽もこの上ないような話なのだが、興行のシステムやコミッション、タイトルマッチがなぜタイトルマッチとして成立するか、などディティールをしっかり描いており、コミッションが認可しない試合をどうやって成立させるか、などの場面もあり、なるほど〜と思ってしまうような場面も多い。本当にカンガルーが相手をKO出来るようなパンチを打てるのか?フリッカージャブはわかるが、フォロースルーが効いたパンチが可能なのか?とまあ、そんな野暮な話をこの際忘れて・・・・ と僕はこの 完成度の高いエンターティメント小説を楽しんで読んだ。 お抱えのチャンピオンをKOされてしまった暗黒街のボス、アンクル・ノノはマチルダを亡き者にしようと、様々な手を打つが効は奏さない。マチルダのハンドラーたちは、世論を味方につけ正式な試合としてリマッチを成立させようと動く。 ポール・ギャリコはディリー・ニュースでスポーツ欄のコラムニストを8年勤めていたそうだ。その、スポーツに造詣の深いであろう彼が、何でカンガルーが世界チャンピオンと戦うような、ベタな話を書いたのだろう、と最初は思った。ボクシング業界のシステムや人々については非常によく描写されているし、リアリティも感じる。おそらくギャリコ自身が見聞きしたもので、モデルもいるのだろう。それを足場にギャリコはこれをまったくの虚構の寓話、ファンタジーとして描き、そして完結させようとしているのだ、と僕は思い込んでいた。 しかし! それは違った。この物語はラストになって急に現実味を帯びてくるのだ。 紆余曲折を経て、世界ミドル級チャンピオンとのリマッチは正式な試合として成立し、巨大スタジアムに11万人の観客を集めて行われる。ここまでは破天荒な物語の道筋をはずしてはいない。果たしてマチルダは世界チャンピオンになるのか?その後、物語はメビウスの輪のように表と裏が渾然一体として展開してゆく。 ストーリー展開から言えば、ロッキーや矢吹丈のように善戦したが、チャンピオンになれない・・ということは考えられない。そういうラストは敗者が満足することが前提だが、なんせマチルダはカンガルーである。多少の感情はあるにせよ、「エイドリアーン!」と泣きながら叫ぶことはできないし、「燃え尽きたよ、真っ白な灰に・・・」とは呟くこともありえない。感情表現ができないのでは敗者の美しさは何の意味も持たない。 結局、想像していたような夢のようなほのぼのしたラストはやってこない。 ボクシングマネージャーとして酸いも甘いも知り尽くしたパトリック、元チャンピオンでありながら身一つになってしまい、パブ経営を夢見るビリー・ベイカー。成功を夢見るビミー。彼らは一攫千金の夢を見て画策する。マチルダの支援者であり、辛口の、堅苦しいまでに誠実なジャーナリストであろうとするパーク・ハーストとは最終的には対立する。その入り乱れる関係の中でチョコレートバーとボクシングが大好きなカンガルー、マチルダは本能のまま戦う。そして、その本能がこの物語の鍵となるのだ。 ![]() ビニーが誠実な生き方を求める恋人と喧嘩別れをするシーンで「人間はそんなきれいなものじゃない。」と言う。それが結局この一見御伽噺に見える小説の根底に流れているテーマになっている。その中で、どう生きていくか。何が幸せなのか。何が正しいのか。 理想主義者、若しくは自分は理想実現のために行動する、と思っている人間と、狡猾だが、自分の仕事や家族に誠実に生きる人間との対立と和解。そんな重くも感じるテーマが前面に出てくる。 いったい何の話だよ?と感じる御兄もいらっしゃるでしょうが、ラストは語るわけにはいかない。ただ、ギャリコがディリー・ニュースでスポーツ・コラムを書いていたのは1920年代。ボクシングがまだまだ暗闇の中で行われることが多かった時代だった、と言うことと、カンガルーはカンガルーだということをヒントとして述べておく。 エピローグを読み終えたとき、僕は電車の中にいた。人が少なくなった車内で、ため息をついた。駅から駐車場まで歩く足も重かった。もし自分がボクシングに関して全く知識や愛着を持っていなかったら、その喉にひっかかったような、モヤモヤした微妙な不快感はなかったと思う。仄かな感動で夜道を歩く足取りもきっと軽かったに違いない。 本に書かれているカンガルーの本性が本当だとすると、白井義男さんの戦ったカンガルーはその後、どうしたのだろうか・・と少し思った。 数日後。 ギャリコに出し抜かれてしまった僕は、読了後、ボクシングのダークサイドを改めて見せられたようで暗澹とした気分になったものの、時間が経ち改めてラストを読み返してみると、不思議に勇気が出てくるような気持ちになった。なぜなのだろう。 「こんな時代に何が誠実って言える?考えても見てよ・・・」ラストの大団円にビミー言う言葉が、その答えに少しは近いのかな、と思う。 |
