このところ、「楽しむ」という言葉の奥深さに、ちょっと面食らっている。
先日、強打を誇るWBA世界スーパー・フライ級王者アレクサンデル・ムニョスに再挑戦し、3度倒されて10回レフェリー・ストップで敗れた小島英次が、控え室で、両目元が赤紫色に腫れた顔に笑みをうかべて言ったのだ。
「楽しかったっす」
それは、試合前から彼が繰り返してきた言葉だった。
約1年半前、飛んできた右をものの見事にくらい、わずか5分あまりで失神KOとなった男の再挑戦。当然、圧倒的不利の予想である。本人にも、恐怖心がないわけはない、と思う。だから、試合を1ヵ月後に控えたころ、チャレンジャーの口から出たその言葉が、不協和音のようになって耳に残った。
「今回は、試合を楽しみたいと思います。心底試合を楽しめれば、勝っているのは自分じゃないか、と。アマチュア時代からの10年分、楽しみます」
屈託なくよくしゃべるものの言葉を巧みにあやつるタイプではない青年だから、その「楽しむ」も端的に受け取ってはいけないのだろうとも思ったが、あのムニョスを相手に、しかも衆目にさらされる中で「楽しむ」って、いったい……というのが正直な気持ちだった。「勝負」は「楽しむ」ものではない、楽しめはしない、と信じている者にとっては、どうにも合点のいかないことだった。
だから、1月3日、その試合を見て、やはりボクサーはリングの上にいる時が一番雄弁だな、とあらためて思ったのだ。
チャレンジャーは右ジャブを軸にリズムと距離をつくり、浅めながら左ボディ・ストレートで先攻した。幸い、ムニョスは来日後の行事の中ですでに調整不足を露呈していて、試合もスロースタート。それでも、徐々に圧力を強める王者が右を一振りするだけで、ヒヤリとさせられる。しかし、一度打ちのめされている挑戦者は、しっかりと目を見開いて、落ち着き払って向かい合っていた。4回にはパンチが交錯する中、左をヒットしてムニョスを慌てさせもした。強引な攻めしかないムニョスに押し切られそうになりながら、何度となくピンチを凌ぎ、右ジャブで建て直そうと努め、その荒々しい攻撃に抗い切れずに倒された時は、必ず立ち上がった。
たしかに、スタミナも集中力もないムニョスにいま一歩踏み込めなかった。不調のチャンピオンと好調なチャレンジャーの間にある実力差が、かえって際立ったかもしれない。厳しくみれば、そもそも誰もが納得するマッチメイクともいえなかった。
だが、選手にできるのは組まれた試合で全力を出し切ることだけである。あの試合、小島は予想をはるかに超えて、健闘した。まちがいなく彼のベストバウトだっただろう。最後まで勝負を捨てず、がけっぷちにあって、懸命に今の自分の力を試し尽くそうという意思が、伝わってきた。
これが、「楽しむ」ということなのだろう。逃げ出したくなるような緊迫感、恐怖感や苦しさの中で自分を試すこと、自分を知ること、とでも言えばいいのだろうか。のっぴきならない状況においてしか、味わうことできない、本当の「楽しみ」。
「はぁ……自分はまだまだ甘ちゃんですね……効かされるとバタついて、距離感が狂って。平常心を貫き通すのは難しい……」
小島はしっかりと自分と向き合って、できたこと、できなかったことを知っていた。
「でも、これが今の自分の力。今の自分にできることは、やったと思います」
ありがとうございました! 最後に深々と頭を下げた敗者は、拍手に包まれた。決して負け惜しみや言い訳を口にしない彼を、とてもかっこいいと思った。
12月中旬にランニング雑誌の企画で、ホノルル・マラソンを走りながら100人の市民ランナーに話を聞く(25283人中15149人は日本人)するという突拍子もないことをしたのだが、その時何十回と耳にしたのが、
「苦しいけど、楽しい」
という言葉だった。制限時間がないため、途中で強制的に「はい、ここでタイムオーバー」と止められることがない。走るも歩くもやめるも、100パーセント自分次第である。次から次へと体に起きるトラブルと戦い、もうやめようか、もうちょっといってみようかと考えるうちに、9割がたの人が42.195キロという距離を踏破する。そして、7時間、8時間かかろうが、ゴールにたどりついたランナーは、たいがい満面に笑みをたたえ、バンザイをしてゲートをくぐるのだ。
「楽しむ」のは難しいことだと思う。でもきっと、楽しめたら、自分を好きになれる。目の回りを腫らしたボクサーや、すっかり化粧がとれて塩だらけのランナーの澄んだ顔を思い浮かべながら、しっかりと人生を「楽しむ」ことを今年のテーマにしようと思っている。
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