丸山幸一のインサイドブロー

ある女性拳闘家 2


 高円寺駅近くのCの筋トレ機械に囲まれた1DKのマンションで、彼女が語った長い長い話は、何とも痛ましい内容だった。「Aジムに入門した当初は私はとても満ち足りた数ヶ月を過ごしていたんです。サンドバッグを叩いたときに流れる汗のさわやかさ・・。ミット打ちは最初はとてもきつかったけど、私にとってそれは高校時代から夢にまで見た、ボクシングをしている、という充実感に変わっていったんです。でもその頃はそれだけで満足で、ボクサーになろうなんて考えもしなかった。その私の考えを変えたのが、あのDとの出会いだったんです」。

 Dは私も個人的に取材をしたことのある日本ランカーだった。「それで?」と言葉を挟んだ私の目を見据えながらCが続けた。「Dの練習時間は、私とかち合うことが多かったので、Dのスパーはよく見ていたんです。長身から繰り出すジャブや右ストレートは、ちょっと変則だったけど、自分のパンチを出した後、おかしいなあ、と首を傾げる仕草や、担当のトレーナーに”お前は打たれ弱いんだから、もっと左のガードを挙げろ”と叱責される度にむくれる様子に、私がとても好感を持ったのは確かでした。だからDから練習中に”終わったら、食事しない?”と声を掛けられたとき、思わず”ハイ”と頷いてしまったんです」。ミッション系の女子校出身でそれまでボーイフレンドもいなかったというCにとって、それは初めてのデートだった。何度かDとの逢瀬を楽しむうちに、やがてCの感情は恋情に変化していった。

 「私達の学校には、シスターもいてキリスト教史を教えていたSというシスターにはよく男との恋愛のむなしさを、授業の度に吹き込まれました。本当の愛なんて恋愛の中にはない。イエスへの愛以外に本当の愛はない。・・それが彼女にとって心の底からの言葉だったのか、それとも40をとっくに過ぎても、恐らく恋ひとつしてこなかったシスターの自分の人生への憎しみだったのか、よく分かりません。でも私達は笑っていたわ。あんな風になりたくない、って。私達はみんな恋に憧れていたし、親しい仲間が集まると、必ず架空の恋の話をしたんです」。そう語るCの表情は、まだ極めて穏やかなものだった。

 考えればキリスト教ほど性を弾圧してきた宗教はないだろう。イエス・キリストが処女のマリアから生まれてきたような物語を作り上げたのも、キリスト教だけである。当然、恋愛などタブーで、それは近代に至るまでキリスト教の重要な項目のひとつだった。結婚はあくまで子孫を残すための致し方のない手段に過ぎず、男女の性欲を満たすためのセックスなどもってのほかであった。

 余談になるがルキノ・ビスコンティの映画「山猫」の中で主人公のサリーナ公爵が「結婚して40年になるが私はいまだに妻の臍をみたことがない」。そう言って苦笑するシーンがある。19世紀初頭のシシリー島の話だが、この話などカトリックがどれほど性を弾圧したかの、いい証しだろう(ただしルイ王朝時代のフランスの貴族たちは、その弾圧に屈せず放埒な性の饗宴を繰り広げていたのだが・・)。

 話を戻そう。恋愛とボクサーに憧れたCは、かくしてDと恋仲になり、自然と肌を接するようになるのだが、シスターSを冷笑していたCは、それから半年もしないうちにシスターとは別の意味で男女の交わりを嫌悪するようになる。後にその嫌悪感の激しさを知った私が覚えたのは、彼女のその感情がCが受けたキリスト教教育とは無縁ではあるまい、という感慨だった。


 自分の高校時代の話を終えたCは、一呼吸置くと再び口を開いた。「自分が考えていたほど、私はセックスに抵抗はなかったんです」。Dとの具体的な交情に触れ始めたCから穏やかな表情は消えていた。「Dの私への態度が突然変わったのは、私達がそういう関係になって2カ月ほどしてからでした。Dがいきなり、”男っていうものは、一人の女じゃ満足できないことは知っているだろう”。そう言ったんです。私はDと会っているとき、それなりに幸せでした。それなりに、と言ったのは、どこかDの中にひやりとする冷たさのようなものを感じていたからです。でも私はそれまで、アルゲリョに憧れていたのが唯一の恋、といったような幼い少女だったし、Dの冷たさも、プロのボクサーだからと思ってた。幾ら私がボクシングを好きでも、実際に試合をするわけではないし、プロのボクサーの心の中も孤独も、想像しても分からないし、それはどうしようもない私との間の距離なんだ、そう思って我慢していたんです」

 そこまで言うとCは、突然沈黙した。いくら経っても口を開こうとしないCにじれた私はきつい口調で言った。「で、どうしたの」「すいません」と答えたCの声が震えていた。「すいません」。同じ言葉を繰り返したCの両目から涙がこぼれ落ちていた。「話すのが辛いのなら、もうよそう」。そう言って立ちかけた私にCの声が追いかけてきた。「もっと聞いて下さい。お願いですから」

 もう2時間が過ぎていた。殺伐とした部屋の中で私の心も冷えかけていた。その私をCの涙が引き留めた。「分かった。聞こう。でも結局何を言いたいの」。詰問口調になった私にCが言った。「私、それから犬のように扱われたんです」。余り露骨な話は差し控たいが,Cの話を総合するとこうなる。それまで二人のセックスは概ねCが想像していたような内容だった。けれども「男は普通、一人の女じゃ満足しないものなんだ」とDが言い始めてからセックスの中身が露骨に変化した。自分に未練があることを十分に悟っていたDが要求したのは、これまでとは全く別の体位だった。二人のセックスはキスもなく、背後から挿入するスタイルだけになった。

 「それだけじゃないんです」。Cが怒りに満ちた形相で言葉を繋いだ。「ある日、私がDの部屋にいると、Dが同僚を連れてきたんです」。その男はCがよく見知っているAジムのランカーだった。その男が笑いながら言った。「Dから聞いたんだけど、Cさん、セックスをもっと探求したいんだって?俺でいいのなら協力するからね」。「私はその言葉を聞いて頭の中が真っ白になって・・。でも次ぎに感じたのは怒りより激しい屈辱でした。ドアの近くにいたDを押しのけて部屋を出てから、どこをどう歩いたのか分かりません。気がつくと、後楽園ホールでした」

 「ホールに足が向いたのは何故だろう」。疑問に思った私はCに聞いた。ボクサー二人に、侮辱され、猛烈な屈辱感を抱いたのに、彼女は何故、深夜の後楽園ホールたどり着いたのか。当時19歳だったCにとってボクシングそのものへの嫌悪感がわき起こるのが、むしろ自然だからである。「分からないけど、私があの屈辱を忘れ去るには自分がボクサーになるしかない、と感じたからだ、と今は思っています」。「強いねえ」。私は率直な気持ちでそう言った。しかも、それから4年の歳月が経った今、彼女はまだAジムで連日、汗を流し、スパーでプロの卵を叩きのめしているのである。そしてDはとっくに引退していた。

 既に初夏の夜が白んでいた。「君の強さの原因がわかった」。帰り支度を始めた私にCが言った。「まだ、話は終わっていないんです」。「待ってくれよ」。うんざりした気持ちを露わにした私に彼女が取ったのは、私が考えてもいない行動だった。それまで着ていた薄いブルーのカーディガンを脱ぎ捨ててブラウス一枚になったCは、私の目を見ながら言ったのだ。「私の体を触って下さい」

   (以下次号)


 


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