|
ふと周囲に目をやると、多くの著名ボクサーたちが一心不乱に汗を流している。
この日も少し見渡しただけでも、ヴィヴィアン・ハリス、アガピト・サンチェス、ザブ・ジュダーといった新旧世界王者たち、MSGでの試合を控えたライト級の新星ポーリー・マリナジ、トレーナーに転向した元王者ジョーイ・ガマチェ・・・・・・etc。

グリーソンズ・ジム(Gleason’s Gym)。マンハッタンからイーストリバーを挟み、ブルックリンに居を構える。数あるNYのボクシング・ジムの中でも、こんな豪華メンバーが日常的に揃うのはこのグリーソンズだけだ。
生まれた世界王者は数知れず、100人以上とも言われる。映画「レイジング・ブル」の撮影に使われたことでも有名。地元のボクサーなら知らぬ者はいないNYの看板ジムである。
「よぉ、おまえ、ここは今日が初めてかい?」
サンドバッグを叩くWBA・Sライト級王者ヴィヴィアン・ハリスを暫く眺めていると、ニッコリ微笑みながら、チャンプは自ら見知らぬライターに声を掛けてくる。
「どうだ、元気か?グリーソンズはどうだ?」
おいおい、まだラウンド途中だろ?アメリカのボクサーは本当に気さくでイージーである。同僚たちとじゃれてふざけ合うハリスに王者の威厳は薄いが、純な笑顔に好感は持てる。
しかし防衛戦はもう来月なのに、こんな緊張感の無いトレーニングで良いのだろうか?ちょっと余計な心配もしたくなる。だがこの選手はずっとこのスタイルで、世界の頂点まで上り詰めたのだろうけれど。
――ねぇ、日本のサタケってボクサー知ってる?アンタに挑戦したいらしいよ。
「サタケ?誰だそりゃ?知らんねぇ。あぁ、俺は早くイングランドのキッドと戦って儲けたいよ。なあ、あのキッド、名前は何と言ったっけ?」
リッキー・ハットンは強い。しかしこのブルックリンの無頓着なチャンプは、最大の大勝負にもきっといつもの自然体で臨むのだろう。待ち望むビッグペイデイは、近々やってくるのだろうか?
真昼のジムのそんな穏やかな空気も、アガピト・サンチェスがミット打ちを始めると途端に引き締まる。元WBO・Sバンタム級チャンピオン、ドミニカ共和国出身のアガピト。地味だが確かなテクニックを持った実力者だ。
鋭いパンチがミットを叩く。乾いた破裂音がジムに響き渡る。数人の若手ボクサーがジッとその動きに見入っている。常にハイレベルなグリーソンズでも、元タイトルホルダーはやはり特別な尊敬で迎えられている。
「彼は素晴らしいボクサーだ。実力も、人間的にもね。若いボクサーたちの良いお手本だよ」
ジムの同僚たちも憧憬を込めてそう口を揃える。
そのサンチェスが、一昨年にSバンタム級王座の統一戦を戦ったのを覚えているだろうか?結果は残念ながら負傷引き分けに終わってしまったのだが。しかしその当時のライバルはつい先日、独りで遥か彼方に飛び去ってしまった。
「マニー・パッキャオ?ああ、いい試合でバレラに勝ったな。ぜひ彼とはもう一度戦ってみたいねぇ」
フィリピンの雄が一躍スターダムに踊り出てしまっただけに、本人が希望する再戦ももはや実現の可能性は薄い。だが、戦れば勝機は充分にあるようにも思える。アガピトにはテクニックと、確かなコンディショニングと、そしてグリーソンズの後押しがあるのだから。

このグリーソンズでは日本人ボクサーも何人かトレーニングを行っているのだが、7月号で紹介した寿司シェフ・ボクサー瓶子行人(ヘイシ・ユキト)もその1人である。
瓶子は11月8日に行われたNYメトロポリタン・チャンピオンシップ、125パウンド級の決勝戦に臨んだ。メトロ大会は、NY近郊の選りすぐりのアマチュアボクサーによって争われるローカル王座決定戦。年明けから開幕する最高峰ゴールデングローブ大会への大事な前哨戦である。
会場はグリーソンズ・ジム。多くの同僚たちが見守る中、自信満々でリングに立った瓶子だったのだが・・・・・・
好調な1Rを受けて、黒人ボクサー相手に果敢に打ち合いを挑んだ第2ラウンド、強烈な右を浴びてノックダウン、そのままKO負け。本人は続行を望んだのだが、セコンドからのストップがかかった。ダウンするまでのポイントは抑えていただけに、悔いの残る敗戦となってしまった。
「悔しいっす。2Rは油断をしてしまった・・・・・・」
試合後にはそう語った瓶子だが、すぐに翌週にはトレーニングを再開している。目指すは昨年準決勝まで勝ち進んだゴールデングローブ大会、その初制覇である。
「もう少しパワーをつけて、決め手になるパンチを磨かないと。今年はもう絶対に負けられないですからね」
開幕はもう来月。「あまり負けるとジムに居辛くなる」と語る瓶子のボクシングキャリアも、そろそろ正念場である。
最後の戦いに備えて、群雄割拠のグリーソンズで、瓶子行人は腕を磨き続ける。
|