拳闘書感想譚
『白人最後の世界チャンピオン』
ボブ・グリーン「アメリカンビート2」より
Text By 中津川 一路




 数ヶ月前、専門誌の海外短信欄にインゲマル・ヨハンソンが重篤な状態にある、と書かれていた。僕は書棚の奥から、この本を取り出し、読み返した。これは初めてのことではなく、以前、映画「マイ・ライフ・アズ・ドッグ」を見た後にも、同じようにこの本を手に取ったことがあった。

「アメリカンビート」はアメリカを代表するコラムニスト、ボブ・グリーンのコラム集である。この本の最後から二つ目のコラムにインゲマル・ヨハンソンの1985年あたりの生活が書かれている。この当時で50歳だから、現在は60代後半から70代初めということになるだろう。

 フロイド・パターソンを破り、世界ヘビー級チャンピオンになったインゲマル・ヨハンソン。スウェーデン初にして唯一のヘビー級世界チャンピオン。愛称は「インゴ」。ベストパンチである右ストレートは「雷神のハンマー」と呼ばれた。そして、当時では白人最後の世界チャンピオンであった。当時は団体も1つしかなく、世界ヘビー級チャンピオンの権威は現在となっては想像しかできないが、現在以上のものがあっただろう。しかも「偉大なる白い希望」だったのだから、商品価値はアメリカでも凄いものがあったにちがいない。

 フロイド・パターソンをKOしチャンピオンとなった。一躍、時代の寵児となったヨハンソンだったが再戦で破れ、ラバーマッチでも破れ、王座に返り咲くことはなかった。短いチャンピオンライフではあったが、そのダウン応酬の試合内容は現在でも語り継がれるほど激しいものだった。

 しかし、ボクシングの世界に限らないが物事の流れは早い。そして世間一般ではボクシングのことを長く記憶している人々は少数派だ。

 その後間もなく、ボクシング史上、唯一無比のカリスマ、黒い肌を誇りとした男が出現し、全てを過去のものに追いやった。


 1985年あたりのヨハンソンは、パターソンとのラバーマッチが行われたマイアミに近い、フロリダ州ポムパノ・ビーチで、自分で購入した1泊25$のモーテルの管理人をしながら、時々、海に釣り竿を垂れているような生活をしている。

 しかし、引退後のボクサーがよくあるように、生活に困っているわけでもなく、モーテルの管理人という仕事を好んでしている、と彼は語る。「自分に合った仕事を今でも探しているのだ。」と。

 ボクシングとは全く関わりのない生活を送り、たまに自分に気づく人間がいても、ただそれだけだ・・ともいう。

 マイライフ・・・では、ヨハンソンが王座を奪取した試合のラジオ中継が出てくるが、このコラムの中でも、「この試合をどこで聞いていたか、ある程度の年齢のスウェーデンの国民は、みな覚えている」という下りがある。国民的なヒーロー以上のヒーローだったに違いない。そんな中で暮らすプレッシャーは、大変なものだっただろう。

 それを避けて、ヨハンソンはスイス、スペイン、マヨルカ島などに住み、そしてアメリカに来たらしい。

 このコラムにはヨハンソンの日常が淡々と綴られている。思い出としてのボクシングは時折顔を覗かせるが、それ以上ではない。

 ボクサーの花の時代は短い。やがて表舞台から消えていく宿命だ。裏舞台で活躍するものもいれば、ボクシングから完全に離れてしまう者もいる。昔の栄光を忘れられない人もいるだろうが、そういう過去の自分をうっとうしく思う人もいる。

 国民的英雄から、モーテルの管理人へ。それだけを読むと、これを凋落と考える人もいるだろう。王貞治や長島茂雄がホテルの管理人をしていたら、そう思われても仕方ないかもしれない。あまりに輝かしいキャリアは、本人に無用のプレッシャーを与えがちだ。

 ヨハンソンの息子は「ここ(アメリカ)なら、父は過去の自分を思い出さなくてすむ。」という。

 偉業を達成してしまった人は、好むと好まざるとに関わらず、その幻影はつきまとう。過去を振り返りたくないと思っても周囲が許さない。しかし、このコラムの中の「元」白人最後の世界チャンピオンは、そんなジレンマの中で、自分を見失うまいと淡々とした生活を前向きに送っている。

 事実しか記されていないが、ボブ・グリーンは多分それを、好感を持って迎えているように思える。それは僕にも共感を感じさせた。


 このコラムの後、ヨハンソンはどんな生活を送っただろうか。

 自分をあまり知らない人々の中で、あまり目立たない地道な仕事をしながら、生活していった・・という予感をさせるものがこの短いコラムにはある。

 3,4年暮らしたら転々と住所を変えられたら最高だ、と言っているので、その後も転々としていったのかもしれない。この当時は独身だったようだが(2度の離婚)、重篤を知らせた短信では、婦人の談話が語られているので、その後、何度目かの結婚をしたのだろうか。

 そして彼は「白人最後の世界チャンピオン」ではなくなった。

 1985年当時は白人のチャンピオンはまだいなかったが、その後、主要団体が4つに増えたこともあり、アクセル・シュルツ、フランソワ・ボタ、トミー・モリソンといった白人のチャンプも生まれた。そしてビタリ・クリチコ、ウラジミール・クリチコという本当に強い白人チャンピオンも誕生した。白人同士がタイトルマッチを行うこともある。

 そんな光景もヨハンソンにとっては、「過去」ではく「今」を生きた彼にとっては、きっとどうでもいいことだったように思う。

 天気のよい日に、住まいの近くにあるビーチで釣り糸を垂れながら、そんなニュースとは無縁の生活を送っていたと思いたい。



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