ニューヨーク日誌 番外編  By 加茂佳子




ニュージャージーにガッティを見に行くの巻 4

 自分でも何をどこまで書いたのが記憶がないので、ここを読んでくださっている(方がいれば……)数人の方も内容などお忘れになっていると思います。これまでの話を要約すると、アルツロ・ガッティみたさに、試合のチケットも持たずに渡米してしまったアホが、友人とともに必死にキャンセルチケットを求めて電話をかけまくり、やっと手に入りかけたと思った数分後、他の人にもっていかれた、という、涙もでないほど哀れな状況に……。


 こうして目の前にチラついたチケットは、私の前から消えてしまった。絶望的になっていると、ちょっぴりアル中でお人好しのアリスは、諦めちゃだめ! と叱咤し、鼻息荒く言った。

「なんだか私、燃えてきた! ガッティのチケット、取ってみせるわ!」

 だがライター・アリスは確か締め切りを抱えているはずである。大丈夫? と聞くと、

「このままひきさがれないッ」

 と、言い放ち電話を切った。

 そして30分後、彼女は150ドルのキャンセルチケットを確保してくれたのである!

 ああっ、おおっ、ううっ、知らせの前で私はあらゆる感嘆の叫びをあげていた。言葉がでなかった。そして生まれて初めて、ほんとに頬をつねってみた。
 柔らかかった。
 ちーがーう。痛かった。
 やったぜ! やったわ! アリスありがとう!
 アリスの声も勝者のように満足気であった。

 こうして、私は試合が見られることになったのである。試合前夜のことであった。
 
 翌日、マンハッタンの真ん中にあるグランドステーションからバスに乗った。このバスに乗るまでも一苦労であった。アリスが

「グレイハウンドって会社のバスに乗るのよ、豹みたいなマークの会社だからすぐわかるわ〜」

 と、教えてくれたのだが、その豹マークのついた乗り場がいたるところにあり、列に20分並んだあげくそれはミシシッピー行きの路線だと判明したり、まったくもって余計なスタミナと時間をつかってしまったのであった。結局アトランティックシティ行きの乗り場は地下にあった。で、それも10カ所くらいあったのである。というのもアトランティックシティのカジノ街の主要なホテルまで、それぞれ直通バスが出ているから、らしかった。私はどこでもいいから一番最初に出るバスに乗ろうと思った。チケット代は往復で確か25ドル。おまけ付きである。おまけというのはそのカジノで使えるクーポン。下車するときに半券と引き替えてくれるという。

 その日は土曜日ということもあってか、バスは満員だった。乗客をちらちら見たところ、一人者が多い。生活に困っていそうな風情の中年男性とか杖をついたおばあさんとか、イケナイお薬を打ってそうな目つきと顔色の悪いお兄ちゃんとか、全体的に裕福そうな人は少なくとも私の乗ったバスにはいなかった。で、車内の雰囲気はなんだか暗かった。日帰りなのか、カジノで夜明かしするのか、みな荷物も少ない。手ぶらか小さなハンドバック一つである。

 前夜興奮して眠れなかった私はいつの間にか熟睡しており、目が覚めたら、着いた。車掌さんのような人が半券と引き替えにクーポン券を配っている。一人一人金額が違うらしい。私の貰った紙には「11ドル」と印刷されていた。それを使わず現金に替えれば、バス代は14ドルということになる。安い! が、カジノと聞いただけで鼻血が出る私である。無傷ではすむまい。はたして、やはり、最終的にものすごく高いバス代になってしまったんですけど。

 さて、続々と乗客がバスを降りた。と、私を除く全員がダッシュし始めた。腰の曲がったおばあさんもである。何か大変なことでも起こったのだろうか、と思ったが、みな一刻も早くギャンブルをしたいだけのようだった。

 私も走りだしたかったが、とりあえずチケットを手にいれなければならない。電話予約してあるだけで現物はまだ手元にないのだ。ホテルで周辺の地図を貰うと、表へ出た。目の前は海。海沿いに横一列、カジノ付きホテルが並んでいる。会場のボードウォークホールまで歩き始めた。が、まだ1時をまわったばかり。チケット売り場が開くのは4時、とアリスに言われたのをそこで思い出した。

 途中、こ汚いピザ屋に入りコーヒーを飲んで30分。外にでて空を舞うカモメをぼんやり眺めて30分。まだ時間まで2時間もある。再びコーヒーを飲み、カモメを見……。そして4時、ボードウォークホールの前に立った。

 ガッティとウォードが背中合わせに立つポスターが張ってある。会場横のチケット売り場でクレジットカードを出し、予約番号を告げた。心臓バクバクである。「そんな予約入ってません」と言われたらどうしよう。だが、売り場のお姉さんは150ドルの席ね? とコンピュータを見ながら言った。

「そうです! そうです!!」

 と、彼女は、「エンジョイ!」と、夢にまで見たチケットを渡してくれた。

「エンジョイ!」

 なんて素敵な言葉であろう。この何でもないひと言が、そのときの私の胸には感動的に響いた。

 そしてチケットに印刷された「ward vs gatti 2」の文字を何度も確認しながら外に出たときだった。

 ガシッ。

 肩をつかまれた。

 しぇぇぇぇぇ。な、何? だ、誰? 

 振り向くと、ダフ屋であった。

「余分ねぇか?」

 その瞬間、私の目はまちがいなく涙目になった。

「……余分……? ちょ、ちょ、ちょっとあなたね、私がどれだけ心臓に悪い思いして、苦労して、このチケット手に入れたかわかってるの? 東京ジャパンからガッティ見たさにはるばる来てるわけよ。ええっ? 近所から自転車に乗ってきてんじゃないのッ。その私に向かって、余分ないか? ざけんじゃねぇ!  余分なんかねーよ、ペッペッ」

 と言いたかったが、言えなかった。だってその黒人のダフ屋さんてば2メートル近くあるヘビー級体型だし、目がぜんぜん笑ってないんですもの。声もドスきいてるし。

「すいません、ないです……」

 小声で答えましたよ、私。情けない。

 しかし、うかうかしていられないのである。周囲が全員泥棒に見えてきた。私は即座にチケットをお財布にしまうと、鞄を胸に抱きかかえた。無事会場に入るまで死守せねばならない。おそらくそれからの私は、何人をも近づけない「寄るな、寄るな」オーラが出ていたと思う。それきりほかのダフ屋も声をかけてこなくなった。ああ、でも心配。まだ試合開始まで3時間近くある。

 それまでどうしようかと、会場入り口のあたりでオロオロしていると、ふとガラスの向こうに試合のパンフレット売り場が目に入った。買ってる人もいる。おおっ、これは売り切れる前に入手せねば! 吸い込まれるように中に入ると、即座に「おじちゃんパンフ!」と叫んだ。無事ゲット。

 と、そこに警備員がやってきた。

「どこから入ったんだ。まだ開場してないぞ」

 私と先客数人は全員、首ねっこをつかまれるようにして閉め出されたのであった。



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