マネージャーというお仕事 16

林 隆治(ヨネクラジム マネージャー)





☆ 視聴率を獲得するために

 日本テレビプロデューサーによる視聴率「買収」事件が世間を騒がしている。この類の事件が発生すると必ず出てくるのが「視聴率至上主義の弊害だ!」なんていう、偉そうな人が振り回す、分かったような正義論だ。もううんざりして、そんな人のご高説は二度と聞くまいと固く決心してしまう。

事件を聞いて、私の最初の率直な感想は「え?今まで起こってなかったの?本当に今回が初めてのケースなの?」というものだ。視聴率調査モニターを設置している世帯を探し出し、謝礼を払って自分の番組を見てもらうよう依頼する、なんてことは、今まで当然のごとく行われていたのだろう、と勘違いしていたからだ。もちろん、それは私の考え過ぎで、どうやらそこまでテレビ界は汚れてはいないらしい。

 だが「モニター世帯を探し出して買収するなんて方法は思いもよらなかった」との日テレ上層部の発言は、それはいくらなんでも奇麗事が過ぎるだろう、と笑ってしまった。テレビに携わっている人なら絶対、誰もが一度は、(冗談だとしても)そのことが頭の片隅をかすめるはずだからだ。「モニター世帯が分かれば、頼んで番組を見てもらうのに・・・」と。

 何を隠そう、私も考えていた。10軒のモニター設置世帯が判明したら、彼らに頼んでボクシング番組がやっている時は必ずチャンネルを合わせてもらおう。協会から資金を出して、一人につき100万くらいで買収したとしても、ボクシング界の浮沈を考えると、割の合う投資ではないか・・・。テレビと直接関係のない私でさえ、そんな悪魔の囁きを聞いているのだから、視聴率が直接の評価につながるテレビマンたちが、一度も考えなかったはずがない。明らかな建て前コメントはやめてもらいたい。

 ただモニター世帯を割り出すことは本当ならば不可能に近いことであるし、実際に調査会社を雇ってまで、それをやってしまうという気には普通の人はならないものだ。その意味で、かのプロデューサーはとても行動力があったと言える。あっぱれなるかな。いや、それとも、そうせざるを得ないほど追い詰められていたと言うべきか。テレビ界の競争も想像以上に熾烈なのだろう。

 エセ評論家どもの「視聴率至上主義の弊害」という言い方を私が嫌いなのは、その責めをテレビ局の人たちに負わせよう、という意図があるからだ。前にも書いたことがあるが、テレビマンたちが視聴率を追い求めるのは、正当な商業活動であって彼らに何の責任もない。(もちろんモニター買収は正当行為ではないが)

 もし、そこに悪者を探し出すとするなら、高い視聴率を要求するスポンサーと、どんなバカ番組でもチャンネルを合わせてしまう国民全般ということになる。いや、スポンサーだってお金を出して広告を打つからには、多くの人に見てもらいたいと思うのは当然であって、その時に視聴率を指標にするのは仕方のないことであろう。これも真っ当な経済行動だ。

 と言うことは結局、低俗な番組をただ手を叩いて喜んで見る大衆が、視聴率至上主義の弊害を作り出している唯一の張本人だという結論が導き出される。

例えば「CMのあと衝撃の結末が!」なんていうお決まりのフリが出てくると、大方の人は「どうせ大した結末ではないくせに・・・」と分かっていつつも、チャンネルを回しにくくなってしまう。CM明けまで少しワクワクしながら待ってしまう。視聴率稼ぎの常套手段だ。だが国民全体が、そこできっぱりチャンネルを回してしまって、そんな騙まし討ちのような煽りを入れた番組は今後一切見ない、ついでにその番組を支えているスポンサーの商品も買わない、と決意表明したらどうだろうか。国民全体がそのような良識を持ってテレビと向き合うのなら、視聴率という数字も自ずと良識ある指標となり得るだろう。

 つまり、大衆の低俗さ浅薄さが、低俗浅薄番組を作り出し、低俗浅薄な視聴率競争を巻き起こしているのだ。

 モニターを設置していないから、チャンネルをどう回そうと関係ないではないか、という反論も来るだろうが、モニター世帯というのは私たち国民全般の代表なのである。今回の事件のように買収が行われれば少しは誤差が出てくるかもしれないが、そうでない限りは、まあ大体、大衆の嗜好が正確に反映されるということである。

 だから、今回のことに関わらずテレビ界のことを批判するときは、よくよく気をつけたほうが良い。「低俗だ!」とテレビ局に向かって吐いた唾は、結局、跳ね返ってきて、自分に向かって「低俗」と叫んでいるのと同じことになってしまうのだ。(ここで一つお断りしておくが、私自身は低俗番組を好んで見るし、「このあと衝撃の結末が!」と言われればやはりワクワクして待ってしまう。その意味で私は、自分が低俗な人間であることを承知している。だからこそテレビ局だけを批判することが出来ないのだ)



 それでというわけではないが、ボクシング放送における「ディレイ中継」について述べたい。実は前々からこのことを書こうと計画している最中に、視聴率不正操作事件が発覚したので、たまたま前フリとして使っただけだ。本題はここから入る。

 ディレイ(遅延)中継という手法が注目されたのは(発覚してしまったのは)、この前の辰吉戦の中継で、途中のラウンドがカットされていて、見ている人に「あれ?生中継ではなかったの?」と違和感を覚えさせてしまったからだ。そしてネットや専門誌などで、そのやり方が散々批判された。「なぜ、全ラウンドを流さないのか?」「ファンをバカにしている」「遅延する意味がどこにある!」等の疑問と怒りが、巻き起こった。

 しかしもうお分かりと思うが、テレビ局がディレイ中継するには大きな意味があるのである。視聴率にとって。

 実は、私どもが手掛けた昨年の保住の世界戦でも、同じ手法が使われていた(お気づきの方はいただろう。ただ、あの時はリング上でのかの「ハプニング」に批判が集中したので、ディレイに対するファンからの反応はほとんどなかった)。実際のゴングより30分ほど遅れてテレビ放映は始まったのだ。

 驚くことに、今の中継技術をもってすれば、10秒遅れで追っかけ放送をすることも可能だという。そしてその技術は、プロレスやその他のスポーツ中継でも徐々に活用されるようになっているそうだ。昔にはそんな技術はなかった。完全生中継するか、そうでなければ一旦テープに録画して、それを編集して数時間あとに放映するか、の二者択一だった。現代では、この追っかけの手法を利用して、もっと柔軟な中継態勢が取れるようになったという。

 なぜ、このような技術が生み出されたのか?なぜ生中継ではいけないのか?

 答えは簡単だ。早い回でKOが起こってしまうと、取り返しがつかなくなるからだ。平均視聴率に大きなダメージを与えてしまうからだ。

 私どもは保住の世界戦の中継について、担当プロデューサーからこのような説明を受けた。

「今回の世界戦に、局内でのボクシングそのものの地位がかかっている。正直、今はボクシングの評価は社内で低いが、ここで高視聴率を上げれば、上層部もボクシングが数字の取れる素材だと認めてくれて、これからボクシングをもっと盛り上げていくことが出来る。だから今回はガムシャラに数字を取りに行きたい。ついては、早い回で決着がついてしまうというリスクを減ずるために、ディレイ中継の手法を取ります」

 こうまで言われて、そのやり方には承服できない、と拒否できるだろうか。当然のことながら、私たちはプロデューサーの意気込みに感服し申し出を承諾した。

 なぜディレイだとリスク回避になるのか。これには、こういうカラクリがある。

 現場でディレクターたちは実際の試合を見ながら、その進行により段取りを変えていくのである。

 例えば保住戦では、放映時間を7時から1時間枠で取り、ゴングは実際には6時半に鳴らした。もし放送開始の7時までに試合が終わってしまっている場合は、視聴率を落とさないように、用意してあるインタビューや過去の試合など前フリの映像を流し、それで時間を引っ張る。試合そのものはなるべく時間を遅らせて放送するためだ。

 もし、放送開始時間までに試合自体が続いていれば、いきなりゴングのところから放映し、現実を追っかけていく。このように試合の進行に合わせて、いくらでも柔軟に対応できるのが、ディレイ中継のメリットである。

 保住戦の時には、ディレクターは、あらゆる試合状況を想定して、120パターンもの段取り表を用意していたそうである。1Rで終わってしまった場合には、1Rで終わってしまった用の前フリ映像、2Rで終わってしまった場合には、2Rで終わってしまった用の前フリ映像と、それぞれ異なる映像も用意しておかなくてはならない。時間の長さがそれぞれ異なるのだから。中継車の内側では1分1分ごと、いや1秒1秒ごとに、「あの映像を用意しておけ!」とか「CMはこのタイミングで入れるぞ!」とか、怒号を飛び交わせながら進行を論議し、段取りを変化させていったのだろう。その手間と情熱には、本当に頭が下がる思いである。テレビ局の皆さんには、ご苦労様でした、との声しか掛けることが出来ない。

 ディレイ中継というのは、決してボクシングファンを馬鹿にするために行われるのではない、ということはこれで分かって頂けたと思う。

 もしそれでもテレビ局の手法に不満があるのなら、そうでもしなければチャンネルを合わせてくれない一般大衆に怒りをぶつけるべきだ。



 結局、この日本では、マニアがじっくりボクシングを見たいのなら、金を払って有料チャンネルと契約するしか方法がないのかもしれない。

 地上波は一般大衆向けにミーハーな作りで。そしてマニア向けには有料チャンネルでじっくりと。もうすでにそういう時代に入っているのだろう。残念だが、そう割り切るしかない。


Top