NY、勝手に殴れ!
 [ 「辰吉」には、なれない   
〜元フェザー級ボクサー・白井幸一さん ] Text Photo By 杉浦 大介





 ニューヨークのボクシングジムを覗いてみると、どこでも大抵数人の日本人練習生を見かけるものである。だが、日本でプロボクサーとして活躍し、引退した元選手がトレーニングしている姿を見ることは少し珍しい。
 マンハッタンのジムで汗を流す白井幸一さん(33歳)は、その数少ない1人だ。
 「最近運動不足でねぇ。生活もマンネリ気味だったし。もう6年間もジムに来てなかったから、そろそろいいかなと思って。試合?もう、ちょっと無理だよね。歳も歳だし・・・・・・」
 現役復帰ですか?練習中に軽く水を向けてみると、少し照れ笑いを浮かべながら彼は静かにそう言った。
白井幸一さんの、現役時代のリングネームは龍白井(りゅう・しらい)だった。
 名門ヨネクラ・ジムに在籍して、通算成績は7勝(1KO)4敗。オーソドックス・スタイルのボクサーファイター。
1995年東日本新人王戦J・フェザー級準優勝。その新人王戦の後、後の日本&東洋太平洋王者・福島学に4RKO負けを喫して、現役引退を決意した。
それから6年。今、彼はニューヨークで暮らしている。

 「ニューヨークの街?大好きだよ。スリリングだし、変化に富んでいるから飽きる事もないし。僕はいつでもスリルを求めているのかもね。ボクシングも、スリルを求めて?いやぁ、それはどうだったかなぁ・・・・・・(笑)」

 引退後、第2の人生をスタートさせるために渡ったニューヨークの街で、白井さんは写真家としての活動を始めた。
 元々写真が好きで、日本で写真学校に通ったこともあったのだという。その学校の研修旅行でニューヨークに初めて来たとき、この街の持つ不思議な魅力に魅せられた。
 ボクシングからの引退を決めた後、渡米を決意するまでにそれほど時間はかからなかった。アルバイトをしてお金を貯めて、アメリカでの生活を始めたのは4年前のこと。ニューヨークの街は本当に気に入っていて、しばらくはこの場所を離れるつもりは無いのだという。
ずっと憧れていた街で、好きな写真を撮りながら、ジムでエクササイズ。引退後の生活を充分に満喫しているように見える白井さんに、現役時代と、現在の写真家活動について話を聞いたのだが・・・・・・。

――ボクシングと写真の世界に、何か共通点みたいなものってあるんですか?
「そうだなぁ・・・・・・ボクサーにとって試合は作品、写真家にとっての写真と同じようにね。それぐらいかな。あとは・・・・・・1人で出来るってことくらいかな(笑)。1人でいるの、好きなんだよね」
 ――引退後6年間もジムに来なかったということですが、ボクシングへの未練は無かったんですか?負けたとはいえ、福島学は後の世界挑戦者な訳だし。
 「福島は強かったからね。負けた後はそれほど悩む事もなくすぐに引退を決めたよ。復帰も、やっぱりね・・・・・・。あれだけ綺麗に倒されるようであれば、それ以上ダラダラとボクシングを続けても仕方ないと思ったんだ」
――ボクシングからすぐに頭を切り替えられた理由は、やはり写真が大きかったんですか?
「と言うか、結局僕はね、たぶんそこまでボクシングを愛していなかったんだろうね。例えば、辰吉さんみたいにね、本当にボクシングが好きで、オレにはボクシングしかないって、そんな風には思えなかったんだろうな。凄いよね、辰吉さんって。でも、僕はボクサーとしては、たぶんそこまでだったんだよ・・・・・・」

決して口数の多い人ではない。だがボクサー時代の事を訊ねると、白井さんは一生懸命に言葉を選びながら丁寧に話をしてくれる。
 新人王戦決勝で不本意な判定で敗れてしまい、周囲の目も憚らず、控え室でいつまでも号泣したこと。唯一のKO勝ちを記録した時には、我を忘れてリング中央で派手なガッツポーズを繰り返したこと。ジムメイトが対戦を避ける中、「逃げるのは嫌だ」と評判高かった福島学との対戦を受けてたったこと。ヨネクラジムの名トレーナー、松本清司氏(故人)との温かい思い出が決して忘れられないこと。
幾つものエピソードからは、溢れるような男気とボクシングへの拘りがこぼれ落ちてくる。現役時代のひたむきな姿が、その言葉からは透けて見えてくるかのようだった。
 だが、それでも彼は言うのだ。「僕は辰吉みたいにはなれなかった」。

「現役時代はね、逃げ道を作らないように、ボクシングのことだけ考えてやっていたよ。だけど、ボクシングを芯から愛している人たち、辰吉さんとか、ウチの米倉会長とか、本当に素晴らしいと思うよ。
彼らはボクシングだけだって言い切って、一生ボクシングに関わって行きたいって言える。凄いと思う。僕もボクシングは大好きだけど、どうしてもそこまでにはなれなかった。僕は中途半端だったんだ。だから僕はボクサーとして、そこまでだったんだろうな・・・・・・」

常に目標を高く置く人なのだと思う。
試合を「作品」なんて呼ぶボクサーが、中途半端だったとは思えない。ボクシングを愛していなかったとも思えない。ボクシングへの思い入れがそれ程強いもので無かったなら、彼はもっと早くジムに戻ってきていたのかもしれない。
白井さんの真摯な言葉から感じ取れるのは、ただ強いボクサーへの尊敬である。自分の到達できない高みに立った者への憧憬である。
「辰吉さんはまた試合をやったんでしょ?福島学はどうしてる?凄いよね、彼らには本当に頑張って欲しいよね」
ちょっと遠くを見ながらそう言ったあと、彼はまた最後にポツリと呟いた。
「僕はもう2度と、ボクサー時代のあの緊張感を味わうことはないんだろうなぁ・・・・・・」

 ボクサーとして「辰吉」になれなかった男は、ニューヨークで新しい人生のスタートを切り、新しい道を歩んでいる。
 生活のためにアルバイトは辞められないが、時間を見つけては被写体を探して街を歩き回る。写真家として一本立ちし、将来は個展を開き、写真集も出したい。厳しい世界だがやれるところまでやりたい。今度こそ中途半端にはしたくない。これから先、いつまでも、写真と共に生きて行きたいと思っているのだという。

「これまでの自分に欠けていたものを求めているだけなのかもしれないけど・・・・・・でもこれからの僕は愛を込めて写真を撮って行きたいし、僕の写真を見てくれる人にも愛を感じて貰いたい。まだ自分だけの写真は確立されていないし、そこまでの自信はないけど。でも、いつかね・・・・・・」

ボクサーから写真家へ。東京からニューヨークへ。戦場を変えて、グローヴをカメラに持ち替えても、白井さんの真摯な姿勢には何の変化もない。写真や被写体への尊敬の念にも変わりはない。
愛のこもった写真?
いつでも真っ正直で、誠実。男らしく一途な彼なら、いつか誰をも感動させる写真が撮れるではないか。ど素人の僕には判断できないが、実はもう多くの人に感銘を与えてきているのかもしれない。
だが周囲にどれだけ認められても、僕などが何を言おうと、白井さんが自分自身で納得することなど当分の間あり得ないのだろうが。
 
「ボクシングのトレーニングは良い気分転換になるよね。でもジムに来るのは週2日だけ。それ以外に時間があったら、もっと頑張って写真を撮らないと。もっともっと良い写真を撮らないと・・・・・・」

最後にそう言い残すと、ジムの中での「龍白井」からカメラ片手の「白井幸一」に戻った彼は、また新しい被写体を求めてマンハッタンの雑踏の中に消えていった。
リターンマッチは続く。今度こそ、愛をこめて。

いつか新しい世界で、ニューヨークの街で、彼は「辰吉」になれるのだろうか?


白井氏撮影写真


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