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『T 偶然の前触れか、必然の伏線か』 |
Text by Katsuya Ohkubo |
| デビュー4戦目から9連勝をマークし、4回戦ボーイからB級(6回戦)、A級(8回戦以上)、日本ランカー、そして日本ミニマム級チャンピオンに。 飛ぶ鳥を落とすような勢いであったかどうかは定かでないが、着実に階段を上って初タイトルにありつくまでの横山啓介(JBスポーツ)を、ボクはリアルタイムで見ていない。彼に興味がなかったというのではなく、そのころのボクはボクシングに無関心となりつつあり、自分から情報にアクセスすることが億劫になっていたのだった。 かつて、ボク自身が主人公となってボクシングにかかわっていた時期には、毎週木曜夜(当時)のWOWOWエキサイトマッチを近所の電気店で立ち見させてもらい、専門誌を発売日に熟読し、深夜のボクシング中継やマイク・タイソンのトレーニングなどのVTRをスロー再生までして見るほどの熱の入れようだった。好カードのある夜に、なけなしの金をはたいて後楽園ホールへ足を運んだことも少なくない。しかし、異国のアマチュア・リングでメッタ打ちにあい、母国へ退散してきた主人公のボクシング熱はすっかり下火となり、ほとんど再生されないVTRテープだけが部屋の隅に山と積まれていくという有り様だった。 ともかく、前号で少し触れたようなボクの横山に対する特別な想いは、彼のボクシングや道程から喚起されたものではなかった。彼がどのようなタイプのボクサーで、何が優れているのか、何が足りないのか、どのような相手と、どのようなファイトをしてきたのか……。そうしたことは、あとから専門誌のバックナンバー等で知ることとなるのだが、いまもそれは重要な意味をもっているわけではない。 ただし、横山のファイトを初めて目にし、その肉声を初めて耳にした夜のことを、ボクは鮮明に覚えている。 01年4月10日、後楽園ホールでのメインイベント、ライト・フライ級の10回戦だった。相手のフラッシュ・ビラクラ(比国)はWBC世界22位で、戦績は20戦11勝(10KO)9敗。 日本2位の横山のほうは24戦15勝(9KO)7敗2分。元日本ミニマム級王者で3連勝中といった基礎データは、あらかじめインプットしてきたものの、試合が始まってみると彼の勘の鈍さやアゴの弱さ、体の硬さや手数の少なさといったウィーク・ポイントばかりが、やけに気になるのだった。初回半ばに右ショート・フックを決めてダウンを奪うまではよかったが、以降はピンチの連続となる。 小柄で褐色の比国人は、さすがに世界ランカーとあって、サウスポー・スタンスから繰り出す左ストレートはなかなかの迫力だった。初回終了直前にこれをカウンターで叩き込んでダウンを奪い返すと、2回からは右フック、右アッパーも交えたコンビネーションで快調に試合を運んでいった。ほとんど手の出ない横山は、バックステップで最初のストレートはよけるものの、続いて飛んでくるアッパーやフックを顔面に被弾し、3回には右の目尻から出血をみる。 横山の最大の窮地は4回だった。右フックと左ボディの連打で先にしかけたはいいが、これに呼応して攻勢を強めた比国人の左ストレートを次々に浴びてダメージをさらしてしまう。腰をガクリと落としかけ、コーナーへ吹っ飛ばされ、さらにはヒザがグラグラしてきて体勢が整わず、いよいよ危うくなってくる。 「(相手が)フィリピン人じゃなかったら、ヤバかった」とは横山の戦後の弁であるが、まったくそのとおりだった。九分九厘、勝利を手にしていたビラクラが5回、たった1発の右ボディブローを浴びてキャンバスへ転がってしまうのである。レフェリーのカウント中に立ち上がって試合を再開させたものの、ついさっきまでの骨太なボクシングがまるで余興であったかのように従順で無抵抗の犬となり、横山のラッシュとストップ勝ちを受け入れたのだった。 視点を変えてみれば、世界ランカーに逆転KO勝ちした横山の、粘り腰や決め手となった右ボディブローを称えることもできる。しかし、それで悦に入るほど彼は落ちぶれても歪んでもいないことは、戦後の真っ正直なコメントや苦笑いから察することができた。 「(相手の左ストレート?)ぜんぜんわかんなかった(笑)。危なかったねぇ。相手がサウスポーなんて聞いてなかったし、あんなにパンチあるとは思わなかった。このクラスで俺よりパンチある奴なんていないと思ってたんだけど……。 相手にパンチあるのがわかったから、最初にダウンとって早めに(勝負に)いこうと思ったら、体が開いたところにカウンターをまともに食らって、(ダウンして)これはヤバイと……。 左の対策なんてまったくしてなかったし。ジャブ出すと(相手の)左ストレートもらうんじゃないかと怖くて。左に回って2ラウンド目で回復してきて、3ラウンド4ラウンドは迷ってた。いいの、もらっちゃうし。クリーンヒット食らってヒザが折れて、ヤバイ、これじゃ回れないと思って……。 でも最後まであきらめなければ、(相手は)バテるだろうと。バッティングも怖くて、右フックも怖かったけど、ボディに活路を見出して。相手が左打ったあとにボディが当たって……。 フィリピン人じゃなかったらヤバかったね。あきらめなかったのが今日、勝てた理由。昔のオレだったら、あきらめてた。あんな強い選手とは思わなかった。いい経験しました。これ糧に大きくなれるようにがんばります。倒れたのって、今日初めてじゃないかなぁ……」 横山の語りがそこで一段落すると、その場に一人だけいた新聞記者が、6日後に行われるWBA世界ミニマム級タイトルマッチで、星野敬太郎(花形)とチャナ・ポー・パオイン(タイ)のどちらが勝つと思うかといった趣旨の質問をした。 そして翌日のスポーツ紙には、横山が独りでに語ったところの一切が割愛され、最後のアンサー部分、「星野さんが勝つと思う。チャナは気合がないし、あきらめるの早そう」といったコメントのみが載っていた。星野にもチャナにも敗れている横山の、厳しい現実がそこにあった。 さて、この夜の様子をボクが鮮明に覚えているのは何故かといえば、フリーランスのライターとなり、仕事としてボクシングを取材したのはそれが初めてのことだったからである。いまにして思えば、偶然の前触れ、あるいは必然の伏線であったのかもしれないとも思うのだが、その夜の横山のファイトやコメントに波長が合ったり、合わせたりしたわけではない。 横山は、この次の試合で大阪へ遠征し、日本2階級制覇を遂げてみせる。しかし、彼の中に自分の姿をみていることにボクが気付くのは、そのさらに次の試合、年の瀬も押し詰まってきてからである。
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