| 元東洋太平洋バンタム級チャンピオン Text By 新田 渉世 Photo By 山口裕朗 |
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| ワタナベジム 伯耆淳トレーナー |
12年前に戦った相手― 1991年3月1日の夜、30分近くの時間殴り合った相手が、今回の"戦士"として南健司氏(花形ジムマネージャー)から紹介された。しかし・・・、試合をした相手と会うのは結構複雑な心境だったりする。ほとんどの場合、ボクサーはそれまで喋ったこともない相手と戦う。にもかかわらず、リングの上では生命や人生、プライドといった大きなモノを賭けた濃縮した時間を共有する。リング外での再会は、懐かしさと同時に"敵味方"とういう形以外での接し方に結構戸惑ったりする。日常生活ではあり得ない程、奥深い部分で接した人間なのに、初対面のように人間関係を築いてゆかなくてはならない。 伯耆淳(ほうき じゅん 本名=あつし)―東海カワイジムから花形ジムに移籍し、80年代にLフライ級、フライ級、S・フライ級で活躍したハードパンチャー。戦績が示す通り、"倒すか倒されるか"というスリリングなファイターだった。引退間近の晩年の試合で、当時新鋭だった私とグローブを交えた。ひとりが勝者となり、もうひとりは敗者となった。 あれから12年― 引退後、花形ジムトレーナーを経て、現在はワタナベジムトレーナーとして活躍する伯耆氏を訪ねた。 先月の「戦士と語る」について、読者からメッセージを頂いた。「構成、内容ともにこれまでで一番良かった。今後は"一杯"飲む前にインタビューを済ませた方が良いのでは?」 という内容だった。いつも"飲み"と"語り"が同時進行の為、取材メモが象形文字と化している。改めた方が良いのかも知れない。しかし・・・、試合をした相手と会うのは結構複雑な心境だったりする。というわけで、今回も初っ端から"一杯"頂きながらのスタートとなった。(あしからず―) 小学校5年の時、ボクシング漫画『あしたのジョー』を読んで、リングに立つことを夢見た伯耆氏に、私は"かすかな共通点"を見出した。(私の原点も『あしたのジョー』だった―)やがてカワイジムに入門した彼は、間もなく交通事故による左足複雑骨折で2ヶ月の入院生活。退院後も後遺症が残り、半病人状態となってしまった。不屈の努力でそこから這い上がってきた彼は、プロデビューを果たして勝ち星を重ね、バンコクでタイ国王者をKOで倒し、全日本ランカーとなった。そして花形ジム移籍後、内田好之と日本S・フライ級王座決定戦を戦った。結果は不運なTKO負けとなってしまったが、その後のファイトも含め現役生活は9年間に及んだ。 「かつて半病人だった私にとっては、日本王者になったのと等しい価値―」 伯耆氏はその熱き歳月を、誇り高く胸に刻んでいる。 1985年に韓国へ遠征し、世界4位の孫五空に挑戦したが、3回にアゴの骨を砕かれKO負け。その後、入院生活を含めて1年以上のブランクを余儀なくされた。その間に"郵政省国家公務員"の資格を取得し、郵便局員となった。そしてこのブランクをきっかけに花形ジムへ移籍した。 「ボクシングをする為にこの仕事を選んだ。生活とボクシングを両立する為には残業のない公務員は最適だったね。」 かつて公務員ボクサーは他にも何人かいたが、基本的に副業やアルバイトが禁止されている為、プロ活動を続けてゆくのは難しい。しかし、国家公務員は"兼業許可証"なるものを取得すれば、合法的にプロ活動ができるらしい。"生活基盤"とボクシングに打ち込める環境を構築した伯耆氏―。現役時代、同じく子供がいて"生活基盤"で悩み続けた私は、完全に脱帽だった。 9年間の現役生活を、"日本王者になったのと等しい価値"と、誇り高く胸に刻んだハードパンチャーも、わずかな後悔を告白した。 「一度でいいから世界チャンピオンに挑戦したかったな・・・」 『あしたのジョー』の主人公=矢吹丈は最後に世界チャンピオンに挑戦し、燃え尽きて真っ白な灰となった。伯耆氏にとって、世界チャンピオンへの挑戦が『あしたのジョー』のそれと重なるものかどうかは確かめることが出来なかったが、何となく"かすかな共通点"がもうひとつ増えた気がした。 現役引退後は、古巣の花形ジムトレーナーとして活躍。やがてワタナベジムに移籍し、2年余りが経った。 「ここは完全担当制なので、選手の生活面、減量、トレーニングなど、全て担当トレーナーに任されるから、大変なんだけどすごくやりがいがあるんだよね。」 あまり表情豊かとはいえないタイプだが、目の奥には生き生きとした光が見えた。 「ボクシングっていうのは、自分が背負っている全てをかけて戦うものでしょ。ボクシングを通じて若者達に何かを伝えられるような気がするんだ。」 伯耆氏は、トレーナーをするようになってから心の世界が広がったという。 「若い子達が自分に自信を持てるようになって、ボクシングをやめた後も社会に貢献出来るような人間になっていければいいと思うんだよね。」 ふと気がつくと、私は大きくうなずく回数が増えていた。 「自分がやるより教える方が面白いかな・・・」 そう呟く伯耆氏の目の奥が、また生き生きと光って見えた。 初対面のような"語らい"が終る頃には、共通点は『あしたのジョー』だけではなくなっていた。"敵味方"とういう形以外での接し方で、人間関係を築いてゆけそうな気がした。 翌日、両国国技館でおこなわれた『3大世界タイトルマッチ』を観戦した後、親しい業界関係者同士の集いに参加した。そこに、ワタナベジムトレーナーの伯耆淳氏の姿があった。互いに挨拶を交わした時には、もう旧知の仲という感じだった。 何か心のキズがひとつ消えた気がした。こんな思いをするのは私だけなのだろうか。 |

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