男たちのゆくえ    By 加茂佳子



トラッシュ中沼

「KOしか考えてないス。でなきゃ勝てないんで」

 試合前の言葉通りになった。

 8月24日、敵地・大阪で王者を倒せなかった挑戦者は敗者となった。小松則幸対トラッシュ中沼の東洋太平洋フライ級タイトルマッチ。

 ダウン寸前にまで追い込まれながら耐えて窮地をしのぎ、その後果敢に前進する王者の意地は見事だった。けれどどちらの拳が的確に相手をとらえていたか。私の素人採点では5ポイントは中沼が勝った、と見えた。

 が、リングサイドのジャッジには客席からは見えなかったものがあったのか、試合終了後、アナウンサーは2−1での王者防衛を告げた。
 場内には、ええっ、というどよめき。続いて怒声が。乾いた笑いも混じっていた。


 中沼がリングを降りると同時に、私は会場を出た。この日の控え室はリングのあるホールをいったん出たロビーの向かいにあった。入り口を出るとちょうど廊下の向こうから、本人とジム関係者たちが歩いてくるところだった。

 あらゆるものを拒絶するかのように、うつむき加減に急ぎ足で中沼は歩いてきた。間近に来たとき私のそばにいた誰かが、「ひでぇよ、勝ってたよ、勝ってた!」と叫んだ。目を上げた中沼と一瞬目が合った。その顔に胸を衝かれた。

 彼の目が映し出していたのは悔しさでも怒りでもなく、また哀しみでもなかった。そんな次元の感情などもう通り越してしまった、というような深い諦観、空虚だった。まるで信頼する人に命綱を断ち切られたような、信じられないものを見てしまった、という顔。その虚ろな目が伝えてきたのは、彼の心は傷だらけ、ということだった。

 似た表情を以前にも見たことがある。こういう形で「敗者になってしまった」ボクサーたち。彼らは1時間にも満たないわずかな時のあいだに老成してしまっていた。哀しい大人のなり方をしてしまっていた。

「もう怒りとかそんなのじゃなくて、ただ、ああ、もういい、ボクシングはいいやって。あのときの感情をひと言でいうと……そうですね……やるせなさ。そう、やるせなかった、です」

 本人の後述である。


 控え室とは名ばかりの部屋だった。そこはシャワー室のついたロッカールームで、ロッカーとロッカーのあいだの狭く細長いスペースに、報道陣はすし詰めになった。部屋の片隅のパイプ椅子に中沼は腰を下ろしていた。

「もういい、ボクシング、疲れました。……あそこでダウンとってたらね……。あーでももういいス」

 ひとりごち、もしあの時……と頭をかすめる可能性を断ち切るかのように、しきりに頭を振る。

 記者が質問を始めた。

 判定じゃ勝てないことわかってたんで。倒せなかった自分が悪いんで。

 中沼は問いかける記者の目をまっすぐ見つめて答えていった。通路で見たときより、目にはいくらか感情が戻ってきていた。

「敵地だからって自分のボクシングを変えるつもりはなかった。待ってカウンターとるのが自分のボクシングなので。それで勝てないならもう無理だなと。あれだけクリーンヒットがあってポイントにならないんじゃ、何回試合しても結果は同じなんじゃないスか」

 誤解を恐れずに言えば、「正真正銘の敗者」と納得すれば中沼は「負けた、負けた。自分、弱かったスねぇ」とかなんとか潔く認め、内心はどうあれ、さばさばとした表情を浮かべただろう。私の知る限り、彼はそういう性分の人である。だがこの日の中沼は、乱暴な言い方だが、敗者にも勝者にも何者にもなれなかった。

 言葉の端々に無念さが滲み出ていた。風邪の影響で体調は万全ではなかったと言う。自責の念もあっただろう。

 が、もうどうしようもない。試合は終わり、敗者は中沼、と判定が下ったのだ。

「とにかく、もういい。もういいっす。しばらく休みたい……」

 それを締めくくりに、会見は終わった。


 その場では進退を口にしなかったが、のちに聞いたことにはあのとき中沼は引退を決意していた。

 報道陣が部屋を出ていくと、彼は付き添っていたジムの後輩たちに「しばらくオヤジと二人きりにしてくれ」と言った。

 後援会会長を務める中川淳二氏のことである。中沼には心酔する男がふたりいる。一人は元国際ジムトレーナー、現三浦利美ドリームジム会長。もう一人が中川氏。そう呼ばれるには年若いが、中沼はオヤジと呼ぶ。

 謝りたいことが、と中沼は頭を下げ、引退するつもりでいることを告げた。

「すみません、世界のリングに立つ姿を見せるって約束、果たせなくなりました……」

 −−ガードの上からちょこちょこ打てば、手数だしとけば勝てるっていうのが今のボクシングなんですかね。それじゃみんな同じボクシングになっちゃうじゃないスか。自分は今まで自分のボクシングで勝ってきた。なんで同じボクシングで急に勝てなくなったのかわかんない。もうこれ以上やってもダメだと思うんですよ。自分のスタイルは通用しないってことだと思うんですよ。もう採点基準がわかんない、自分には勝ち方がもうわからない……。

 嗚咽で最後は言葉にならなかった。

「男がそんじょそこらの理由で涙見せたら格好悪いじゃないですか。でもあのときはどうしようもなく泣けてきた。これでボクサーが終わりなんだと思ったらいろんな思いが込み上げて。悔しいやらやるせないやら、チクショーこんな半端で終わるのかとか、俺はボクシングに嫌われてたのかなぁとか……」

「オヤジ」も泣いていた、と言う。

「お前はよくやった。こんな形でお前が惨めな思いするようなら、こんな世界、潔く辞めちまえ、って。……二連敗でしょう。坂田に負けたときはまわりもまた頑張れって言ってたんですけど、今度はね、姉ちゃんはじめ身内はそうは言わなかった。マサ、もうこれ以上辛い思いしなくていい、って」


 中沼が控え室から出てきたとき、ロビーにはやりきれない顔をした大勢の東京からの友人やファンが待っていた。それを見ると、中沼はそれぞれのところへ、スキップをしたり欽ちゃん走りをしながら近づき、おどけて見せた。

「いやぁ、また負けちゃいました、ガチョーンガチョーン。ありゃりゃ、みんなそんな顔しないでくださいよ。自分はすっきりしてるんですから」

 が、三浦氏が「よし、また新人王からやり直すか」と声をかけたときは言葉を濁した。

「うーん、うーん、ボクシングはもう、いっかな……」


 ボクシングとの決別は決めていた。が、日が経つにつれ意志は揺れた。

 試合の夜からインターネットのボクシングサイトの掲示板は、判定に対する抗議で荒れに荒れた。パソコンを持たない中沼のもとにも、その反響について続々と友人から報告がいった。

「自分に肩入れしてくれてるトラッシュファンだけじゃなかったのに驚いて。中立の、ボクシングファンが熱い書き込みをしてくれてるのが胸にきたっつーか。……すげぇ嬉しかったです。ありがたくて、で、なんだよ、男がこのまま辞めるわけにいかねぇじゃん、って。もう一度、もう一回、頑張ってみよう、って」

 試合1週間後、中沼は練習を再開した。


 判定についてボクサーには何の責任もない。が、残念ながら今回王者に対する非難の声が少なくなかった。試合後の勝利者インタビューでの「俺が世界を見せたる」発言が主原因のようだが、今回勝ち残ったのは小松であり、勝者として発言するのは勝者の自由であり権利である。ボクサーにはそれぞれにやり方が、美学がある。それに対する好き嫌いは当然あるだろう。が、言動の責任を負うのもボクサー自身である。

 控え室での記者会見では終始、堅い表情のままであった。手応えは、という質問には「正直、ガードが堅くて、ほとんど手応えは……」と答えている。
 残念ながらこれまで王者とは言葉を交わす機会がなく、その胸中はわからない。が、彼もまた無傷ではいないだろうと思う。


 二人の再戦は2月に予定されている。場所は再び大阪。

 言うまでもなく、ボクシングの一試合の重みは酷すぎるほど重い。一勝、一敗で人生は輝き、あるいは狂う。

 二連敗したトラッシュの中沼の名は、この10月、世界ランキングから消えた。

 出直しである。

 生活も仕切り直しである。2月、坂田戦の前に、中沼はボクシングに専念するため勤めていた中華料理店を辞めた。今、彼の予定表にはアルバイトの面接が入っている。

 これまでの中沼の人生には逆境が背中合わせにあった。チャンスが目の前でそっぽを向いたことも一度や二度ではない。持病のヘルペスで時間を失った時期もあった。が、そこから這い上がるとき、中沼は底力を見せてきた。

「万全のコンディションを作っていく。今度こそブッ倒します。試合にジャッジは必要ない、です」

 トラッシュ中沼の再起宣言である。




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