☆ アマチュアリズムということ
今、アマチュアボクシング界が揺れている。
いわゆる「日大判定」というものについて、専門誌がついにズバリ批判するようになったし(昔は遠慮しいしい奥歯に物が挟まったような表現でしか書いていなかった)、プロの興行にエキシビション出場した「過去」を問われてインターハイ出場を取り消された少年は、紛争を法廷へと持ち込んだ。
私はプロボクシング界に属する人間であり、基本的にアマチュアの領域とは関わりがないのであるが、それでも全くの他人事、というわけでもあるまい。
諸外国ではアマで実績を積んだ選手が、順調にプロの出世街道を歩むケースが多いのに対して、日本のアマは、プロへの人材輩出機能を充分に果たしてない。果たしてないどころか、むしろ阻害要因にさえなっている、と言える。本来ならば、アマでトップに君臨した選手は、どんどんプロのスターボクサーになるべきなのだ。
そう考えると、アマの問題はアマだけの問題ではなく、長期的視野に立ってみれば、プロボクシング界にも直結する事柄である。プロの関係者の一人として、私は現在のアマの体質を憂う。
実は私はもともと「アマチュアリズム」という精神が好きではない。これはボクシングに限ったことではないが、アマチュアスポーツの「商業主義に毒されていない」とか「勝ち負けにこだわらない」とかいう表面的な美しさそのものに、腐敗の原因が潜んでいるように感じられてならないからだ。
例えばプロの世界では、不当な採点やレフリングをされた場合、そのアスリートや周囲の人間は、審判らに対して真剣に抗議する。時には口汚く試合役員を罵ったり、掴み掛からんばかりに喰ってかかることもあるだろう。その行為そのものは褒められたものではないかもしれないが、そこには「勝敗にこだわる」一途さが表れている。金、名誉、そして生活がかかっているからこそ、不正(だと思うこと)に対しては強い抗議の意志を示すのだ。
アマチュアスポーツ界ではそうした審判への抗議行動自体が、忌み嫌われる。「プロではないのだから、みっともないことをするな」という空気がある(プロはそんなにけがれた存在か?)アマは勝敗にこだわらず、その経過の努力のみを追及し、もし結果や裁定に不満を持っても、それにはじっと黙って耐え、次回その悔しさをばねにまた頑張れば良いではないか、という発想が美徳のように考えられている。だが、この美徳はともすれば不正追求への甘さにつながりかねない。
プロは金銭がかかっているからこそ勝敗にこだわり、勝敗にこだわるからこそ不当な扱いを受けたら怒る。そのプロセスがスッポリ抜け落ちたアマチュアでは、腐敗が発生した時になかなか自浄能力が作用しにくいのではないか。
大体、スポーツをする人間が「勝敗にこだわらない」ということが、本当に美しいかどうかは大いに疑問である。醜くてもガムシャラに結果を追求するのが、勝負師のあるべき姿だと思うし、その勝負魂にプロもアマも違いはないと思うのである。
大リーグの松井が高校時代、5打席連続敬遠されて甲子園大会を敗退し、それで勝利した方の学校が「高校生らしくない」「プロでないくせに」と大批判されたことがあったが、私はそこまで勝ちに徹した執念をむしろ評価したい。そこに「真剣」だからこその美を感じるのだ。アマチュアリズムの中途半端さにはない類の美だ。
そのようなアマチュアリズム独特の甘さに加え、ボクシング界には「体育会系」人間関係というものが存在する。先輩には絶対に逆らえないという、あの厳しい上下関係だ。ある一時期、先輩後輩の間柄になった二人は、いくら齢を重ねようとその関係から永久に脱却できないのが、体育会系の宿命なのだ。
断っておくが、私はそのような体育会系の雰囲気自体は嫌いではない。先輩を敬うということはいつでも大切なことであるし、上意下達、絶対服従の掟も組織には時に必要である。
問題は、組織を動かすメカニズムが、体育会系論理「のみ」になってしまう場合である。今のアマチュアボクシング界がまさにそれに当てはまるような気がする。
プロボクシング界にだって、先輩後輩の体育会系人間関係はしっかりと存在するが、その一方でビジネスの論理もちゃんと作用していて、それが体育会系論理の悪しき面、つまり非民主的側面をかなり中和している。例えば、あるジムの会長が、大学時代の直属の先輩であった別のジムの会長に、無理難題のマッチメークを持ち掛けられたとしても、「先輩、それだけは勘弁して下さい。うちの選手が壊れちゃいますんで」ときっぱり断ることが出来るだろう。プロにとって、勝ち負けへのこだわりやお金への執着が、大学時代の先輩後輩の間柄を超えて、大切であるとみんな分かっているからだ。
その部分がアマでは徹底的に欠けていて、すべてにおいて昔ながらの上下関係が優先されているように思えてならない。だから、連盟の執行部(つまり大先輩)のやることには誰も批判できず、文句も言えないのだ。「お上」は批判されることがなければ、どんな悪いことでも平気でやるようになる。どこかの国の独裁者と同じで、自分の地位さえ脅かされなければ、何も怖いことはないのだ。採点をひっくり返したり、気に食わないものは選手資格を剥奪したり、やりたい放題できてしまう。
こういった、内部に自分を批判するものがいない独裁者は、外部からの批判にはあまり動じない。そしてかの国の「将軍様」のように、外から非難されればされるほど、ますます自分の殻に閉じこもってしまうのが特徴である。
だから、専門誌がいくら判定問題を叩いても、アマ連の「将軍様」たちは痛くも痒くもないだろうし、裁判などはいくらでもやってやる、くらいの気でいるだろう。彼らが恐れるのは内部からのクーデターで自分の地位が脅かされることだけだが、それも体育会系の枠の中ではあり得ないから、結局、アマチュア界の体質が変わることを期待するのはしばらくは無理かもしれない。
ただ、日本のアマチュアボクシングは、国際大会での無残な成績が示すとおり、選手強化の面でも大きく立ち遅れてしまっており、早急に何らかの対策を講じないと、取り返しのつかない事態になってしまうだろう。あまり悠長なことを言っている余裕はない。
アマチュア界の改革について、プロ側の人間である私が、これ以上、物申せる立場にもないので、この辺で終わらせておくが、アマチュア界内部の良識ある方々には、ぜひ勇気を持って決起し、改革を遂行してもらいたいものである。
☆ ここが変だよ、アマチュアボクシング
少しスペースが余ったので。
アマの競技上の際立った特長について、誰もが皆、言っていることであるが、わざわざ文章になったことがないようなものを取り上げてみよう。
@ ボディー打ちが少ない。
アマチュアでは、ボディー(特にフック系)を打つと、ローブローやオープンブローの反則を取られやすいらしい。だから総じてボディーを打つ選手が少なくなってくる。
A ダッキングをすると怒られる
日本のアマボクシングではダッキングをすると「頭が低い」と、審判に注意されるそうである。したがって、アップライトに構えて、スウェーやフットワークで相手のパンチを外すという、似たようなスタイルの選手が多くなってくる。それが上記のボディーを打てない真因にもなっているのかも知れない。ところが、国際大会に出ると、外国の選手は普通に頭を下げてダッキングをしてくるので、日本人は戸惑うそうである。なぜ日本だけダッキングにうるさいのだろう?私のジム所属の元社会人チャンピオン(現日本ランカー)は、そのウエイトにしては非常に背が低く、普通にガードして相手に接近していったら、「頭!」と注意されたそうである(笑)どうすればいいねん!という話である。
B グローブを動かしても怒られる(なんじゃそりゃ?)
これもある選手から聞いた話だが、リズムを取るために、グローブを顔の前で小刻みに揺らしていたら、レフェリーに「むやみに手を動かすな!」と注意されたそうである。え?!嘘のようなホントの話です。
C コンピューター式採点はネタの宝庫である
もう笑い話がたくさんあるそうである。2発のパンチを1秒以内に打つと機械が反応できないとか、試合内容とは関係なくボタンを連射するジャッジの話とか・・・。もうおかしくて腹がよじれるくらいネタがつまっているそうである。
プロの世界では、アマチュアから選手を引っ張るのだったら高校生のうちが良い、というのが定説になりつつある。大学に上がればそれなりに技術は上達するのだろうが、上記のようなレフェリングのもと、多くの選手はボディーが打てなくなり、ダッキングが出来なくなり、どんどん画一化され、ようするにプロ向きでないスタイルに矯正されていくからである。
別にアマはプロボクサーの養成機関でないからそれでも良いが、せめてアマチュアの国際大会で勝利する人材くらいは育てて欲しいものだが・・・
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