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今から1年半ほど前、当時20歳だった少年は、何も持っていなかった。
バスケをやるためにアメリカに留学してきたのだけれど、体格差に限界を感じて早々に辞めてしまった。高校を中退してまで後を追いかけてきてくれた、日本で2年間付き合った彼女にも、アメリカに来てアッサリとフラれてしまった。ウェイター、引越し屋、寿司シェフ、配管工・・・・NYでは幾つもの仕事を経験したが、どれもすぐにクビになってしまった。
カネも、仕事も、彼女も、夢も、目標も・・・・本人の言葉を借りると、彼は「スッテンテン」だった。すべてを失くし、何も持たず、NYに独りぽっちだった。
この国では、たったひとつだけでいい。何かひとつでも出来る事があればそれだけをやらしてくれる、アメリカはそんな寛大な国だし、特にNYとはそういう所だ。
しかしその頃の少年の手元には、何も残っていなかった。手先も人間関係に対しても酷く不器用だった彼が、NYで生き残るためには、そんなに多くの手段はなかったのだろうと思う。ドラッグの売人にでもなるか、ヒモにでもなるか・・・・または壊されたバスケへの想いの他に、彼が唯一持っていた武器、「身体」を使うか。
そんな時期に、文字通りどん底の季節に、少年はボクシングと出逢った。そう、少年にとって、ボクシングは新しい「武器」だったのだろう。そんな風に僕は思う。
「あの頃はホントにね・・・・落ち込んだし、真剣に考えましたよ、オレはこれからこの国で、どうやって生きていけばいいんだろう?って」
三重県出身、アメリカに来て3年の鈴木ヨウジは、懐かしそうに、微かに楽しげに、かつての暗黒の日々を僕に語った。
「18歳のとき、初めはテキサスに住んでたんだけど、その時も・・・・怖かったなぁ。
NYと違って日本人なんかどこにもいないし、言葉はまったく通じないし、どうしたらいいのかわからなかった。着いた日、ホテルで泣きましたよ。あんなに怖い思いをしたのは初めてだったから。2週間くらい毎日、同じ夢、関西空港で連れに手を振るときの夢を見て・・・・今となっては良い思い出、貴重な体験ですけどね(笑)」
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僕が彼に話を聞いたのは、ニューヨーク・シティで行われるアマチュア・マッチを翌日に控えた夜だった。
試合前日だというのにヨウジに緊張感はまったく感じられない。多くのボクサーは試合前、ひどくナーバスになる。食事はロクに喉を通らず、夜はほとんど眠れず、そんな者も珍しくはない。なのに、彼は・・・・
「変に緊張したりはしないですね。練習よりも試合の方が絶対に良いファイトが出来る。人がいっぱい観ている前で、歓声を浴びて。その方が燃えてくるし、試合前は早くやりたくてウズウズするんですよ。緊張して力が出せなかった、なんてことは今までもなかったですね」
ボクシングを始めて1年以上が経ち、もうすぐ22歳になる。短く刈り込んだ坊主頭に、鋭い眼光。物静かだが、いかにも意志の強そうな男っぽい顔立ち。現代のボクサーたちは、一般でのイメージよりも遥かにカジュアルで、どこにでもいるようなごく普通の好青年であることが多い。だが鈴木ヨウジは、無骨で硬派な、古いタイプのボクサーのイメージにより近いのだろうと思う。成熟した少年である。精悍な横顔は年齢以上の落ち着きを感じさせる。
「試合前も緊張したりはしない」
誇張や強がりではないだろう。きっと彼はアメリカに来て以来、もっと緊張する場面に幾つも出くわしてきたのだろう。ボクシングを始める前、渡米して来たばかりの頃には、少年はもっと、ずっと、無垢な表情をしていたのかもしれない。
バスケを諦めテキサスのカレッジを中退したあと、鈴木ヨウジは、ロスアンジェルス、そしてNYと、転がり落ちるように渡り歩く。バスケを辞めたあとやりたいことなど何もなかった。独りで寂しくて、酒を飲んでばかりいた。仕事はどれも3〜4日しか続かないので、金があるわけもなかった。
「それだけいくつもクビになると、段々ね、自分に出来ることなんて何も無いんじゃないか?そんな気がしてくるんですよ・・・・」
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そんな頃に、手探りで始めたボクシング。特に大きな決意があって選んだわけではなかった。幼い時分から興味はあったが、「男だったら誰でも一度はやってみたいって思うでしょ?」という程度のものだった。だがそのジム・ワーク開始の時期を境に、ヨウジのアメリカン・ライフはゆっくりと、しかし着実な上昇カーブを描いていく。
初めて体験したボクシングのトレーニングは、思いのほか楽しかった。団体行動が苦手だったから個人競技のボクシングは肌にあった。デカい奴らには歯が立たなかったバスケと違い、体重制のボクシングはむしろラクに感じた。いかにもボクサー然としたジムのボスの男らしさにも魅せられた。時間だけはいくらでもあったので毎日一生懸命に練習した。休まずジムに通って黙々とサンドバッグを叩いていたら、メキシコ人の有能なトレーナーに認められて、直接の指導を受けられるようになった。頭角を現すのは早かった。バスケをやっていたおかげで、もともと体力も動きのスピードもあった。アメリカ人相手でも力負けすることはなかった。何より、相手のパンチを怖がらないファイティング・スピリットが彼にはあった。
冒頭に書いたように、当時、鈴木ヨウジは実生活で使える「武器」を何ひとつとして持っていなかった。だが、スピード、パワー、勇気、トレーニングを継続する根気・・・・ボクシングを始めてみてすぐに気付いた。彼は殴り合いに必要な要素だけは既にすべて持っていたのである。
ボクシングを始めて約1年半。いつの間にか、ジム内でもある種の尊敬を集めるほどのボクサーに、鈴木ヨウジは成長していた。
――ボクシングのどんな所が一番好き?
「やっぱりスパーリングが一番楽しいですよね。強い奴と打ち合うのが楽しい。弱い奴を叩きのめしてもつまらない。これからも、本当に強い奴とどんどん戦ってみたいです」
――当面の目標は?
「早くプロボクサーになりたいですね。トレーナーには、「2年間アマチュアで経験を積め。そうすれば必ずプロでやっていけるから」なんて言われてるんだけど。でも早くなりたいなあ・・・・。オレはまだアメリカに来て、何も成し遂げてないですからね。プロになれれば、自分の中でも一区切りつけられると思うんですよ」
しばらくボクシングを続けて自信と目標を取り戻せた頃、いろいろなことが少しずつ変わっていった。床タイル屋の仕事を見つけた。自由で気ままな職人仕事は、個人主義の自分にピッタリ合っていた。どんな仕事をやっても最高で2週間しか続かなかったヨウジが、以降1年4ヶ月、同じ職場で働き続けている。新しい仕事を探すことも、傲慢な上司とケンカして罪悪感に苛まれることも、もう必要ない。
新しい彼女もできた。3歳年上でフィリピンからの移民の彼女はアメリカ国籍を持っている。とても仲が良く、結婚の話もするのだという。このまま結婚すれば、グリーン・カードだって手に入る。長くひきずった日本の彼女への想いは、いつの間にか消えてなくなっていた。来たばかりの頃、毎日のように見ていた故郷の夢も、最近はまったく見ていない。
「ボクシングを始めて、すべて良い方向に変わった?そう言われてみれば・・・・そうですよね。昔にくらべたら、そうですよね、えらい違いですよね。でも今でも先のことを考えたら不安ですけどね・・・・」
――今は、ボクシングがすべて?
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「まだそういう考え方はできないですね。ボクシングは好きだし、プロでいけるところまで行こうと思ってはいるけど・・・・ たぶんちょっとビビッてるんでしょうね。もし今、ボクシングでそこまで思いつめて、またダメだったら。またバスケの時みたいに、すべてを失くしてしまったら・・・・。怖がってるんでしょうね、たぶん。知らずのうちに逃げ道を造っているのは、たぶんあのときの記憶が強烈だからでしょうね。今は早く、プロになりたい。そのときに、ボクシングに対する意識はまた変わると思うんですよ」
――将来のことをよく考える?
「そうですね。不安は大きいけど・・・・。でもその反面、もちろんすごく楽しみでもあるんですよ。あと5,6年したら、その時の自分は、いったいどうなってるんだろう、って。たぶんプロボクサーになってて、新しいビジネスを始めてるかもしれないし、グリーン・カードだって取れているかもしれない。どんな風になってるんだろう?少し心配だけど、でも、楽しみですよ。まず第1に、プロボクサーにならないと。そうすれば、なあ・・・・」
「ファイター・フロム・レッド・コーナー!ヨージィ・スズキィ!!」
9月上旬の金曜日。マンハッタン、ミッドタウンの特設リング、夜9時。数百人の観衆に見守られて、21歳の日本人ボクサー・鈴木ヨウジは、リングへの階段を上がっていった。 軽く2,3発、宙に向かってパンチを繰り出す。信頼するトレーナーの声に耳を傾ける。ひとつひとつの動作が、ボクサーらしく実にサマになっている。
テキサスの片田舎ですべてを失くし、カラッポだった少年が、今では世界の首都NYのリングに立っている。大きな歓声の先で堂々とスポット・ライトを浴びている。
鈴木ヨウジは旧いタイプのボクサーだ、とは既に書いた。今風な、フィットネスや格好つけのためのボクシングではない。ハングリーな日々から這い上がるためのボクシング。彼のハングリネスとは金銭的な意味だけではない。自らの存在理由を築くために、彼はジムに通い、トレーニングに明け暮れた。
ボクシングという「武器」を手に入れて、アメリカと戦い、ヨウジはようやくNYで自らの居場所を手に入れた。
まだ自信は持てない。ボクシングという「武器」が「人生」に変わるのは、もうしばらく先だろう。トレーナーいわく、「あと2年」。
戦いは、まだまだ続く。
今日の試合開始のゴングが鳴った。一際大きな歓声が上がる。カメラのシャッターが幾つか切られる。
その中で、少年はリングの中央に足を踏み出し、歓声を切り裂くように、大きな左フックを放った。
新しいラウンドは、まだ始まったばかりである。
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