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『プロローグ 〜最低プロの特別な1勝〜』 |
Text by Katsuya Ohkubo |
| およそ2年ぶりの白星で連敗を3でストップ。ジム移籍後初の勝利であると同時に、階級を2つ上げてスーパー・フライ級ウェートとなってから初めての勝利でもあった。 8月16日、後楽園ホール。特別な1勝をあげて引き揚げてきた横山啓介(JBスポーツ)は、控え室の椅子に腰をおろすなり「あ〜緊張したぁ」と呟き、はにかむように笑った。そして、2、3人の記者を前に続きを話し始めた。 「だってさぁ、入場する前に『3連敗中』とか放送するんだもん。調子は悪くなかったけど、なんか出にくいなって感じで。相手がね……。途中で『(相手が)効いた!』って周りはみんな言ったけどさ、オレは効いてないと思った。スタミナにもずっと不安あったけど、とりあえず10ラウンドできたから……」 と、傍らで手作業をしていた高橋直人会長が、たまらず口を開いた。 「とにかくさ、つまんなかった。プロとして最低。オレが客だったら、まちがいなくタバコ吸いに行ってる時間だよ。移籍して初勝利だからホッとしてもいいけどさ、今日よかったのは勝ったということだけ。もっとプロなんだからさ、……」 最後の言葉を飲み込んだ会長は、また次の試合のセコンドへつくために慌ただしく部屋を出ていった。短くて辛らつながら、実に的を射た批評であり、まぎれもない正論だった。あとに残された人たちは、一瞬、言葉を失うしかなかった。 たしかに、その夜の横山の10回戦は、これといった見せ場もない平凡な内容だった。セコンドよりもシビアだったのは観客である。元ナショナル王者同士のセミ・ファイナルだというのに、終盤戦に入るころには席を立って用をたしにいく人々の動きが活発となり、「そこで打ち合え!」「KOしろ!」といった高橋会長のがなり声ばかりが、むなしく場内に響いていた。 相手のジェリー・パハヤハイはフィリピンの元ミニマム級王者で、キャリア77戦の大ベテラン。のちに世界王者となるガンボア小泉(フィリピン)やポンサクレック・シンワンチャー(タイ)を遠い昔に破っているが、近年は日本の実力者たちの手ごろなチューンナップ役に成り下がり、善戦はしながらも結局は白星と箔を相手に捧げてきた。 このところの日本のリングでは、「噛ませ犬」の汚名を返上するかのようなフィリピン人による番狂わせが、たびたび起きている。しかし、日本のミニマム級とライト・フライ級の2階級を制覇している横山の実力からすれば、パハヤハイは態のよい安全牌のはずだった。 そしてそれは両者のリング・インから、いっそう顕著となっていった。どちらもミニマム級出身ながら、体は横山がひと回り以上も大きい。試合が始まると、横山が中間距離をキープしながらジャブ、ワンツー、左ダブルと、教科書通りのボクシングで難なくペースを握っていく。パハヤハイは付き合う程度に手は出すものの、おおむねディフェンシブで迫力不足。5回、横山のワンツーがきれいに決まり、なおも右アッパー、右フックと攻勢をかけると場内に歓声があがった。しかし、どこかまだ遠慮がちな横山のオフェンスには、本来の力強さに欠け、パハヤハイは立ったまま余裕を残して6回を迎えた。するとそれ以降は互いに歩調を合わせるかのように運動量を減らしながら、静かで長い時間を消化していったのだった。 「でも今日はいままでより右ストレートが出ていたし、前半はよく当たってたんじゃない?」 ボクの問いかけにすぐ反応したのは、横山とコンビを組む篠田朋恒トレーナーだった。 「そうなんですよ。右ストレートはよく練習してきましたから。いまやってる練習はジャブとかワンツーとか、足の運びとか、基本的なことばっかりなんです。当てたあとの、あと一歩の詰めが、これからですね。次からは勝ち方にもこだわっていかないと……」 すると黙って聞いていた横山が、少し口を尖らせながらこう言った。 「だってね、今日はオレ、判定で勝つと最初から言ってたし」 「プロなんだからさ、……」と、高橋会長が言いかけた話の続きに何がくるのか。何を言わんとしていたのか。それがわからないほど横山は無知な男ではないし、それができないほどの無能なボクサーでもない。すなわち、プロらしくないことは承知の上で、確実に勝つためだけに淡々とラウンドを重ねたのである。しかし、彼はまた、そうして我を通したところで人々の共感や興味をうむようなスター選手でもキャラクターでもなかった。そして、現役時代に「逆転の貴公子」として名を馳せた高橋会長は、リング内のファイトのみで人々のハートをつかんだプロ中のプロだった。 ではなぜ、横山はどこまでもシンプルにファイトしなければならなかったのか。端から勝つこと以外に目を向けず、KOチャンスに決めにいく勇気や欲をもとうとしなかったのは、なぜだろう。 3連敗中だから?ジム移籍後の初戦でKOされていたから?もちろん、そうしたことも上辺にはあるだろうが、深層には彼のパーソナリティーや境遇といった動かしようのないファクターがはびこっているはずだった。 いちいち言い訳がましくて、わがままで、聞く耳をもたない頑固者。 どうやら、ボクシング界ではそのような男として認知されているらしい横山啓介を、ボクは人よりも理解しているつもりだ。なぜなら、奇遇にも同じ1月19日生まれの彼に、ボクはいつからか自分を重ね合わせて見ようとしてきた節があり、この2年は折にふれて彼の舞台裏にも立ち寄ってきたからにほかならない。 おかげで、多くの人には退屈だったことだろう彼の10ラウンズを、ボクは労せずに最後まで集中して見ることができたのだった。 横山は12月6日、日本2位の結城康友(ヨネクラ)と対戦する。
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