戦士と語る=現場編=その9

元東洋太平洋バンタム級チャンピオン
Text By 新田 渉世
Photo By 菊


花形ジム
南 健司マネージャー


 プロモーターというお仕事は、より良いカードの興行を企画し、観客を集めて収益を得ることであろう。どちらが勝っても観客が喜べばそれでいい。これに対してマネージャーというお仕事は、選手の商品価値を高め、プロモーターから少しでも多額のファイトマネーを選手と自分に得ることであろう。当然自分の選手を勝たせたい。日本のボクシング界では、この何となく相反するような2つの仕事を"ジム"という単一の機関が同時におこなうケースが多い。つまり、"どちらが勝つか分からないエキサイティングなカードで観客動員数を上げ、尚且つ次回の興行の為に自分の選手を勝たせる"という少々難しいお仕事をしなくてはならないのだ。


 のっけから難しい話になってしまったが、10月1日に金子ジムとの共同プロモートで、新田ジムプロ選手3名のデビュー戦が決まり、"プロモーター(見習いみたいなものだが)兼マネージャー"という難しいお仕事に足を突っ込んでしまった私は「大変なんだ!!」とほざきたいのである。

 前々回の林隆治 ヨネクラジムマネージャー、前回の浅谷和範 伴流ジムマネージャーも、ジム所属のマネージャーである以上、"プロモーター兼マネージャー"というお仕事をしなければならない立場にある。そういう意味で私とは"同業者"であり、また"大先輩"でもあるのだ。今回は浅谷マネージャーから、これまた"同業者"であり"大先輩"でもある南健司 花形ジムマネージャーを紹介していただいた。

 今回が初対面となる南氏とは、横浜線鴨居駅近くの花形ジムで待ち合わせることになった。Vol.10でも語っていただいた花形会長は、相変わらずニコニコと練習生達にジョークを飛ばしながら、前回同様、会長自ら挽きたてのコーヒーを入れて下さった。また、かつて花形ジムからプロデビューした私の大学の後輩である菅野クンが、トレーナーとして活躍していたので思わぬ再会が果たせたりもした。そんな縁の深い花形ジムは、前回訪れた時と変わらないアットホームで明るいジムだった。Vol.9に登場した元WBA世界ミニマム級チャンピオンの星野敬太郎氏が、別の用事で同席出来なかったのは少し残念だったが・・・


 南健司氏は、某大手自動車メーカーの藤沢工場で物流関係の仕事に従事するサラリーマンでもある。横浜育ちの33歳(星野氏と同い年)。そもそも南氏とボクシングとの出会いは、あの浪速のロッキー赤井英和の世界戦がきっかけだった。その激闘を観戦し、ボクシングという競技に目覚めた南氏は、あるフライ級世界チャンピオン誕生の瞬間を目の当たりにし、「こんな小さい人でも世界チャンピオンになれるんだ」と自らも競技者として戦う決意を抱き、高校1年の時に花形ジムに入門したのだ。アマで数戦した後、プロテストには合格したものの、「やっぱり怖くて・・・」とライセンスを取得した後すぐ引退してしまった。いまだに試合出場を目指し、"なんちゃってマネージャー"になることを目論んでいる浅谷マネージャーとは対照的である。

 それからというもの、専ら花形ジムの選手を中心に観戦者の立場でボクシングと付き合ってきた。やがて「花形月報」なるジム通信を毎月発行するようになり、そのことがスポーツ紙やボクシング雑誌などで紹介されるようになった。内容は試合レポート中心で、インタビューなど、ジム密着ならではの企画が盛り沢山。また「花形月報」以外にも、試合の予定や結果などの詳細(日付、場所、選手名、戦績、ウェイト、所属ジム、試合内容、等々)を表やグラフにまとめた資料作りもおこなっている。その一部を実際に見せてもらったが、おそらく某大手自動車メーカーのサラリーマンとして日々おこなっている業務を、存分に活かしているのだろうな―と思える上等な資料だった。私も3年程サラリーマンを経験したので、懐かしいような、もうウンザリのような複雑な気分だった。


 あまりにもよく選手のことを把握している南氏は、やがて花形会長からマネージャーのライセンスを取得させてもらい、マッチメークなども手がけるようになっていった。「もちろん最終決定は会長がおこないますけどね」と謙遜しつつも、花形会長の力強い片腕となっていることは想像に難しくなかった。


 こうしていつの間にか(?)誕生した南健司マネージャーは、星野敬太郎と同い年ということもあり、互いに駆け出しの頃から関りをもって過ごしてきた。星野の世界戦では仕事の傍ら、取材申し込みの受付や試合当日のテレビ中継の打合せなどの準備に奔走し、幾度となく彼を影で支えてきた。「世界一の戦いを手掛けられる。こんな幸せなサラリーマン、他にはいませんよ。」と、スポーツ紙のインタビューで答えている。彼が作成した世界戦前の作業概要をまとめた資料を見せてもらったが、担当別の詳細なタイムスケジュールがびっしりと記載されていた。これもまた懐かしいような、もうウンザリのような複雑な気分だった。

 そんな優秀なマネージャーである南氏の結婚をマネージメントしたのは、星野敬太郎の方だった。2002年7月アランブレッド戦での王座陥落後、星野が気晴らしに設定した"合コン"が南氏と多重子婦人の出会いだったのだ。翌2003年5月ふたりはめでたくゴールインしたことで、星野も優秀なマネージャーであることが証明された。余談だが私の場合も、どちらかというと難しい資料作りよりこういった仕事の方がやりがいを感じるし、多分得手のような気がする。

 南氏はあくまで本業がサラリーマンである以上、フルタイムでのマネージャー業務は出来ない境遇にある。しかし、彼はこれまで"ボクシングこそ己の本業"と言わんばかりの活動をしてきた。長い歴史を持つ業界関係者の集いである"ガゼット座談会"には、'96年から出席するようになり、業界での人脈を飛躍的に拡大した。'96年は、毎年ニューヨークで開催されるボクシング殿堂入りパーティの式典に参加したり、2000年には会社の長期出張を利用して、インドネシアボクシング事情をレポートしたりと、本業そっちのけ???と思ってしまう程の活躍をしてきた。

 そのことについて南氏はこう言う―

「ボクシング界で仕事をするようになって、多くの人と話をするようになった。それは本業でも役に立っている。自信を持って人と接することが出来るようになった。また、会社とジムという"違う空間"が、非常に良いバランスを作ってくれている。本音はボクシング一本でやっていきたいけど、まあ現実は難しいですよね・・・」

 今のところは、ボクシング界での経験を本業に活かしながらうまく両立しているという印象だ。どちらにしてもこういう優秀な若手の人材が、ボクシング界にどんどん増えてくることは良いことだと思う。(ちょっと生意気か?)彼らとともに日本のボクシング界を盛り上げ、世界に通用する業界にしてゆけたら、またその一旦を担えたら面白いだろうな・・・


 今回はジムでの会話に十分な時間を取った為、恒例の"一杯"はジムを出た後のほんの1時間程と短かった。おかげで(?)話の内容も割りとはっきり覚えていたし、取材メモもしっかり取ることが出来た。めずらしくやるべき当たり前のことが出来て本当に良かった、良かった。次回も、いやいや、いつもこうありたいものである。




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