ニューヨーク日誌 番外編  By 加茂佳子




ニュージャージーにガッティを見に行くの巻 3

 NYには大好きな女友達が住んでいる。アメリカ人で名前をアリス、という。彼女はまったく日本語が話せず、私は英語がダメである。が、初対面のときから他人とは思えないほど気が合い、面倒見のいい彼女は、とても我慢強く私のつたない英語を理解してしようと頑張ってくれる。なので不思議と意志の疎通が図れてしまうのだ。

 彼女は私と同業で、教育関係を専門にしている。が、その真面目な分野の仕事内容とは裏腹に、人間はいい感じの壊れ方をしている。

 長めの髪をアップにしているのだが、そのお団子状にまとまった髪にはたいていボールペンや鉛筆が突きささっている。八百屋のおじさんが耳に鉛筆を挟み込むのと同じ感覚で、モノを書いたあと鉛筆を髪にしまうクセがあるのだ。で、そのことを忘れてしまう。だから少なくとも1本、多いときには4、5本、鉛筆やボールペンが頭から生えている。まるで「自由の女神」である。で、髪の間に鉛筆をしまったことを忘れるぐらいなので、そのまま外出だってしてしまう。

 ニューヨークの人々は、他人の恰好に頓着しない。私も以前、地下鉄でウェディングドレス姿の黒人男性が平然と新聞を読んでいるのを見かけたことがあるが、周囲の人達は見た瞬間こそ、ギョッ、とした表情を見せたものの、(あーまたこんな人もいるわね)という感じであっという間に無関心になった。アリスが何本鉛筆を頭から伸ばしていようが、そんなのは可愛いレベルである。「お洒落のひとつ」、あるいは単なるイカレた人、と思われている可能性も高い。だから誰一人として「ペン、ささってますよ」とは教えてくれないらしい。偶然、お店のウィンドーに写った自分の姿を見て「あわわわ」と慌てる日常なのだ。
 そんなアリスに、友人として私がアドバイスできるのはただひとつ。

「出かける前には鏡をみろ」

 彼女のもうひとつの特徴は、ちょっとアル中気味、ということだろうか。

 ニューヨークに着いた日、夕食の約束をしたのはこのアリスだった。待ち合わせの場所につき、何を食べに行こうか、と相談していたときのことだ。相変わらずお酒飲んでる?と聞くと、

「しばらくお酒は控えてたのよ。ほんとよォ。でも久しぶりにヨシコに会って嬉しいから今日は呑んじゃおっかな」

 と答えた。お酒を飲むことを、一応恥じ入ってみせるところが可愛いのだが、私が「OK!」と答えるか答えないかのうちに、彼女は目の前から消えた。すーっ、と一軒の店に吸い込まれるように入っていくところだった。酒屋さんである。飲む=レストランやバーで、と思っていた私は世間が狭かった。
「立ち飲み」という男らしいワザもあるのだ!

 店の前で待っていると彼女は嬉しそうな顔をして出てきた。

 茶色の紙袋の中にはジンのミニボトル。

 が、ニューヨークでは路上での飲酒は禁止である。罰則もあるという。アリスはキョロキョロと周囲を見回し、「あった!」と言うと小走りで駆けていった。行き先は公衆電話ボックス。

「電話をかけるふりをしながら、素早くグイッと流し込めば大丈夫なの!」

 キュッキュッと蓋を開けると、さっそくジンをあおった。ストレートである。

「アル中は、外ではたいていここで飲むのよ。ほら」

 指さす方を見ると、電話機の横には、同じく紙袋にはいったビールの空き缶やウィスキーの小瓶などがごろごろと置かれていた。うーむ。

 私にも勧めてくれたが、お酒に強くない私に原液は濃すぎる。固辞すると、ニッコリ笑った。

「じゃ、きちんと飲みにいきましょう」


 日本を発つ前、彼女には電話でボクシングの試合を見に行く、と言ってあった。

「ニュージャージーに行くのはいつなの?」

 聞かれた私が、「実はまたチケットが取れてない」と言うと、「まぁ! そんな! どうして!」とオロオロし始めた。我がことのように心配したり喜んでくれる人なのである。

で、「私に出来ることある?」と言ってくれたので、チケットマスターに電話をしてほしいと頼んだ。

 キャンセルのぐあいがどうなのか、ほかにチケットをとる手段はないのか、そのあたりを確認したくとも電話ではとても私には聞き取れない。

 その翌日は、朝から二人して戦いに臨んだ。

 アリスは自宅から何度もチケットマスターに電話をかけてくれた。私はホテルでインターネットの画面を睨みつけながら、チケットの残り枚数「0」が「1」になるのを待っていた。時々思い切って「キャンセル出ませんか?」と電話をした。返事は幾度かけてもノーであった。そのたび、私はなぜニューヨークまで来てこんなことをしているのだろうかと悲しくなった。嫌倒れしてしまおうか、とも思った。だが、勝負は最後まで諦めてはいけない! ボクサーたちの戦う姿から何度も教えられてきたじゃないか、と弱った気持にムチを打った。

 5.6時間が過ぎたころだった。

 パソコンの画面を見続けたせいで眼が霞む私の耳に、チリリン……という電話の音が聞こえた。

 もしもし、と出るなり、甲高い叫び声が突き刺さった。

「やったわ! 200ドルの席、一枚キャンセル出たって!」

 アリスであった。

「うぎゃぁぁぁ!! あわあわあわ」

 私の声はもう言葉になっていなかった。アリスもハイテンションである。

「その席でもいい?」

「いい、いい、いい、それで取って!」

「OK! じゃ、電話切るわね」

「了解!」

 嗚呼、その時の私の幸福感をわかってもらえるだろうか。喜びをどう表現していいかわからず、無意味に部屋を歩き回り、ガッツポーズをし、喜びの舞いを踊った。

 と、そこへ再び、チリリン……。

「あ、ヨシコ?」 

 アリスの声がさきほどとうってかわり、重く暗く沈んでいる。

「……どうしたの?」

 嫌な予感。でもまさか、ね。

「……あのね、さっきヨシコに電話してた間に売れちゃったみたい……」

「……えええええええええええええええええッ!!!!!」

 そのときの私の悲壮感をわかっていただけます……?

 つづく 




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