NY、勝手に殴れ!
 キングスウェイ・ジムの風景 〜NYジムめぐりvol.1 ]
Text Photo By 杉浦 大介






 この日のトレーニングは、いつも通り2Rの縄跳びから始まった。インターバル無しに7分間スキップロープを続け、身体をほぐし温める。

 隣りでは我が「キングスウェイ・ジム(Kingsway Boxing Gym)」の看板ボクサー、ヘビー級世界ランカーのジャミール・マックラインが鏡に向かってシャドー・ボクシングをしている。

 「よぉ、おまえジャパニーズだろ?オレのマネージャーは日本食レストランのオーナーもやってんだ。オレと一緒にそこに行けば何でも食い放題だぜ、へへへ。今度連れてってやるよ」

 ジャミールはひと月後に、アメリカ最大のケーブルテレビ局・HBOで放映される試合を控えている。軽口とは裏腹に、動きは鋭い。今年1月にウラジミール・クリチコに敗れてしまった彼だが、全米の注目を集める次戦の内容次第では、再びスターダムに踊り出るのだろう。トレーニングにも自然と熱が入る。

 縄跳びを終え柔軟体操を始めた僕に、今度はプエルトリコ人のトレーナー、ラフィーが声を掛けて来た。

 「おまえ、そのうちマイ・ボーイのダニーとスパーリング(練習試合)をやらないか?白人だけど、ダニー・ボーイもなかなかやるぞ。準備しとけよ」

 ヒマなときはいつも大声で歌を唄っているか、入れ歯の調子を調べている、ラフィーはプエルトリカンらしい陽気なオヤジである。ガッハッハと大口を開けてよく笑う。いかにも気楽なオッサンだ。

 ウォーミング・アップ、シャドーを終え、サンドバッグに向かう。全力でパンチを打ち込むが、僕と並んでバッグを叩いているガーナ人、アブドゥル・ラヒームの迫力には敵わない。パワーでは黒人には到底太刀打ちできない。僕たちアジアンが彼らに勝つには、スピード、テクニックを鍛えるしかないのだ。

 「ダイスケ、お、お、おまえのタオル、か、か、可愛いな。あ、余りがあったら、お、お、オレに譲ってくれよ」

 どもりが酷くて、アブドゥルとの会話は難しい。彼のどもりは生まれつきか、それともボクシングのダメージのためか?


 傍らのリングでは、アルゼンチン人のトーマスと、フランス人のウィッチがスパーを行っている。しかし、どちらかが脚を踏んだとか、ヒジが当たったとか、興奮した2人はケンカ寸前。やれやれ。ハード・パンチャーのトーマスには以前、練習でTKOされてしまったことがある。僕は密かに復讐の機会を窺っている。実はけっこう根に持つ方なのだ。
 ジムのボス、元々はナイジェリアからの移民だというマイケル・オラジデは、リングサイドのベンチに座ったまま眠りこけている。彼はやる気があるのかよくわからん。月謝のチェックもロクに行わず、何故あれでジム経営が成り立つのか不思議だ。

 マンハッタンは28丁目にある「Kingsway Boxing Gym」は、いかにもNYらしい雑然とした多国籍軍である。世界中から集まってくる懲りない面々たちが、それぞれのアメリカン・ドリームに向かって日夜汗を流している。

 去年の試合前に僕は、1週間でアメリカ人、フランス人、ロシア人、日本人と交互にスパーをする機会があった。それぞれのボクシング・スタイルに国民性が現れているように感じて、なかなか興味深い体験であった。アメリカンはひたすら攻撃的、フランス人はパワーよりもテクニック重視、ロシア人はやたら基本に忠実、日本人はスタイリッシュなんだけど怖さが皆無・・・・。まあ人それぞれで一概には言えないのだろうけれど。

 サンドバッグを打ち終え、マシンに向かいウェイト・トレーニング。この日はスパーリングもミット打ちもやらない、ごくごく軽いメニュー。コンディションを整える程度でトレーニングは終了。

 例え試合を控えた選手でも、練習は誰にも強制はされない。内容も自分で決めて、調子の悪い日は自己判断で打ち切ることができる。

 「It's up to you.(すべては自分次第)」のNYでは、ボクシングのトレーニングも「up to you.」なのだ。

 ジムでの1日は、こんな風にして過ぎていく。変化に富んだNYの街だが、この場所での風景は昨日も今日も明日もそんなに変わるものではない。


 僕はプロボクサーではないけれど、27歳になった今でも、時間を見つけてはジムに行ってボクシングのトレーニングを続けている。一昨年は2度、昨年は1度、アマチュアの試合にも出場した。でもライター業の傍ら、そんなことばかりをしていると、周囲から聞こえてくるのは好意的な意見ばかりではない。ボクシング=拳闘=殴り合い、という競技の特性上、女性陣からの風当たりは特に強い。

 仲良しの韓国人の女の子は知り合ったばかりの頃、

 「私はボクシングなんて大キライ!他人を殴り飛ばして何が楽しいの?もし私のボーイフレンドがボクサーだったら、もうそれだけでバイバイよ!」

 などと吐き捨てていたものだ。

 日本食レストラン勤務時代の元同僚ウェイトレスさんからも、以下のような厳しいメールを頂いたことがあった。

 「人をばこばこなぐって、相手は血を出すのに、それでも止めなくて、相手をノックアウトするまで続ける、、、、、なんて、平和主義の私には見ていられません。
 特に選手が好きな人で、その人が殴られていたりしたら、リングにのぼって相手をひっぱたくね」

 そのウェイトレスさんは体育会系だったのにねぇ。

 開放的な僕の母親も、ボクシングだけはダメなようだ。

 高校を卒業して大学に入った時期くらいから、母親は僕のやることに何も口を挟まなくなった。いつでも僕の意思を尊重し、信頼し、温かく見守ってくれているように思う。しかし、眼疾を患い「試合は一度だけ」と決めて臨んだデヴュー戦。そこでKO勝ちして調子に乗った僕が、すぐに2試合目を決めてきたとき、母は怒った。涙を浮かべて、母は怒った。

 「なんで?なんでウソつくの?1回だけで止めるって約束したでしょ?目が見えなくなったらどうするの?なんで母さんにウソつくの?」

 網膜剥離に進行する可能性がある、と1度はドクター・ストップまでかかった僕の左眼だが、以降悪化はしていない。そして僕はまだ、ボクシングを続けている。しかし試合前になるといつでも、僕はあの日の真っ赤に充血した母親の眼を思い出す。

 興味がない人に、ボクシングの魅力を説明するのは本当に難しい。大勢の人が見ている前で、パンツ一丁で、逢った事もない相手と殴り合う。かなり非日常的かつ野蛮な行為のように聞こえる。ケガもする。相手にキズを負わせることもある。そして1部の例外を除いて、お金など目に見える報酬はとても少ない。おそらくボクサーは誰でも1度はこう訊かれた経験があるのではないか。「なぜ、ボクシング?」。

「でも、ボクシングが好きではないあなたにもこれだけは解かって欲しい」。僕はいつも、こんな風に説明している。

 ボクシングは僕の人生を、間違いなくより豊かなものにしてくれた。肉体的にも、精神的にも、おそらく以前よりは強くなれたと思う。沢山の魅力的な人たちに出逢い、知り合うこともできた。去年の夏ごろに、あるノンフィクションを書くために行ったインタヴューで、28歳の4回戦ボクサーが言っていたセリフを思い出す。

 「ボクシングやってる人ってね、何故か良い人ばっかりなんだよなぁ。ホントにね、良い人ばかりなんだ。だから、辞められないよなぁ・・・・」

 僕はボクシングを通じて、世界を知った。どんな作家もアーティストも政治家も、どのガールフレンドでさえもできなかったことを、ボクシングは軽々とやってのけた。もしボクシングが無かったら、僕がアメリカに渡ることも、今これを読んでいる貴方と僕との幸せな出逢いも、絶対に訪れることは無かったと断言できる。

 ボクシングを始めてからの僕は、生意気で、熱狂的で、人生のダークサイドなどこれっぽっちも知る必要がなかった。

 ボクシングは、僕を幸せにしてくれた。それは、かけがえのないことだった。


 僕の旧い友人で、まだNYに留学してきたばかりの速寿義雄(ハヤス・ヨシオ)も、最近キングスウェイ・ジムでトレーニングを始めた。

 「スギウラさん、オレ、今日あのドレッド・ヘアーの黒人とスパーリングやるらしいんスけど。アイツ、強いんスか?」

 ――おぉ、ロニーと戦るのか!ヤツは強いぞぉ。ロニー・デイビス。アマチュアの2年連続NYチャンピオンだ。プロ入り後も15戦14勝。この界隈じゃたぶん最強だろう。頑張れよ、死ぬなよ。

 「・・・・マジっスか?オレまだ始めて2週間なんスけど・・・・」

 スパーが始まった。打ちのめされながらも必死で反撃する速寿を見て、リングサイドのジム・メイトたちから歓声が上がる。

 「自由の国」とは名ばかりの、人種差別に満ちたNYの街だが、少なくともジムの中は違う。ヨーロッパ、ラテン、アジア・・・・。どこの国から来た者でも、強ければ賞賛される。肌の色も、言語も、経済格差も、リングの中では関係ないのだ。力を見せれば、仲間として認められ、尊敬も得られる。

 気が付けばリングの周りに人垣が出来ていた。ジャパニーズとアメリカンのファイトを、世界中からやってきたボクサーたちが眺めていた。

 仲間たちの目の前で、ジャパニーズの速寿義雄は、大きな右フックを放った。その大振りのパンチは、日本とNYを繋ぐ掛け橋のようにも見えた。

 拍手を浴びてリングを降りた速寿は、立派なニューヨーカーになっていた。

 「ヘイ、ジャップ!明日も戦るからなぁ!」

 トレーナーのダミ声にギョッとする速寿を尻目に、再びの大きな歓声が続いた。




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