「愛すべきラスベガス」
ラスベガスより Text By 篠田誠司



 はじめまして。今回から連載させていただく事になった篠田誠司と申します。私は今、ラスベガスにあるリチャード・スティールのジムでトレーナーをやりながら大学に通っているのですが、日本とアメリカのボクシングを見てきて感じる事が多々あり、今回からこのように連載させていただく事になりました。もちろんラスベガスで行われているスーパー・ファイトなどに関しては、すでに雑誌などで詳しく書かれているため、私はラスベガスのローカルな部分に着目して書かせてもらおうと思います。

 まず自己紹介をさせていただくと、私は中学3年生の終わり頃に京都にあるジムでボクシングを始め、高校時代はアマチュアとしてボクシングをやっていました。卒業後は留学の為アメリカに渡り、一時はボクシングから離れた生活をしていたのですが、短大進学と同時にラスべガスに移った時、一度消えていたボクシングへの情熱がよみがえり、再び始めることにしたのです。

 ボクシングを始めるとなるとまず最初にする事はジム探しなのですが、比較的小さい町のわりには、ボクシングのメッカ「ラスベガス」だけあって、ボクシングジムは結構あるためそれほど苦労しませんでした。場所などの詳しい情報は、以前「ボクシングマガジン」で特集されていたラスベガスにあるボクシングジムの切り抜きを日本から持参し、それを頼りにジムを周りました。

 まず最初に行ったジムは、マイク・タイソンが練習するジムとしておなじみのGolden Glove Gymです。地図を片手に車で行ったのですが、わかりにくい小さな道の突き当たりにある為、見つけるのに一苦労しました(このジムは、現在木田投手が所属している「ラスベガス51s(LA ドジャース傘下のトリプルAのチーム)」の本拠地から道路をはさんで向かい側にあります)。

 まずジムに着いて思った事は「こんな所でタイソンは練習してるのか。(失礼)」でした。と言うのも、窓が一つもない大きなプレハブの様な建物だからです。(窓が無いのはラスベガスにあるジムに共通しています。タイソンなどのボクサーが練習する時には、関係者以外シャットアウトするので、外から見えないようにする意味もあるのでしょう。)
 中に入るとすぐ眼につくのが、今まで訪れた名ボクサーの写真。やはり古いジムだけあって多くの写真が飾られていました。ジムには高床式の試合用リングが2つあり、その他サンドバッグなどの用具が揃っていました。ジムに入ってすぐ横にある受け付けにいた女性に挨拶をし、ここで練習をさせてほしいと頼んだのですが、試合に出ない人は受け付けていないと言われ、当時アメリカで試合をするなどと考えていなかった私は、このジムでのトレーニングを断念せざるをえませんでした。

 その後、世界最高のレフェリーの一人として有名なリチャード・スティールと、シュガー・レイ・レナード(その後レナードは外れた)が共同で行っているジムに行き頼んでみる事にしました。このジムはラスベガスの中心部(通称ストリップ)からフリーウェイで北に15分ほどの所にある大きな施設です。

 元々このジムはボランティア施設として運営されており、ボクシングは人間育成の一環として行われています。その為ジムではボクシングの他、コンピューター教室や職業訓練、そして就職斡旋も行っており、オールマイティーな施設として地域に貢献しているのです。このジムでトレーニングしている学生のアマチュアボクサーは、成績をジムに提出しなければならない事になっており、一定の成績より悪い選手は試合や行事に参加できない事になっています。だからと言って見捨てるのではなく、補習授業を提供して、それに参加することによって試合などには出場する事ができるので、すべての子供たちにチャンスは与えられています。

 このような施設は日本ではあまり聞いた事がないのですが、LAではオスカー・デラホーヤが自費でボクシングと勉強を教える施設を地域に提供しており、人間育成にあたっているようです。話は少しそれましたが、Golden Glove Gymでの練習を断られてからこのジムに行き、早速ジムに入ると天井の高い大きな空間の中に、高床式の公式リングが2つ、そしてサンドバックなどの用具がそろっている他、見学者用のイスも10個以上並べられていました。

 その施設の充実ぶりに見とれている時、ジムの中にある事務所にリチャード スティールがいるのに気がつき、少し緊張の面持ちで話し掛けてみました。実はリチャード スティールとは私が高校時代に辰吉選手の試合会場で写真を一緒に撮らせてもらっていたので初対面ではなかったのですが、もちろんリチャード・スティールは覚えていなかったでしょう。(ジムに通い初めて1年後ぐらいに、その写真を見せたら「あー、覚えてるよ!」って言っていたのですが、そうは思えません。)

 とにかく、スティール氏は多くを語らない方ですが、つねに真剣勝負の場に身を置いてきた人間の風格が漂っています。彼は私に快く練習の許可をだしてくれ、その後約3年以上も練習生としてお世話になりました。その3年の間に、トレーナーの薦めもあり、試合に出ようと決心した時もありましたが、ネバダ州のコミッションは学生ビザでは許可を出さない為、アメリカでの試合は夢と終わることになったのです。話によると、ニューヨークなどでは学生ビザでも試合に出場できるようですが、アメリカは州によって国が違うように法律も違うので仕方がありません。試合はできなくなったものの、ボクシングへの愛情は変わらず持ち続けている私は、ジムの方に頼んでボランティアとしてトレーナーをやっていく事になったのです。

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