戦士と語る=現場編=その8

元東洋太平洋バンタム級チャンピオン
Text By 新田 渉世
Photo By 菊


伴流ジム
浅谷和範マネージャー


 一生懸命生きている人― それが私にとっての"戦士"の定義である。


 ヨネクラジムマネージャーの林隆治氏から紹介された"戦士"は、伴流ジムマネージャーの浅谷和範氏。

 伴流ジム?そういえば私がジムを設立した今年2月に、お手紙を送って頂いたあの伴流ジム??? ジム立ち上げ時の苦労話や、会員集めに有効だった宣伝方法、その広告のサンプルなどを見ず知らずの新参者に送ってくれたことは、今でも忘れられずにいる。その伴流ジムでマネージャーを務める浅谷氏と、ヨネクラジムの林マネージャーが親しい仲だったとは・・・

 林氏と浅谷氏は、ヨネクラジムに選手を出稽古に連れて行ったのが最初の出会いだった。その後、"業種横断交流会(ボクシング界の業種を超えた若手の集い)"などにも互いに出席し、親交を深めていった。同じ1975年生まれで、若くしてジムマネージメントの全般を任せられている、という共通の苦しみ(?)を持っていることもふたりを親しくさせた要因のひとつなのだろう。


 その苦しみ(?)を、期限付き(来春の就職時まで)とはいえ、今後どんどん味わってもらう予定の新田ジムマネージャー酒井知基君も、前回に引き続き傍らで身構えている。

 伴流ジムはマスコミ、プロ・アマ業界関係者は立ち入り禁止とのことで、今回は新宿の安い居酒屋で語ってもらうことになった。


 浅谷マネージャー誕生物語を簡単に紹介しよう。

 北海道で生まれ、大学受験の為に上京したが、勉強がつまらなくなってフリーターへ転向した。そんなある日、乗っていた電車の窓から伴流ジムの看板を見つけて、衝動的に入会した。入会して半年程経つと、会長の口から悪夢のような言葉が発せられた。「キミ、才能ないからマネージャーやりなさい。」

 23歳、めでたくひとりの若きマネージャーが誕生したのだった。

 「ボクと同じですね・・・」傍らで身構えている酒井君は、冗談交じりでそう笑った。勉強の為にマネージャー業務をおこなっているが、彼の本意はプロボクサーになることである。「才能ない―」なんて言わないから、頑張れ!!


 当時の浅谷氏はボクシングを始めてまだ半年。何も分からないまま月日が経った。ある日、選手を他のジムへ出稽古に連れて行った時のこと、スパーリングで打ち込まれる自分のジムの選手に対して、何もしてやれない自分がそこにいた。「ウチの選手がやられている・・・」初めて浅谷氏の心に熱いものがこみ上げた。「一生懸命やらなくては!」―彼はボクシングを勉強し始めた―
 
 人の心に火がつく瞬間というのはとても興味深い。「こうなりたい、ああなりたい。」という"憧れ"や"欲求"、また貧困や苦悩などへの"復讐心"というものが、人の心に火をつけるというのはよくあることだ。しかし、なかなかそういう類の"火"がつきにくいタイプの人も多い。そういう"冷めたタイプ"の人間の心にさえ火を着けるモノは、以外にも"誰かの為に―"という母性本能のような使命感だったりする。

 スパーリングで他のジムの選手に打ち込まれる自分のジム選手を見て、「一生懸命やらなくては!」と、勉強し始めた浅谷氏の心に火を灯したものは、そんな"使命感"だったように思える。

 私事で恐縮だが、自分の為に殴るのも殴られるのも、もう沢山だと思っていた私が、今の仕事、つまりジム経営、選手育成を楽しくおこなえているのも、そんな"使命感"が心に火を灯してくれているからではないか・・・などと思ったりしている。

 「ボクはどちらかというと、マネージャー色よりトレーナー色の方が強いかもしれませんね。」絵に描いたような"マネージャー"である林氏に対し、浅谷氏はミットも持つし、教え子のスパーリングの相手もする"トレーナー・マネージャー"だ。極めつけは本人もプロテスト合格を目指す"ボクサー・トレーナー・マネージャー"という変なヤツなのである。これまで2度プロテストを受験したが、惜しくも合格通知書は手にしていない。「ボクはワン・ツーが苦手だから」と、不合格の原因を分析する。「でもね、ワン・ツーほど難しくて、危険なリスクを持ったパンチはないですよ!」と持論を力説する浅谷氏はこの秋、3度目のプロテストを受験する。当面の目標はプロの試合に出場して"何ちゃってマネージャー"になることらしい。―よく分からん。

 そういえば、川島ジムの川島郭志会長や横田ジムの横田広明会長も選手達のスパーリングの相手をすることがあるらしい。両名ともいまだにジム最強ということだが、こうした体を張った選手育成という姿勢は、私も見習わなくてはいけない。この秋には、"何ちゃってマネージャー"が誕生することを期待したい。

 ともあれ、強い選手が誕生すれば、ジムの中で目標が出来てくる。「そういう状況を作ってゆきたいんですよ!」と、時々マネージャーらしい一面を見せたりもする。「とりあえず新人王を作りたい。これからですよ。」―やはり完全に点火してしまっている。
「でもボクサーを育てるというよりも、人間を育てることがボクの仕事なのかも知れない。例えば"挨拶と返事"だけは出来るように、だとか・・・」

 伴流ジムに来なければ、ダラダラとアルバイト生活を続けていたかも知れない。「何で俺はここにいるのかって、時々不思議に思うんですよ。」強気になったり、弱気になったり、この会談の間だけでも、浅谷氏の様子は忙しく変貌した。それがまた正直で人間的だったりするので、とても好感が持てた。

 ある日、乗っていた電車から見えた伴流ジムの看板が、結局浅谷氏の心に火をつけることになったわけだが、今こうして我々と語ってくれていることも、何か不思議に思えてくる。

 おそらく普段はこんなにしゃべらないのだろう。そんな印象の浅谷マネージャーだが、この夜は嬉しいことに最終電車ギリギリまで、2軒の居酒屋でず〜っとしゃべり続けてくれた。「家に帰ってから恥ずかしいかも知れない・・・」今度は弱気につぶやいた。


 傍らで身構えていた、新田ジムの期限付きマネージャー酒井君は、この会談で何かをつかんでくれただろうか。

 何となく一生懸命生きている人―それも私にとって"戦士"の定義となった。




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