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岩田暁美さんを偲んで
私はかって、ライター業と平行して、ラジオの野球情報番組でアシスタントを務めたことがあった。
ジャイアンツあるいは長嶋番として活躍していたラジオ日本の記者で、先月24日に亡くなった岩田暁美さんは、その番組のキャスターでもあった。
暁美さんは、いつも放送開始ギリギリまで誰かと電話で話したりスクラップ帳を作ったり、忙しく取材活動をしていた。CM中だって、席にじっと座っていることはない。
放送以外のときも、夜討ち朝駆けは当たり前で、雨が降ろうが照りつけようが、長嶋茂雄邸の前で張るのは日常の一部。キャンプ地や遠征先でも追っかけの姿勢は変わらない。「一番声が聞こえやすいから」とななめ後ろの位置を必ずキープし、ひとことも聞き漏らさずメモを取っていた。「長嶋監督(当時)あるところ岩田暁美あり」と言われたその言葉は、まさに真実だった。
あるとき、長嶋監督(当時)が、取り囲む記者たちに向かって「ジャイアンツと私のことが知りたければ、岩田さんに聞けばいい」と言ったそうだ。暁美さんの取材に対する熱意と綿密さは、そのひとことにつきると思う。
実際、暁美さんは取材で得た情報を惜しみなく他社の記者たちに教えていたそうだ。おかげで、放送などのため現場に行けないときは、逆に彼らから電話などによって取材情報が逐一報告されていた。
そんな仕事熱心さゆえに監督や選手の信頼は厚く、周囲からの評価も高かったが、暁美さん自身はいつでも忙しそうで、疲れて見えた。しかし、マイクに向かってリポートしているときは、目をキラキラ輝かせ、本当に楽しそうで生き生きしていたものだった。
おそらく、時間的にも体力的にも精神的にもキツイ取材活動を精力的に続けることが、暁美さんの生きがいであり存在意義でもあり、生きる原動力でもあったのであったのだと思う。
「今朝、暁美さんが死んだよ」
番組を辞めて4年、同じ年数ぶりに電話をくれたディレクターは、無感情な声で言った。
ショックが感傷に変わり、ひとしきり思い出に浸ったあと、ふっと「私は今死んでしまうとしたら、納得して死ねるのかな? そういう人生を送れているのかな」と思った。
常に全力で取材し、伝え続けてきた暁美さんは、もちろん、まだ仕事を続けたかっただろうとは思うが、自分の生き方に後悔はなかったにちがいない。
でも、私はちっとも疲れていない。今、何らかの理由で仕事を続けられなくなったり、人生そのものを終わらせられる日が来てしまったら、きっとものすごく後悔する。
忘れていたが、私は、ボクシングの試合を見に行きたくて、その番組を辞めたのだった。シーズン中は毎週月曜、オフの間は土曜の夜の生放送だったので、タイトルマッチをはじめ好カードと重なることが多かったのだ。
もっと試合を見て選手の話を聞いて、ボクシングやボクサーのことを知りたいし、書きたい。切実だったそんな気持ちを、すっかり忘れてしまっていた。
ボクシング見始めたばかりの頃の新鮮で前向きな気持ちと、暁美さんの仕事に対する熱心な姿勢を久しぶりに思い出して、体の奥からエネルギーが沸いてくるような気がした。
死をもってまたひとつ大切なことを気づかせてくれた暁美さんに感謝するとともに、心からご冥福をお祈りしたい。
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