林青年の主張 1
林 隆治(ヨネクラジム マネージャー)





☆ みんなで作ろう、ボクシング界のルール


 私は4年ほど前、「日本ボクシング憲法創設私案」なる、百枚にも及ぶ大論文を書いたことがある。ボクシング界に入ってから数年、この業界を観察してきて自分なりに感じた矛盾、疑問などを基にして、「こうすれば良いのではないか?」と若輩の身ながら提案してまとめたものだった。

 結局、その論文は、身内の親しい方に読んでもらっただけで、具体的に何をどうこうすることもなく、お蔵入りになった。今読み返してみると、現実的でないものや、やたらと青臭いものなどもあって、とても世に出せる代物ではないのだが、しかし、根本の主張はあながち間違っているとも言えず、若いなりによく頑張っているなあ、と昔の自分を褒めてやりたい気もする。

 自分が昔、書きためていたものを、こうして改めて掘り返すのは、決してラクして原稿を埋めようと言うわけではなく(それが本当の理由だったりして)、世の中が、若手の会長たちの活躍などによって、少しずつ動き出してきた現在にこそ、こんな考え方はどうでしょう、と世に問うことが必要なのではないか、と感じたからである。

 今まで私は、自分の主張というものはほとんどしてこなかった。それは、まだまだ自分は若輩で、意見を主張するなんて恐れ多い、とまあ謙虚な姿勢を保っていたからであるが、実際は勇気がなかった、というのが正直なところだ。

 しかし、本当は意見を持っていながら、それを隠すということは、謙虚というより卑怯ですらあるのではないか、と最近は考えるようになってきた。

 だからあえて自分の過去の恥部をさらけ出してみたい。その上で皆様のご意見をお伺いできれば幸甚である。

 さて、その論文で、私が一番言いたかったことは何だったのか。それを語った部分を、少し長いが前書きから引用しよう。


この世界には、日本ボクシングコミッションが定める試合運営のあれこれに関する「ルール」や、全日本ボクシング協会が定める業界内の「決まり事」など、様々な「法律」が存在する。しかし、そこに一貫した理念を見出すことが出来るであろうか。

これらの「法律」が整備された当初は、あるいは崇高な理念によって高らかに謳われたものもあるかもしれない。しかしそれらのうちいくつかは、時代に対応しきれなくなり、そして、他のいくつかは、永年の間に積み重ねられた場当たり的な「法改正」によってすっかり捻じ曲げられたものになっているように思われる。

例えば、「新人王トーナメントの出場規定」という一つの「法律」を検討してみるとする。そもそも新人王戦というのはどんなコンセプトで創られたか。どういった理念が根底に流れているのか。そこから考えていかねばならない。それは「世界への登竜門」という言葉が示す通り、世界チャンピオンになりうる人材を発掘するということではなかったか。

しかし、最近では「実力差が大きすぎる」との理由で、アマチュア実績が20勝以上(高校生の場合は30勝以上)あるものは出場できないことになってしまった。さらに20勝に達していなくとも、前年度のインターハイで優勝したばかりの選手はエントリーすることを禁止されている。これはおそらく、一時期、鬼塚・川島・渡久地といった高校を卒業したばかりのエリートアマたちが新人王トーナメントを席捲したことから、そういう突出した存在を押さえるために取った処置なのであろう。

だが、これは新人王トーナメント創設当初の理念から見れば、明らかに間違った改正だ。「世界への登竜門」と謳っておきながら、一方では世界へ行ける可能性を持った逸材をあらかじめ締め出しているのだから。(大体、「前年度のインターハイ優勝者」という条件が奇妙である。一年待てば、新人王に参加できるのだ。何のために規制しているのかよく分からないではないか)そしてついに、来年のトーナメントからは、外国人の参加を禁止するという。今年の新人王戦でプエルトリコ系の米国人が快進撃を続けているからであろうが、それにしてもまだ優勝者も決まってないうちから早々と決定したものである。

こうした「法改正」が、その場しのぎのあまりにも短絡的なものであることは明白である。このようなことが毎年少しずつ積み重ねられているうちに、「法律」というのは理念も秩序もなく、誰にも元の姿が分からない怪物のようなものになってきてしまう。

誤解のないようにあらかじめ断っておくが、私は新人王戦のそうした規制そのものに反対しているわけではない。「実力差がある」という理由が正当なものであると判断され法改正の必要があるならば、それはやるべきである。だが場当たり的に一部分の改正だけを行うのではなくて、根底にある理念そのものから見直していくべきではないか、と言っているのだ。「世界への登竜門」という一つの理念が現実的に不可能で時代遅れになっているのなら、例えば「新人王トーナメントは試合数の少ない4回戦ボクサーたちのための、経験の場である」という新しい理念を設定し、その理念に沿った規定を新たに創っていく方がよほどすっきりする。

この際、今までの経緯をすべて忘れて、一度ゼロから新しい秩序を作り出す必要があるのではないか。これまでの「法律」をいじってどこを改正すれば良いか、という細かい論議はとりあえず置いておいて、これからのボクシング界の「あるべき姿」を白紙の状態から練り直すという作業をするのも面白い。

そこで、私はこの「ボクシング憲法創設私案」を世に問いたい。ボクシング界にも憲法を導入すべきであるという発想から、プロボクシング界に関わるすべての人々が行動規範とするような憲法というものを私なりに起草してみた。


 そして、実際に自分で条文を作成していったのである。例えば前文はこんな感じだ。

 前文

プロボクシング界に関わるすべての人々およびプロボクシングを愛するすべての人々は、このスポーツの普及と発展を心から願い、このスポーツが日本において真にメジャースポーツとしての地位を確立することを希求する。

私たちはプロボクサーの待遇を向上させることを目指し、同時にこのスポーツに関わるすべての人々の待遇を向上させることを目指す。

また、私たちはプロボクサーの健康管理に真剣に取り組み、二度とリング禍の悲劇が起こらぬよう強く決意する。

また、私たちはあらゆる不正や名誉を汚す行為を憎み、これを排除することを誓う。


 これに続けて、協会の組織・機能やジムのあり方、トーナメントの運営方針、健康管理問題などを定義していき、全70条もの条文を起草したのだ。若いとはいえよくやるなあ。

 このように自分の手で新しいルールを作るのには、過去のしがらみに囚われることなく、自由な視点でボクシング界を眺めることが出来るという利点がある。今ある法律をどういじろうか、という論議はどうしても後ろ向きになりがちだし、反対賛成入り乱れて喧々諤々、結局、何も動かないとなることが多い。

 だったら、それぞれ自分の手で新しいルールを、まったくゼロの状態から作り上げるほうが、作業としても楽しいし、ビジョン(理想像)も見えやすい。

 「こんな憲法はどうだろう?」と皆で草案を出し合って語り合えれば、今よりもっと建設的な論議になるのではないだろうか。

 そして最終的には、「憲法」という名の、一貫した理念の下に、さまざまな法体系を集約させるのだ。

 ファン・マスコミ・業者の皆さん、どうです?自分の手で新しいルールを作ってみませんか?そして、「あるべき理想像」を語り合いましょうよ。

注・読んでいる人もいるとまずいので、あらかじめお断りしておくが、ここで述べている主張は、大前研一氏著の「平成維新」に相当影響されている。表現や言い回しも似通っているところがありますが、ご了承下さい。


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