NY、勝手に殴れ!
[ 寿司シェフ・ボクサー、ニューヨークのリングへ ]
Text Photo By 杉浦 大介






 「ゴールデン・グローヴ(Golden Gloves)」とは、アメリカのすべてのアマチュア・ボクサーたちにとって、特別な意味を持つトーナメントである。全米アマ・ボクシングの最高峰。伝統のNYゴールデン・グローヴを巣立ち、後にプロで世界王者に昇りつめたボクサーは数知れない。世界チャンピオンへの登竜門。大手プロモーターも多数観戦に訪れるゴールデン・グローヴで活躍すれば、そのボクサーは好条件でのプロ入りも期待できるのである。そのNYゴ−ルデン・グローヴ大会で、今春、ベスト4まで勝ち進み脚光を浴びた無名の日本人ボクサーがいる。
 名は瓶子行人(ヘイシ・ユキト)。29歳。ボクシングを始めて、まだ僅か1年半。119パウンド・クラス。オーソドックス・スタイルのボクサー・タイプ。初挑戦のゴールデン・グローヴで、日本人選手としては快挙と言える、準決勝進出を成し遂げた新人ボクサー。その瓶子行人のNYでの職業は、寿司職人。異色の寿司シェフ・ボクサーは、まるで馴れた手つきで寿司を握るかのように、軽やかに、あくまでも冷静に、強豪揃いのトーナメントを駆け上がっていったのだ。


「この間、ジムで初めてプロの世界チャンプ(WBO・Sバンタム級王者、ファン・グスマン)とスパーをやらせて貰ったんですよ。でも、ボディ・ブローでアッという間に倒されちゃって。いやぁ、速いし、強かったですねぇ。これが、「世界」かって思って・・・・。いやぁ、貴重な体験ですよねぇ」
 瓶子行人は今、本業の寿司シェフとしての仕事より、いつでもエキサイティングなNYの街に繰り出すことより、何よりボクシングだけが楽しくて仕方ないのだという。

 それはそうだろう。レベルの高いNYのリングで、黒人ボクサー相手に2連勝。地元の新聞にも名前が載り、周囲ではプロ入りの話までチラホラ出始めたのだというのだから。

 今春より開幕した、2003年度のゴールデン・グローヴ大会。1回戦、準々決勝と、瓶子行人は強打を振るうアメリカ人ボクサーを相手に、淡々と、着実に、左ジャブを突き続けた。どちらの試合も僅差の判定ではあったが、確実にペースを掌握し切った瓶子の勝ちは明らかだった。

 「やっぱり特に1回戦は緊張しましたね。そうは見えなかった?うーん、普段からジムでプロの凄い奴ら、テレビで試合やってるような世界ランカーなんかと一緒に練習させて貰ってましたからね。そいつらに比べたらラク、ってのは確かにあったけど。でもやっぱり怖くて、ドキドキしましたよぉ」

 試合直前でも日常でも、態度がまったく変わらない。大人の落ち着きを感じさせる、冷静なボクサーである。日本人らしからぬ、といったら語弊があるか。しかし、初めて瓶子の試合を観たとき、その度胸の良さに少なからず驚かされた。全米が注目するリングに、ノビノビと、微笑みさえ浮かべながら登場。強打の黒人ボクサーにロープ際まで追い立てられながら、顔色ひとつ変えずに捌き切ってしまったのである。

 瓶子の試合には、職場である日本食レストランの従業員たちも多数応援に駆けつける。リングの上で、ひと回り逞しい身体のアメリカンを軽々と空転させる瓶子を観て、同僚たちも誇らしく思ったのではないだろうか?

 「いやいやいや、試合の後、店のコたちに言われちゃったんですよ。もっと打ち合え、もっと客が喜ぶ試合をしろ、って。わかってないなぁ、と思いましたよ。いつでも冷静に、相手のペースを狂わすのが僕のボクシングなのに。まあ、僕のは玄人好みのボクシングなんでしょうねぇ。ウチの店の同僚たちは、たぶんまだ僕のことを強いとは思ってくれてないんだろうなぁ(笑)」

 レストランのランチタイムに間に合わせるために、瓶子行人は早起きして、午前中にジム・ワークをこなす。約2時間の激しいトレーニングの後、午後1時から夜11時までは寿司シェフとして働く。閉店後、ロードワークを行なうのは深夜。朝から晩まで、息つく間もないような日々は続く。

 だが、瓶子に必要以上の気負いや緊張は、まったく感じられない。リング上での姿と同様、試合の合間も、トーナメントの緊張感が心地良くて仕方ない。こんな日々がいつまでも終わらないで欲しいと思うのだという。

 日本で就職したレストラン、そのNY店に志願しての渡米。瓶子行人の料理人としてのキャリアは長い。寿司だけではなく、どんな料理も一通りこなす自信はある。グリーン・カード(アメリカ永住権)も持っている。
 不況が続くNYだが、将来に向けて職業面、金銭面の心配はまったくしていない。どんな状況になっても、自分は生きていける。寿司シェフとして、それだけのスキルは自分にはある。いわゆるハングリーではない、特に不自由のない暮らしの中で、大げさな覚悟もなく始めたボクシング。時間に追われる生活を続けながらも、スマートに、余裕を忘れずに。あくまで真剣に、そして何より楽しく。ニューヨーカーらしい生き方だと思う。年齢にとらわれず、自分の可能性を追及する。人種も、国籍も、年齢も、すべてを超越して、やる気と能力のある者ならば、誰でも受け入れる土壌がこの街にはあるのだ。ボクシングがすべてではない。試合が近付いても、たとえロープ際に追い詰められても、瓶子行人は自分のリズムとペースを、決して崩そうとはしない。瓶子行人にとってボクシングがすべてではない。本業はあくまで料理人。だが、ボクシングは瓶子の人生を、間違いなくより豊かなものにしてくれたのだ。


 ――ボクシング、本当に好きみたいですね。
「アメリカには、強い奴は本当にゴロゴロいる。どいつもこいつも強いもんだから、たまにウンザリすることもあるけど、でも楽しいですよね。凄い奴らに囲まれて、これ以上ないスピードで自分も強くなれる。こんな場所で、ずっと高いレベルでボクシングを続けていけたら、楽しいでしょうね・・・・」

――この大会が終わったら、その後のプランは?
「僕のトレーナーは世界王者を何人も育てた有名な人なんですけど・・・・そいつに言われたんですよ。この大会が終わったら、おまえをプロにして、そして日本に連れて行くって。まだ悩んでるんですけど。プロとなると、やっぱり生活全体が変わってきますからねぇ」

 ――もしプロでやるとしたら、寿司シェフの仕事は?
 「とりあえず、今の店で仕事を続けながら、両立させていきたいですね。そんな甘い世界じゃないのかもしれないですけど。でも、仕事は一時的にバイトにして時間を減らしてもいい。戻りたくなったらいつでも戻れるし。プロになっても、ボロボロになるまでやる気はないですよ。でも、あとどのぐらい伸びしろがあるのか、自分がどれくらいやれるのか、試してみたいですね」

 ――まずはゴールデン・グローヴ、今後のことはすべてそれからでしょうか?
「そうですね・・・・次の準決勝、そこで勝てば、決勝・・・・ゴールデン・グローヴのファイナルの会場はマジソンスクウェア・ガーデンですからね。決勝戦ですよ?MSGですよ?テレビ中継もあるし。これまでも、僕の人生はある程度順調だったと思ってます。でも、もし次の試合に勝てたら、オレの人生はまた良い方変わるんじゃないかって。そう、次の試合、準決勝、そこで勝ったら、そうすれば・・・・」


 ゴールデン・グローヴが終わって、約2ヶ月が経つ。
 結局、瓶子行人の決勝進出はならなかった。準決勝で対戦したのは、若く頑強なメキシコ人。準々決勝で前回王者を倒して勝ち上がってきた強豪で、フルラウンド粘って判定には持ち込んだものの結果は明白だった。

「相手は強かったです。とりあえず、完敗ですね」

ボクシング・キャリア僅か1年半でのゴールデン・グローヴ制覇、MSG進出・・・・・・そんな快挙の夢は、一先ず終わった。

 だが、大会終了後も特にインターバルは置かず、瓶子行人はコンスタントに試合を続けている。全力で臨んだゴールデン・グローヴだったが、敗れても燃え尽きたわけではなかったのだろう。来年には30歳になるが、まだまだ伸びしろはあると本人は確信しているのだろう。いつでも冷静な瓶子がそう判断したのなら、それが間違っているとは僕にはどうしても思えない。

 「この試合に勝てば、人生が変わるかもしれない」。準決勝の前に、瓶子行人はそう言った。結果的には敗れてしまい、願いは叶わなかった。

 だが、あるいは瓶子の人生は、もう既に変わったのではないかとも思う。NYに来て、ボクシングを知った時点から。絶対の自信を持つ一生の仕事に加え、最高に楽しい気分になれるサイド・ジョブまで手に入れたのだから。そして両方をソツなくこなしていくだけの技術も能力も、もう充分に持ち合わせている。

 瓶子は戦い続けるのだろう。目先の試合の結果に関わらず。寿司とグローヴを、器用に交互に持ち替えて。NYで好きなことをやって生きていける喜びを、身体中で表現しながら。


 プロ入りに関してはとりあえず考えるのを止めたのだという。

 「ゴールデン・グローヴで優勝できないようでは、プロ入りしてもね・・・・・・。いや、トレーナーには「そんなことない」って言われたんだけど、自分としてはやっぱりねぇ。とりあえず、目標はやっぱり次のゴールデン・グローヴです。そこで勝てれば・・・・・・」
 次のターゲットはやはり来年のゴールデン・グローヴ。1年後のその日まで、2足のワラジを軽やかに履きこなしながら、瓶子行人は再びの大舞台を待ち続ける。

 「次、勝てれば、そうすれば・・・・・・」

 それではいつかその願いが叶ったら、このクールな兼業ボクサーは、どんな言葉と表情でその喜びを表現するのだろうか?
 来年の大会が待ち遠しい。そのとき、また瓶子行人の人生は変わるのかもしれない。更に素晴らしい方向に変わっていくのかもしれない。そしてそのとき、「そうすれば・・・・・・」のその更に先には、いったい何が待ちうけているのだろうか?






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