戦士と語る=現場編=その6

元東洋太平洋バンタム級チャンピオン
Text By 新田 渉世
Photo By 山口裕朗


ヨネクラジム
成田城健トレーナー


「7月頃に息子と2人でラーメン屋を開きたいんだよね―」
いつもの様に首を少し傾けながら成田城健はそう語った。


先月号の田中栄民氏(角海老ジムトレーナー)の紹介により、今回はヨネクラジムの成田城健トレーナーを訪ねた。2回続けて"強面の兄貴"である。

(あれ?成田さん、少し感じ変わったなあ・・・)私の中で成田城健という人は、"口ヒゲをはやしていつも首を傾けているヨネクラジムの若手トレーナー"というイメージが強かった。しかしその日のヨネクラジムでの仕事を終え、近くの小料理屋で初めてお話させていただいた時、少なくとも"若手"と呼べる感じではなかった。―それだけ月日が流れているということなのだろうか・・・。冒頭から少しセンチになってしまった。


 長いトレーナー生活の中でも、この約12年間は築地の市場で働きながら選手達の指導を続けてきた。同じように市場で働いていた角海老ジムの田中トレーナーとは、自然と気が合うようになった。現在はふたりとも市場をやめ、田中氏は角海老ジムのトレーナー専業、成田氏はヨネクラジムでのトレーナー業の傍ら、高校を卒業した息子さんと一緒にラーメン店開業の為の修行中である。

 朝6時から午後3時位まで、有名な「大勝軒」で修行のお勤めをし、夕方からヨネクラジムへ通う日々が続いている。随分朝早くから大変だろうなと思ったが、

「市場にいた頃に比べれば、明るくなってから仕事するんだもん。全然余裕だよ・・・。おまけにあの頃は大橋、川島といった世界チャンピオンクラスの連中も含めて、毎日ミットを20Rも30Rも受けてたんだからね。さすがに今はそんなに受けられないけどね。」


 大場政夫や西城正三に憧れて青森から上京し、現役時代は日本ライト級チャンピオンまで上り詰め、選手としても活躍した。引退後もずっとトレーナーとしてボクシングと関わってきた。選手は勝つことが仕事、トレーナーは勝たせることが仕事。立場の違う仕事だが、成田氏はどちらも好きだという。

「やっぱり"勝負"ってもんが好きなんだろうね。トレーナーとしてミットを受けたり、走り込みのキャンプへ連れていったりと精一杯のことをやって、本番のリングへ選手を上げる時に背中に受ける大声援はもうやみつきだね。特に世界戦の時なんかはホントにたまんないよね。」

 興奮すると首が更に傾く・・・。選手時代に痛めた目のせいで、首をまっすぐするとうまくモノが見えないらしい。とにかくボクシングの話になると強面の成田兄いの首は一段と傾いた。


 「戦士と語る」はプライベートな話に切り込むのがモットーなので、今回も"人間成田城健"に切り込むべく、奥さんの話に話題を変えた。

 1歳年下の奥さんは鹿児島県の出身。知人の紹介でお付き合いするようになり、20歳で同棲。成田兄いは"押しかけ亭主"となった。東京で式を挙げ、現役を引退した後一年ほど故郷である青森へ戻って生活した。その後成田兄いは東京へ単身赴任。13年間も奥さんを青森に残したままの生活が続いた。ひどい亭主?かと思いきや、♪会えない時間が愛育てるのさ〜、と仲は良さそうである。娘さんの東京の大学入学をきっかけに、6年前からまた東京で一緒に暮らしている。息子さんと一緒にラーメン屋開業を目指したりと、成田家の家族愛は歌の通り育っているみたいである。

 とは言いつつ、市場で働いていた頃は魚を運びながらも、頭の中はボクシングのことで一杯だった。「あいつに今度あのパンチを教えよう」「今度の試合ではあの作戦でいこう」・・・。

 結局成田兄いも"ボクシング人"だ。いつの間にか話題はまたボクシングに移っていた。「選手には1から10まで教えない。自分で考えさせることも必要。教えないのもトレーナーの仕事なんだ。」

 尊敬する人物は米倉会長と故松本清司トレーナー。ふたりを足して2で割ったようなトレーナーになりたいという。

「松本先生の受け売りかも知れないけど、トレーナーは言葉は少なくていい。的確なことをひとこと言えばそれでいいんだ。」

 そして最後にこう締めくくった。

「少しでもヨネクラジムの"足し"になりたい。あれはヨネクラの人間だったなあ―と、そう言われたい。トレーナーとしてそこまで燃え尽きたい。」


 我が人生に迷いなし。首は少し曲がっているが生き方はまっすぐな成田兄いのラーメン道の修行姿を見るべく、数日後、池袋サンシャイン近くの"行列が出来るラーメン店=大勝軒"を訪ねた。

 お客が引く頃を見計らって、午後2時半頃にお店に付くと、平日だというのにまだまだ長蛇の列である。

「おー!悪い、悪い。ちょっと座って待っててくれ。」

 テンテコ舞いの様子ながら、顔は生き生きしている。ラーメン通ではないので、よく知らなかったが、この"大勝軒"のオヤジである山岸一雄氏はラーメン界では、天皇と呼ばれるほどのお方だそうだ。温厚そうな山岸氏の成田兄いを見つめる目は、将来の成功を確信しているような、強く暖かいものだった。

「息子を紹介するよ!」

 と、成田兄いは奥の製麺所へ案内してくれた。ハンサムな若者がこちらに向ってペコッと頭をさげてくれた。感じの良い青年だった。かつての"ヨネクラジムの若手トレーナー"がホントにオヤジに見えた。「いい親子だな・・・。この2人ならきっとうまくいくだろうな―。」と思った。トレーナー業だけで家族を養ってゆくのは難しい。市場での仕事は時間的にも制約があり、雇われの身ではいろいろ自由もきかない。昼間は自らラーメン屋を営み、夕方から選手育成に励む−。そんな青写真がもうすぐ実現するのだろう。


 やっとお客が引けた頃、一番シンプルな"つけめん"をご馳走になった。素人ながら感じられた奥深い味に舌鼓をうちながら、ふと店の壁に目を向けると、世界奪取に成功した大橋秀行と、新王者を肩車する成田兄いの写真の載った新聞記事が貼られていた。



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