Second Wind
Text By Mayumi Kitano





「おい、ガーンて置くな!床にキズがつくけん、そっと置け、そっと」

 リング解体中、支柱が床を打つ大きな音がすると、ジャージ姿の恰幅のいい男性がそれに反応し、心配そうに振り向いて大声で言う。

 この男性は、福岡県春日市にある三松スポーツジムの会長・松尾友徳氏。リングを解体しているのはジムの練習生や選手、OBたちだ。
 受付まわりを担当するのは、会長とセコンドの奥様方をはじめとする女性陣。「おじちゃーん、グローブぜんぶ集めてきたよ」と会長のもとへ大きな袋を担いできたのは、小学生くらいの少年だった。
 こういった手づくりの興行は、東京以外の都市では珍しいことではない。わかっていても、後楽園ホールでの業者任せの光景を見慣れている私にとっては、やはり新鮮に映る。

 三松スポーツジム主催の「ドリームファイトシリーズ」がスタートしたのは2000年11月3日。以来、年1回のペースで開催を重ねている。2001年からは、会場も福岡市内からジムのはす向かいにあるクローバープラザへ移し、ますます地元密着型の興行として根づいてきた。
 当初から「青少年育成チャリティ」と銘打っていたこのシリーズ。第2・3弾は春日市、大野城市と両市の教育委員会、第4弾は春日市と那珂川町、春日市教育委員会の後援を受けて行われ、興行の益金は地域スポーツの振興のために活用されている。協力者が多いのは、そういった点が評価されているせいもあるかもしれない。

 さて、去る6月8日、私は初めて「ドリームファイトシリーズ」を観戦する機会に恵まれた。西部新人王予選3試合を含む10試合で、オール4回戦。ここで、意外な再会をした。
 先々月のこのページにも書いたが、私は99年9月、パンサー柳田に会うため福岡を訪れている。その折、偶然にも博多で「春日の三松ジムに3戦3勝3KOのすごい選手がいる」という噂を耳にした。
 夕方には東京へ戻る飛行機に乗らなければいけなかったが、地図を広げたところ、往復できない距離ではなかった。早速ジムにアポイントを取り、会いに行ったのが、青木史彦だった。彼はその後、新人戦の中部・西部対抗戦で下田賀彦(駿河)に敗れてジムを去っていたが、この日、3年半ぶりの復帰戦のリングに上がることになっていたのだ。

 すでに30歳になり、家庭を持った青木だが、「これといったきっかけはないけど『今しかできん』と思って」復帰を決めたという。
 正社員からアルバイトに勤務体系を変えて練習時間を捻出し、臨んだカムバック第1戦は、全員が3ポイント差で3−0判定の完敗だった。しかし、試合後の青木の表情は意外と明るかった。

「前は『中退』みたいな形になったけど、今度はゴールしかないですね。体を作りきって、それでも負けたら、ゴールだと思えると思うんです」

 今回は、わずか2ヶ月という準備期間の短さ、スタミナ不足、実戦勘を取り戻せなかったことなど、考えられる敗因はいくつもあった。それらを潰していって、どんな試合ができるのか。やれることをすべてやって負けたら、それが限界。結論を出すのは、そのときだと言うのだ。
 世界だのタイトルだのという景気のいいことばは一切出てこないが、夢ではなく現実的な話であるだけに迫力がある。
 わりと最近まで「20代後半になったらロートル」というのが定説だったボクシング界も、ずいぶん30代選手が増えてきた。青木も、まだしばらくは頑張れるだろう。全国区で名を轟かせることはないかもしれないけれど、ここにも「マイゴール」を探してもがいている三十路ボクサーをひとり発見できたことは、同世代としてうれしかった。

 立ち話をしている間も、周りにはリング撤収の騒音と「静かにやってくれよ」という会長の大声が響き、片付けに追われる人々がせわしなく走り回っている。そんな情景の中、控室に向かう青木の背中を見送りながら「来てよかったなぁ」と、なんとなく得した気分になった。

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