|
あるベテランの野球審判員に、こんな話を聞いたことがある。
アウトかセーフか微妙なジャッジに対して、監督がベンチを飛び出してきて猛抗議することがある。それは明らかなルール違反で、本来なら暴行や暴言の有無にかかわらず、監督がベンチを出た時点で退場になるそうだ。しかし、いちいち「退場」を宣告したらどうなるだろう。収拾がつかなくなってゲームは滞り、観客も納得しない。だから、それをしないのだという。
つまり、審判の良し悪しは、ルールにいかに忠実であるかどうかで決まるものではなく、ルールは絶対ながら、どこまで適用するかは審判の裁量となる場合もあるというわけだ。
では、優秀な審判とは?
ゲームを円滑に進め、滞りなく終わらせることが第一。そのためには、判断の基準が常に一定でなければならない。そして、なるだけ選手双方の長所を殺さず、ゲームの流れや勝負どころに水を差さぬよう努めることが大切だという。
たとえば、主審(球審)の場合。ストライク・ゾーンはルールで明文化されているが、そればかりに気をとられて判断に迷うよりも、自分のストライク・ゾーンに自信をもって貫徹するほうがクレームも少なく、スムーズに試合が運ぶというのである。そして、投手の決め球を知り、それが際どいコースに決まったときに「ストライク!」と気持ちよくコールしてやると、投手は波に乗りやすい(これは両チームの投手にしないと逆効果)。さらに、チャンス(ピンチ)の場面では、選手の動作やサイン伝達が遅いなど少々のことには目をつむり、あえてゲームを止めないことで、陰ながら選手の集中や好勝負を促しているのだという。
さて。審判の話で切り出したのは、枚挙にいとまがない国内リングのレフェリングやジャジメントに対する不可解や抗議の類に追随するためではない。むしろ、その逆だ。
ある試合を見ていて、ふっと感じたのである。
今日のレフェリングは素晴らしいなぁ、と。
そのレフェリーの以前の仕事ぶりを気にとめたことはないし、もしかすると不満や反感を抱いている向きもあるのかもしれない。また、その日のレフェリングに僕の目が向いたのは、戦っている両者への思い入れが一方に偏ったものでなく、どちらに勝敗が転ぼうと持ち味と力の限りを尽くしてもらいたいと願っていたからだとも思う。
が、とにかく、その試合のレフェリングには、120点を献上したくなったのである。
その試合というのは、4月22日の日本スーパー・フライ級王座決定戦。世界6位の有永政幸(大橋)と、日本3位のプロスパー松浦(国際)が、初タイトルをかけて激突した一戦である。
先制したのは松浦。ワンツーに続く左アッパーでアゴを突き上げた。一方のサウスポー有永は、大きな右フックを空振りしながらも、くっついてボディを叩いていく。2回には松浦の右ストレートで、有永が両ヒザを着くダウン。その後も有永は徹底して接近戦を仕掛け、松浦は手際よくパンチをまとめ打って優勢に試合を運んでいくことになる。
有永の右フックは山口圭二(元世界王者)ら強豪をKOした実績とパワーがあるものの、それをミドルレンジで松浦に当てるのは難しいとみて、接近戦を挑み続けたのかもしれない。対する松浦の身上は、多彩な左と速く正確なストレート。アゴは細くて脆いが、この日は距離がどうあれ、先に手を出して丁寧にぶつけることを優先しているようだった。
つまり、試合は自然な流れ、両者の思惑によって接近戦となったのであり、バッティングもホールディングもほとんどないクリーンな戦いが展開されていた。そしてレフェリーも、おそらくその点をしっかり認識していたのだろう、両者を傍らで注視するのみで、ブレイクや注意による寸断をあえて避けているように見受けられた。
一方的になりつつあるファイトと、レフェリーの意義ある自重を眺めていると、あのロイ・ジョーンズの世界重量級4階級制覇という歴史的快挙を阻めなかったヘビー級王者、ジョン・ルイスのコメントが思い出された。
「敗れたのは自分の予定戦略が実行できなかったから。でも、それは相手(ジョーンズ)が優れていたからではなく、接近戦になるたびにレフェリーが必要以上にバッティングやホールディングの注意を与えて引き離したからだ」(ボクシング・マガジンより)
階級制というボクシング競技の根底と歴史、ヘビー級の尊厳を打ち破ったスーパー・スターを、メディアはこぞって賞賛した。一方で、見せ場なく判定で敗れた脇役のエクスューズをほとんど無視していた。
たしかに、ジョーンズの並々ならぬ度胸と能力と偉業はリスペクトしなくてはいけない。しかし、僕の主観では、あの試合そのものは、はっきり言ってつまらなかったし、どこか消化不良で後味もスッキリとはいかなかった。
それは、ジョーンズとは対照的なルイスの無策無能によるところ大なのであろう。ジョーンズのプレッシャーやカウンターブローが、ルイスの突進力を弱めたという見解を否定するつもりはない。が、レフェリーの神経質なまでのブレイク癖に辟易したのは僕だけだろうか。バッティングによる負傷を回避するためとは理解するが、それにしてもレフェリーが両者の間に割って入る回数が多すぎたのではないか。頭と頭が近かったり、ジョーンズがルイスの頭をグローブで抑えたりしても、ルイスはパンチを打っているシーンだってあったというのに……。
一観戦者からしてみれば、欲していたのはジョーンズの歴史的快挙のみならず、いつも余裕綽々でいる彼の窮地、たとえば馬力でロープサイドへ押しやられてパワーに怯むような姿も見てみたかった。なのに、その肝心なところが予めカットされたり、途中でリセットされてしまうのだから、興奮などできやしない。
冒頭の野球審判の意見を借りるなら、レフェリーはスムーズな進行を促すがために、一方の選手の利点やチャンスの芽を摘み、ひとつの勝負どころに水を差すという矛盾を犯していたと言えないだろうか。
1ヵ月と少しばかり前の欲求不満を思い出させてくれた、日本人レフェリーの判断は、最後まで適切だった。誰が見てもワンサイドのまま終盤戦まで進んできた試合を、ついにストップしたのだ。
7回が始まってまもなく、松浦のフック、アッパーが立て続けに決まったところで両者の間に割って入り、試合終了を宣告。
控え室に戻ってきた敗者、有永のコメントは、やはりあのルイスのそれとはまったく異質のものだった。
「打ち合いは自分で望んだところ。でも、向こうのほうがボクシングが巧くて、自分が殺された感じ。(ストップについて)まだ動けたけど、仕方ない。今日は相手が強かった」
元日本王者の木谷卓也(金子)と戦った前回の試合は、7回から劣勢を挽回していって9回KO勝ちしていた。しかし、今回は「パンチもらって効いてたので、逆転KOできるだけのパンチの威力がもうなかった」と、松本好二トレーナーも肩を落とした。
その、ある意味で納得の敗北は、当事者双方に主体的なファイトを促したレフェリングによるところもあったと思う。
レフェリー・ストップで試合が決着した場合、僕はいつもなら選手やセコンドのリアクションを追うのだが、この夜はレフェリーの様子をとくと拝見させていただいた。
こちらの共感が大いに作用しているのだろうが、さりげなくも毅然としていて、なんとも凛々しい表情、そして立ち振る舞いの館秀男レフェリーであった。
一般的に、有名な審判はあまり歓迎されないし、審判にも目立ちたがりはいないとされているようだ。なぜなら、彼らがクローズアップされるときというのは、決まって誤審や不可解な裁定などでトラブルが絡んでいるからだ。でも、今回はまるでその逆なので、面識もないのに勝手に名前を書かせてもらった。
いいですよね、舘さん?今後も両者納得のレフェリングをお願いします。
|