極私的ボクシングの歩き方
メキシコ料理の歩き方 Text By 中津川 一路




 後楽園ホールの帰り道。
 試合というものは勝つか負けるか。ほぼ50%の確率で巡ってくるとはいえ、敗北はボクサーにはやはり辛い。その日、立ったまま、自らの負けを宣せられたボクサーに何と声をかけたらいいか、僕は考えながら駅への道を歩いていた。

 彼はメキシコが好きだった。メキシコで練習したこともあり、メキシコ料理が好きで、メキシコのセルベッサ(ビール)を好み、メキシカンボクサーを愛している。

 ひと気が少なくなった東京ドームの横で僕は思いつき、翌日、メールを打った。
「メキシコ料理を食べに行きましょう。ご馳走します。」
返事が来た。
「いいですね。行きましょう。でも割り勘で。」

 待ち合わせの場所に中野吉郎はガールフレンドを伴って現れた。僕がダメージはないかを聞くと、元日本チャンピオンは、今までの試合で負けてこんなにダメージがなかったことはない、と絆創膏が貼ってある目尻を細めた。

 僕らが行ったメキシコ料理店は、正式なメキシコ料理屋ではなく、いわゆるテックス・メックス、アメリカ風メキシコ料理のチェーン店だった。それでもメキシコ風ということで、それなりのものだ、と思う。(メキシコマニアからの非難は覚悟します。)

 メキシコでは食事の際に「お通し」的にチップスが出るが、その店ではチップスはセルフサービスで食べ放題だった。それにサルサソースを付けて食べる。サルサというのはチリ(唐辛子)やトマト、たまねぎを入れたソースで、辛い。まあ、辛くないメキシコ料理も少ないのだが。さらにチップスはスープに入れて食べたりもする。

 注文したビールは「ソル」というメイドインメキシコ。中野選手がメキシコのローマン・サラゴサジムで練習をしていたときに、事務所の冷蔵庫を覗いたら、ソルが一杯に入っていて、ナチョ・ベリスタインがいつも飲んでいたという。

「このビールの瓶が透き通っているとこがメキシコらしいでしょ?」
「?」
「瓶が透き通っていると日光で味が落ちるらしいんです。ビール通に言わせると。そんないい加減なとこがメキシコらしい。」

 なるほど、有名なコロナ・エキストラも瓶が透き通っているが、ソルも透き通っている。

 なんせメキシコという国では、「約束」という言葉は日本における、それと意味が違うとしか思えないし、腕時計はファッション以外の意味は持たないようにしか思えない。しかし、そのいい加減さをメキシコに行った人間の多くは愛する。そして、その心地よさに身を沈めてしまう旅人も多い。

 ビールが来た。グラスを出されたが辞し、僕らはメキシコ式に「サルー」と瓶を鳴らした。

「今度の試合に勝っていたら、『誰が一番デラホーヤに近いかトーナメント』を大東さん、金山さん、加山さんとかに、インタビューで呼びかけるつもりだったんですけどねー。」

 冗談めかして彼は言った。

「『でも、優勝しても挑戦できるかどうかは別ですよ。』ってね。」

 そりゃ面白いですね。彼は明るく、僕は安堵した。

 
 料理が運ばれてきた。
 メキシカンは、料理をトルティージャというトウモロコシの粉を焼いた皮に料理やチリ、ハラペーニョ(青唐辛子)などを包んで食べる。その店のトルティージャは小麦なので、少しでもメキシコ風にということでコーントルティージャを注文した。

 エンチラーダというチーズ系の料理とアボガドサラダを包んで口に運ぶ。メキシコの味じゃないですね、と話を振ると中野選手も頷いた。メキシコのトルティージャはもっと露骨に固く、やや厚く、香りも独特で癖がある。露店のタコスも独特の味で、忘れられないものがある。

 宿にしていたペンション・アミーゴと革命記念塔の近くにガルド・デ・ガジーナというトルティージャ屋あって、そこのものは小麦粉だったが美味しかった。店のおばさんが、トルティージャを包んでいた布をいつも洗っていた。ロマンサジムは駅から遠い。サーキットを横断して行ったほうがが早いけど腹ごなしにぐるっと回るのもよかった。あのサーキットでやっていたメキシコグランプリはもうやってないらしい。マリスコス(海産物)はあまり食べなかった。宿の近くに有名なマリスコスの店があった。ロードワークコースは植物園で、メトロのチケットをポケットに入れて走りに行った。モレ(メキシコ風チョコレート煮)が好きで珍しいといわれた。アイスを良く食べた。メキシコのプリンにはカラメルがついていない。彼のメキシコ話を聞いているとメキシコの風景が思い出されて、こちらが切ない気持ちになってきた。ああ、メキシコ行きてえな、と僕が言ってしまっていた。

 リカルド・ロペスやフリオ・セサール・チャベス、サルバドール・サンチェス、ピピノ・クエバスと言ったメジャー所からマニアックな名前まで挙げて、中野選手はメキシカンボクサーを語った。僕も応じられる範囲で応えたが、マニア度は勝負にならなかった。

 ソルを何本も空けながら、彼はしゃべり続けた。

 自衛隊にいたこと。ストレス解消のためにボクシングを始めた頃、キャバレーのボーイをしていたこと。父親が後楽園の年間シートを契約していたこと。ジャッカル丸山がラウル・バルデスと引き分けた試合は、バルデスが勝ったと思ったこと。チャベスとミゲランヘル・ゴンザレスとの試合をエル・トレオ闘牛場に見に行ったこと。話はメキシコを軸にしていつまでも往ったり来たりした。

 1週間ほど前に行われた試合は、ベテランの元日本チャンピオンと売り出し中のハードヒッターという図式だった。一般的に考えれば元チャンピオンが売り出しに一役買うというストーリー。しかし、その役回りを、誰もが従順に演じるとは限らないのがボクシングだ。中野選手もそうだった。

 試合は中野選手が自ら言うところの「納豆戦法。」接近して間合いを詰めて相手のハードパンチを殺し、コツコツとボディを叩く。スタミナ勝負に持ち込む「いつもの」戦い方で試合は進んでいった。作戦通りだ。インターバル中、そうコーナーとも話し合った。

 ただ誤算が二つあった。ひとつは頭を低く持っていくため、減点されてしまったこと。もうひとつはカットしてしまったことだった。しかし、出血はバッティングよるものであると審判は判断した。試合が止まるとしても負傷判定に待ちこまれる。時折パンチをもらうこともあったが、徐々にペースを上げ、後半に持ち込めば前半の劣勢も完済できるかもしれない。

 リングから少し離れた席からはそう見えた。

 そんな中で唐突に試合は終わった。 レェフリーが試合をストップしたのだ。中野選手は納得出来ないというリアクション。場内からも罵声が飛んだ。

 あの終わり方じゃ・・・そう思ったのは僕一人ではないはずだ。
 
 辺りが暮れかかる頃、僕らはメキシカン・レストランを出た。昼は暖かかった外は風が強くなっており、やや肌寒かった。

 中野選手の実家は都内の某高級住宅街にある。日本タイトルを失った後、ボクシングを続けるために、彼は仕事をやめ家を出た。そしてアルバイトしながら、一人で風呂なしアパートに住んでプロボクサーライフを続けている。

 「明日、誕生日なんですよね。」

 歩きながらふと彼が言った。

「え?おめでとうございます。」

「もう34ですよ。めでたくないですよ。でも誕生日なんで、明日からジムワークをしようと思ってるんです。」

 34歳というレッテルが何を周囲に何を思わせ、その直前の敗北がボクサーに何を強いようとするか、僕もわかる。世間一般方々の模範解答が何であるか理解してるつもりだ。体のことを思いやれば、そりゃ少しは思いやりに満ちた正論を言うべきか、思わないこともない。 レェフリーが試合をストップした理由の何パーセントかは、そんな正論によるものだったような話も漏れ聞いた。

しかし僕は何も言えなかった。

 可能性を信じることができるなら、それを許される環境にあるなら、ボクサーは明日の朝も走り、ジムで汗を流す。ボクサーというのはそういう人種だ。そんな彼ら対して、判決を下す権利は第三者にはないような気がする。

 メキシカンビールに紛れた会話の中で、中野選手は「あれじゃ燃え尽きられない。でも、燃え尽きちゃ困るんですけどね。真っ白になっちゃ。別に燃え尽きるためにやってるんじゃないですよ。はははは。」と試合を振り返った。そこには思いつめたニュアンスはなかった。少なくとも表層には。


 別に彼は矢吹丈になりたいわけではない。幕引きの場所を探しているわけでもない。ただボクシングを続けることを望んでいる。以前、彼が「10年後に後悔したくない。」と言っていたことを思い出した。

 でも、その気持ちは、リングで戦った人間以外には、なかなか理解はされないだろうなあ、とも思う。

 そう思いつつ、次に行った喫茶店で僕らはコーヒーをお替りしてまで、また2時間以上も延々とまたボクシングの話をしてしまった。
 何でそんなにボクシングなの?
 普通の人たちには、僕を含めて絶対に理解されないだろうなあ・・・・


 後日、中野吉郎選手から、6月9日に日高和彦選手と戦うことになったとメールがあった。日高選手は発達した上半身と強いパンチを持つ大柄なサウスポー。

 僕は不覚にも気遣いのメールを返してしまった。

「日本ランカーとなら誰とでも戦う。」

 すぐに、そんな言葉がoutlookに並んだ。
 それを、かっこいいと思ってしまった僕はあまりにも無責任なのでしょうか。


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