彼らの肖像 Vol 7

Text By 船橋真二郎
Photo By 山口 裕朗

平渡 広隆(ひらわたり ひろたか)/日東ジム




 4月10日、後楽園ホールで行われた大部薗和剛(白井・具志堅)との6回戦で、平渡広隆(日東)は第1ラウンドからピンチを迎えていた。2分30秒過ぎ、左から飛び込んで行ったところに右のカウンターをもらってダウン。さらにその後、平渡の右が大部薗の頭をとらえると、親指の付け根の辺りに激痛が走る。「やっちゃったな」と瞬間的に異変を察知したという平渡の親指の中指骨にはその通り、ひびが入っていた。ダメージはさほどではなかったとはいえ、いきなりの2ポイントのロスに右手のアクシデント。普通ならここで勝負が決まっていたとしてもおかしくなかったかもしれない。だが2ラウンド以降、平渡は落ち着いた試合運びを見せて形勢を逆転。58−56がふたり、58−57がひとりの3−0で判定勝ちを収めた。

 平渡に会ったのは、試合からちょうど2週間が過ぎた4月24日だった。待ち合わせていたJR神田駅の南口に現れた平渡の右手には、彼が電話で話していた通り、まだギプスがはめられ、包帯が巻かれていた。だが平渡は試合を振り返って、こともなげにこう言って笑った。

「骨折したのがよかったんでしょうね」


 「"攻撃は最大の防御ではない"と、思い始めたのはいつ頃からだっただろうか。少なくともここ数年は、ずっとそう思っている。攻撃には攻撃で返すという理屈は分からないでもないが、永遠にイタチごっこのような、ノーガードの打ち合いの中にプロフェッショナルが存在するとは思えない。たいていのスポーツは点の取り合いである。得点の多い方が勝つというのは、当然誰もが知っていることである。それでは、点は取れないが、点を取られることもないチームというのはどうだろう。もちろん勝つのは不可能である。が、点を取られないのだから負けることもない。そう、これが守備というものの結論であり、ディフェンスというものの根本なのである」

 俊足巧打の選手で、守備の名手としても知られるプロ野球・読売ジャイアンツの仁志敏久が、スポーツ専門誌『Number』(文藝春秋)574号の、自身の連載の中でこう書いている。大抵のスポーツで、見る側もやる側も意識が向くのはオフェンス面だろう。ボクシングにおいてもそれは例外ではない。観客も選手も華やかなKO勝利に心を奪われる。もちろんスポーツにおいて勝利を決定づけるのは、点を取る、相手にダメージを与えるオフェンスであることは間違いない。しかし勝利を追及するとき、"負けない"ためのディフェンスが、重要な要素であることもまた確かだ。仁志の場合、プロで経験を重ね、勝利を追求するうちに、ディフェンスの哲学を身につけていったように読み取れる。だが、平渡の場合は違った。プロボクサーになることを決意したとき、「人と同じことをしていては勝てない」と考えた平渡が、プロで生き残るために出した結論は、ディフェンスだったのだ。

 「攻撃の研究は誰でもしてると思ったんですよ。でもディフェンスに関しては研究されている部分が少ないと思ったんです。とにかくパンチをよけまくってれば、負けることはないかなっていうのがあったんで、ぼくはパンチをよけることに関して研究して、自分のボクシングスタイルを作ってきました。それがよかったんじゃないですかね。やっぱり人と同じ方向でやってたら、ぼくはダメだったと思うんですよ。攻撃っていう面も、もちろん大事です。だけど打たれないで勝つことが、ぼくはボクシングだと思ってるんで。そういう意味では、よけることに関しては誰にも負けたくないっていうのはありますね」

 平渡は、同じサウスポーでもある4階級制覇の元世界チャンピオン、パーネル・ウィテカ(アメリカ)の試合のビデオを繰り返し毎日のように見て、ディフェンス技術を研究したという。ウィテカは、特にそのディフェンス技術の高さに関して定評のあるボクサーだった。だが、そのボクシングスタイルゆえか、偉大な実績を残しながらもときに地味な印象を見る者に与え、決して人気が高いとは言えない世界チャンピオンでもあった。

 「パーネル・ウィテカっていう選手はぼくはすごい大好きなんですよ。世界で複数の階級を制している選手っていうのはみんな、レナードとかハーンズとか、やっぱりパンチがあって、攻撃力の高い選手じゃないですか。ウィテカっていうのは、正直いってパンチはないですけど、テクニック、特にパンチをよけるディフェンス技術で複数階級を制覇した唯一の選手ですよね。そういう意味で、ぼくはすごい選手だなって思ってます」

 だがパンチをよけるということは、パンチを当てること以上に、多分に感覚によるところが大きい。試合のビデオから平渡はどのようにしてディフェンス技術を盗んだのだろうか。彼が注目したのは、ウィテカの"足"だった。

「パンチを何発でもよけられるのは、バランスがいいからだとぼくは思ってるんです。やっぱり足の位置ですよね。だからぼくは下ばっかり見てました。ボクサーは足が命だとぼくは思っています」

 こうして平渡はディフェンスをベースにした自分のボクシングスタイルを、プロデビュー前から作り上げてきた。一方
で、ディフェンスだけでは試合に勝てないことは言うまでもない。だが攻撃に対する考え方も、平渡の場合、結局はディフェンスが基本になってくる。

 「自分でディフェンスの研究をしているときに思ったんですけど、相手のパンチが正面から来れば、やっぱりよけやすいじゃないですか。来るなっていうのがわかりますし。でも相手の死角からパンチが来れば、ぼくもよけづらいですし、相手もやっぱりよけづらいと思うんですよ。だからぼくは、ジャブをほとんど使いません。正面から行けば、自分のパンチも当たりやすいけど、相手のパンチも当たりやすくなりますから。それで、死角からパンチを打ったらすぐにクルっと体を入れ替える。そこがいちばん安全な場所ですからね(笑)。サイドからサイドから。それを常に意識しています」

 それでは平渡にパンチ力がないかというと決してそうではない。これまでに二度、平渡と対戦しているレパード玉熊ジムの、有吉将之トレーナーが彼の印象についてこう語る。

 「とにかくパンチが強いっていうのがいちばんだよね。特にうちのベン勉とやったときは、左の一発で倒されたから。ベンは高校のとき、青森県のチャンピオンになったくらいの選手だったから、余裕で勝てるだろうって思ってたんですけどね。だから、すごいびっくりしたのを覚えてますね」

 2001年4月18日に行われたベン勉との東日本新人王戦予選の4回戦に、平渡は1ラウンド2分58秒でKO勝ちを収めている。自分でもパンチ力はある方だと自負はしている。だが、「試合では思いっきりはパンチを打たない」と平渡は言う。

「あのときはベン選手がとにかく強引に出てきたんですよ。早く倒してやろうっていう感じで。まあベン選手はアマチュアの戦績もあって、プロですでに5戦してましたからね。そのときぼくの方は1勝1敗だったから、なめられてもしょうがないですし、試合前からある程度、相手が倒しにかかって来ることは想定してました。ぼくが逆の立場だったら、同じようになめてかかっていたと思いますし(笑)。でもあまりにも強引に、体ごとぶつかってくる感じで来たんで、これは思いっきりパンチを打っても当たるし、倒れるだろうなって考えて、左を出したんです。これがジャストミートで当たって。でも普通はやらないです。思いっきりパンチを打つと、どうしてもスピードが落ちてしまいますから」

 あくまでディフェンス重視。そんな平渡のボクシングがいかんなく表現された試合は、大部薗戦の前、2月15日に行われた遠藤靖幸(チャイナクイック渡辺)との6回戦だった。ここまで7戦6勝(3KO)1敗という好戦績を残してきた、2日前に21歳になったばかりの若いボクサーを相手に28歳の平渡が見せたのは、年齢差通りの"大人のボクシング"だった。ストレート系のパンチを中心に、直線的に前へ前へと出てくる遠藤を、平渡は右に左に冷静にかわし続けた。そして、いきなりの大きな左のフック、右のアッパーなどで遠藤の出鼻をくじくと、素早く体を入れ替え、相手のパンチが当たらない場所へとステップする。平渡の動きに遠藤の体勢が崩れたとみるや、すかさずコンビネーションを叩きこむ。遠藤にとっては蟻地獄にはまったかのような展開だったに違いない。結局、試合はこの展開に終始し、終了のゴングを迎える。ジャッジの3人がいずれもフルマークをつける平渡の圧勝だった。

 遠藤戦は平渡にとって非常に大きな意味を持った試合になった。この試合が決まったのは、わずかに1か月前だったという。短い準備期間に加えて、若く戦績もよい対戦相手、そして初体験の6回戦。普通なら尻ごみしてしまう選手も多いはずである。それでも平渡が試合を受けたのは、選手の数が少ないために、対戦相手の興行に出ることがほとんどの日東ジムにあって、決まった試合を断れば、次にいつ試合を組んでもらえるかわからないという、やむにやまれぬ事情と、お互いに勝っていけばいつかは必ず当たる、だったら今やっても同じだろう、という気持ちだった。そしてもうひとつ、これまで研究し、練習で作り上げてきた自分のボクシングが間違っていなかったかどうか、それを試すには格好の相手でもあると考えたからだった。

 「結果的に試合にも勝てたし、自分のいいところがすごい出た試合だったんで、ほんとにやってよかったですね。自分のボクシングに対して、すごい自信もつきましたし、あの試合は自分にとって、3試合とか4試合分の収穫があったと思ってます」

 自分のボクシングスタイルを見つけ、そのスタイルを確立することは、ボクサーにとって強みのひとつになる。たとえば試合の中での戦術面、技術面での修正も、あるいは練習の中での戦力アップも、自分の中に確かな基準をひとつ持っていることで、いずれも行いやすくなるはずだからだ。平渡はプロデビュー前からひとつの明確な基準を持ち、練習でそのスタイルを作り上げ、リングの上で戦ってきた。そして遠藤戦の勝利で、ついに平渡のボクシングスタイルは、確立されたといっていい。
 とはいえ、それだけで勝ち続けられるというほど、ボクシングは甘いものでもない。勝つためにもうひとつ重要な要素は、選手個人のメンタリティになるだろう。平渡がそのメンタル面での強みを証明して見せたのが、大部薗戦だった。

 「大部薗戦のときは、前の遠藤戦がよすぎたということもあって、いつでもかわせるっていう気の緩みがあったかもしれないですね。だから、リングに上がったときに体が重かったっていうのもあったんですけど、楽して勝とうとか、KOで倒してやろうっていう欲が出たのかもしれません。まあ練習はきちんとやってたんで、自信はあったんですけどね」

 気持ちの面でも体の面でも、常にベストのコンディションでリングに上がれるとは限らない。いくつかの要素が重なり、自分のボクシングを見失った平渡は1ラウンド、「ガンガン倒しにいくつもりで」放った左にカウンターを合わせられ、逆にダウンを喫してしまった。そこに右手の骨折までが重なる。だが、勝つために重要だったのは、ここからどう修正できるかだった。犯してしまった過ちを引きずらず、気持ちを切り替えることができるかどうかにあった。

 「自分の考えっていうのは、どんなときでも常にプラス思考でありたいっていうことなんです。そのために大事なのは、気持ちをだらけさせないっていうこと。だから、ダウンをしたときも、手を折ったときも、冷静でいるよう努めました。『ダウンを取られたから、ダウンを取り返さないと勝てないかもしれない』とか、『やばい、手を折っちゃったから、負けちゃうかもしれない』とか、マイナスのことばかりを考えてしまうと、絶対勝てなくなると思いますし、そういう焦りを自分の心に持ってしまうと、それはもろにボクシングに出ちゃうと思いますからね。マイナス思考になると、絶対に負ける方向に試合がいってしまう、逆に常にプラス思考でいられれば、考えることは勝つことだけですから、頭の中に勝てる絵図が自然に浮かんでくるものなんです」

 右手を骨折したことで、結果的に平渡は足を使ってかわす自分本来のボクシングを取り戻し、劣勢を挽回することができた。それを平渡は「運がよかった」と言う。「骨折してよかった」のだと。確かに表面だけをとらえれば、「運がよかった」ということになるのかもしれない。ただ、もし平渡に自分のボクシングスタイルと常にプラス思考というメンタリティがなかったとしたら、この日の逆転勝利はなかったはずである。そして平渡は、ボクシングスタイルだけでなく、そのメンタリティも自分自身で作り上げてきたのだ。

「自分の人生、常にプラス思考ですから」

そう言って平渡は笑った。


 平渡のプラス思考の原点は、「どんなときでも笑っていなさい」という、幼い頃から言い聞かされた母親からの教えだったという。「自分よりもっと強烈なプラス思考人間」という母親の影響を受けながら、平渡が成長の過程でそのプラス思考を育んでいったであろうことは想像に難くない。平渡は今でも、常にプラス思考でいることを普段の生活から意識しているという。

 「試合のときだけプラス思考でいようとしても、ぼくは絶対に無理だと思うんです。だから、ぼくは試合のときだけじゃなく、練習のときも、普段の生活の中でも、常にプラス思考でいられるように努めています。普段の自分の精神面がもろに出てしまうのが、リングの上だと思いますから」

 26歳まで後3か月という25歳のとき、平渡はようやくプロデビューを果たしている。それまで特にアマチュアの経験もなかった。以前に比べ、選手の年齢層が高くなってきているとはいえ、決して早いとは言えないデビューである。だが普通なら「不利」とも捉えられそうなこのことも、平渡に言わせると「運がよかった」ということになる。

 最初に平渡がボクシングを始めたのは、小学生のときだった。近所に住む同級生の女の子の父親が、自宅の庭で週に2回ボクシングを教えていた。もともと、やはり近所に住む平渡の父親の友人に、オートレーサーとキックボクサーがいた影響で、幼い頃からの平渡の夢は「オートレーサーか格闘技の選手」だった。そんな少年が、身近にあった一方の夢に飛びついたのは言うまでもない。結局、高校を卒業するまでその"庭"に通い続けた平渡は、プロボクサーを志した"庭"の出身者の多くがそうだったように、日東ジムに入門する。ちなみに日東ジムの先輩で日本タイトルにも挑戦した川名祝数も、この"庭"の出身者だった。

 だが20歳になった頃、平渡はボクシングから離れてしまう。理由は様々あったのだが、ひとつの理由は、19歳のときに始めた窓拭きの仕事仲間たちと、ビル清掃の会社を自分たちで始めたことだった。想像していた以上に金になった。「これだけ稼げるのなら、仕事に専念しようか」。いったんはそう考えてジムを去った平渡だったが、それから約4年が過ぎた24歳のとき、日東ジムに再入門する。

 「お金を儲けることばかりを考えていると、いろいろと余計なことを考えてしまって、プラス思考でいられなくなってしまうんです。このままだと気持ちがだらけてしまうし、自分がダメになる。そう思ったし、ボクシングをやるなら今しかないなと思って」

 平渡がボクシングに戻ったのは、結局、常にプラス思考でありたいという彼の人生の基本原則が理由だったのだ。そんな平渡が、プロボクサーになるまでの約4年もの回り道を、無為な日々であったととらえるはずはない。

 「仕事をしていたときにいろんな人に出会って、いろんな考え方を吸収できたんで、その歳でデビューしたことは、自分にとってはよかったんじゃないかと思っています。若い頃にデビューしていたら、今頃はもう引退していたかもしれません。トレーナーに頼らず、自分で考え、研究してボクシングスタイルを作り上げることができたのも、それまでの経験がものを言っていたと思いますしね」

 紆余曲折の末のプロデビュー戦は、実は1ラウンドKO負けという苦いものだった。だがこれも、平渡にかかればこうなってしまう。

「デビュー戦のときは余裕で勝てると思っていたんで、ほとんど練習しなかったんです。いい教訓になりましたよね。あのとき負けたのがよかったんです」

「運がよかった」 そう言うことができるのは、平渡の思考回路がプラスにしか働かないという証明だといえる。だが、単純に運がよかったということはまずありえない。つかむための準備と逃すまいとする努力を怠らなかった者にだけ、幸運は微笑むのだ。平渡は物事をプラスにとらえようという心の準備と、マイナスをプラスに転じようという努力を怠らなかった。「常にプラス思考」 それが運を引き寄せるのだということは、平渡自身がいちばんよくわかっている。

 昨年7月に結婚し、今年の11月には子どもが生まれる。12月には29歳になる平渡は最近、ボクシングをやめてからのことを考えるようになったという。

「どんな仕事をするかはわかりませんけど、ボクシングをやっててよかったと思えるように、ボクシングで得たことを今後に活かしたいですね」

 これまでの戦績は8戦6勝(2KO)2敗。現在、6回戦での2連勝を含む4連勝中で、A級昇格の資格を手にしている。チャンピオンという目標は心の隅にはある。だが、それは決して大きなことではないと平渡は言う。金や肩書きなどは大した問題ではない、常にプラス思考でいられる自分であればそれでいい。平渡にとって、ボクシングを今後に活かすということは、つまりはそういうことであるのかもしれない。

「ぼくは自分を強運の持ち主だと思っています。よく『自分には運がない』とか『運を使い果たしてしまった』というようなことを言う人がいますけど、ぼくはそう思ったり、口にしてしまった時点で、運は逃げてしまうと思うんです。だから、ぼくはこれから先もずっと、強運を持ち続けると信じているんです」


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