| 元東洋太平洋バンタム級チャンピオン Text By 新田 渉世 Photo By 山口 裕明 |
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| マナベボクシングジム会長 真部 豊氏 |
| 小雨のぱらつく水曜日の夜、国道沿いの小さなビルの2階に光る白い看板を見つけた。 “マナベボクシングジム”― 誇らしげに書かれたその文字は、信号待ちの車からも、陸橋を渡る電車からもはっきりと読み取ることが出来る。ガラス張りのジムでサンドバッグを打つ若者に目をとめてゆく人は多い。 かつて“史上最強の証券マン”として注目を集めた元日本S・バンタム級チャンピオン真部豊氏(宮田ジム)。現在は東京葛飾区亀有で、ボクシングジムを経営している。 「是非俺も一緒に・・・」と名乗りをあげたTalk is Cheap ライターの丸山幸一氏と共に彼のジムを訪ねた。 |
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初対面にもかかわらず、お互いに前から知っているような雰囲気で握手を交わした。新田よりも、ほんの少しだけ理知的でスマートな真部氏の会長机の周りは、きちんと整理されており、掲示物や練習用具もセンスよく並べられていた。 「うちよりきれいで広くて明るい・・・」 別のジムの会長でありながら思わず入会したくなってしまった。 午後10時にジムを閉め、近くの炭火焼肉屋へ場所を移した。 「ベルトを子供にプレゼントするんだ!」
‘97年12月、真部氏は以前判定で敗れている福島恭四郎に再挑戦し、10RTKO勝ちで日本S・バンタム級タイトルを獲得した。 チャンピオンになった2日後に赤ん坊が生まれた。 わが身を思い起こせば、結婚、子供達の誕生とめでたいことに重なった試合はすべて落としてきた。真部氏に広い意味での“強さ”を感じた。 ボクシングの手ほどきを受けた田中トレーナーが角海老宝石ジムへ移籍した際、彼は宮田ジム残留の道を選んだ。 その理由については、彼自身も明確には答えられなかったが、今、会長として練習生達を指導する真部氏の姿を見て、当時の後輩達に対する責任感、使命感が彼をそうさせたように思える。 引退後の真部氏は、ボクシング以外の仕事だって出来ることを証明したかった。職安を回り、あるインターネット関連の会社に就職。営業の世界へ飛び込んだ。 以前証券マンをやっていたとはいえ、まるで違う業界である。すべてが初めてのことばかりで苦労は人一倍だったに違いない。 そして約一年半後、ジム経営の道に飛び込み、ボクシング界に堂々の復帰を果たした。 「会長業は楽しい。」 真部氏は屈託無く笑う。全てが自分にかかってくるプレッシャーを楽しんでいる。 “どれだけ良い時間が過せているか―”それが真部氏の人生哲学だ。 ボクサー時代も、強くなることそのものより、“強くなることによってその先に何があるのか”ということが真部氏のテーマだった。
真部氏の“楽しみ”とは、全てが自分にかかってくるプレッシャー。選手や練習生達の将来、人生に大きくかかわる責任感である。 同じ“楽しみ”を持つ人間として、彼との語らいは有意義だった。 今回、さすらいのライター丸山幸一氏が同行に名乗りをあげた真のねらいは、そんな人間同士を引き合わせ、ボクシング界の前進に寄与するという崇高なものだった。一介のライター(失礼)という立場でありながら、業界の改善を願い、活動する姿は、たとえ飲んだくれていたとしても美しい。 日付が変わる頃、真部氏は「明日があるので。」と言って家路についた。 会長としての責任感ある行動を見習わなければと思いつつ、終電を逃してしまった新田は、さすらいのライターとともに夜の街へ消えてゆくしかなかった。 翌日、新田ジムの会長机の周りを少しだけ整理した・・・ |
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