☆ お詫び
先月は、保住問題が発生し、原稿を中断した。ファンの皆様方には、保住のキャンセルによって御迷惑をお掛けしたことをお詫び申し上げます。
☆ 続 マスコミとボクシング
さて、先月の続きである。というか、実はあの時点で、この先どう書き繋いでいこうか、全くビジョンがなくて困り果てていたのだ。
「マスコミとボクシング」というテーマを語る時、私には、決して明るくはないボクシング界の現状を説明することは出来る。またマスコミの性質というものについて、他の人々とは違う角度で分析できる位置にもいる。だが私には「ではどうしたら良いのか」という見通しが、残念ながらない。そう、先月、あそこで行き詰まってしまったのは、自分の文章にビジョンがなかったからだけでなく(もちろん、それも大いにある、悲しい現実ですね)、ボクシング界の将来そのものについてのビジョンが欠如していたからなのである。
どうしようもなくなった私は、何か知恵はないだろうか、と読者に振っておいて、そしてトラブル発生を理由に中断してしまったというのが真相なのである。(あ、でもあの時はすごく大変で、パソコンのスイッチを入れる余裕もなかったことは本当ですよ、編集長)
実はそもそも私自身に、ボクシング界に対するビジョンがない、ということを気付かせてくれたのは、おなじみ尾崎恵一氏である。私は最近、やはりワールドの執筆者である粂川麻里生氏の個人サイト上で、掲示板にせっせと書き込みをしている。それはこの連載を強引に始めさせてもらったのと同じ動機で、ボクシング界の内側からの視点を世間に知らせたい、という気持ちからだ。いきおい、ボクシング界の現状説明が多くなる。世間が「こう改革すればいいのに…」と言ってくれることに対して、私は「いやいや、そんなに甘くはないですよ」と半ば諭すような口調で答えてしまう。そこに尾崎氏のコメント。言い方はもっと丁寧だが、要は「ではお前の理想はどこにあるのだ?」というものだった。
振り返ってみると、ここでの連載でも、掲示板での書き込みにおいても、私という人間は、積極的にまた具体的に、ここをこう変えるべし、という主張をしていない。していない、のではなく、出来ないのである。なぜなら、そもそも主張すべきビジョンを持っていないからだ。
そんな簡単なことを、尾崎氏に指摘され、さらに先月の原稿を気ままに書きなぐった挙げ句、筆がピタッと止まってから、やっと気付いた私は大馬鹿者なのであろう。
だが、大馬鹿は大馬鹿なりに自分の役割を全うするべきではないか、という気もしつつあるのだ。つまり、元来からへそ曲がりの私は「悪魔」になろうと思うのである。
経営の世界では「悪魔のディベート」という手法があるらしく、会議中、悪魔役は、同僚が出した提案に対してとにもかくにも反対しなければならないそうである。本人の持論が本当は賛成でも、反対を貫き通すことを義務づけられる。あまのじゃくですね。もちろん、駄々っ子のように「駄目なものは駄目」なんて言うのは失格である。しっかりと理論武装し、その提案のどこに欠点があるのかを、多角的に冷静に立証するのである。そうした悪魔の洗礼(=客観的な厳しい検証)を受けることによって、提案は、より強固になるわけだ。
「なんだ、自分にぴったりの役割じゃん」と私は思ってしまったのである。
私も「悪魔のディベート」での悪魔のように、人が言ったことにとりあえず反対してみようと思う。そこから議論が生まれ、そのうちに、私自身や皆の中で何か良いアイデアが生まれるかもしれない。だから、私はこれからもやたらと屁理屈をこね回します。、鬱陶しいと思うかもしれないが、変わらずお付き合い下さい。
というわけでまず、先月のワールドボクシングの、尾崎氏のコラムに反論したい。私のビジョンのなさを指摘してくれた恩人である尾崎氏にその矛先を向けるなんて、なんとも恩知らずで、まさしく私は悪魔の名に恥じないのである。
さて、「日本のボクシング文化」と題するコラムで、尾崎氏はこういう意見を述べた。「マスコミによる、ボクシングの取り上げ方は、他の競技に比べ深みが足りない。」
どうであろうか。反論を述べる前に、ここで私は、便宜上、用語を造りたい。人となりや境遇などにスポットを当てることを「ドラマ性」と呼び、テクニックや心理面の駆け引きなどを描いたものを「技術性」と命名する。
尾崎氏は、イチローや古田などの一流アスリートを取り上げたドキュメンタリーは「技術性」を多分に取り入れ、技術的な面白さをちゃんと紹介しているのに、同じマスコミがボクサーを取り上げると「ドラマ性」ばかりが強調される、ということを言っていたのだと思う。確かにボクサーが一般マスコミで取り上げられるのは、奇抜な言動、珍しいほどの高学歴など、「ドラマ性」の部分によってだ。最近ではうちの西澤ヨシノリが定年ボクサーと言うことで、なんと朝日新聞の社会面の四分の三を独占した。
私はこれは、ボクシング文化というよりも日本の大衆文化がそうさせていると解釈している。一般の日本人は基本的には、どのスポーツであれ、「ドラマ性」だけに興味を持つ人種だ。少なくともそのアスリートがメジャーな地位に駆け上るまでは、「ドラマ性」しか見ない。(ちなみにドラマ性には4分野があって、@記録
A容貌 B境遇 C言動や競技における豪快イメージ、である。ボクサーで言えば連続KO記録の丸山選手は@で有名になりつつある。畑山氏などはAやCであろう。野球のイチローは完全@、松井はC。)
私は前回、スポーツ紙の扱いの小ささについて述べたが、最近、印象深いことがあった。ある日本チャンピオンのノンタイトル戦。その翌日の某スポーツ紙は、なんとその試合を記事にすらしなかった。あの例の、勝者の名前が上で敗者の名が下段にくる全試合の結果報告のみ。そして、その横に視線を移して思わず苦笑いしてしまった。「金髪の卓球少女、敗退」と写真入りで報じているのである。もちろんそれほどの大きさではなかったが、こんなものにボクシングの日本チャンピオンは負けてしまうのか、とガックリきてしまった。私は彼女の名前すら知らないし、そもそも敗退したのなら、なにもそんなに大袈裟にするなよ、と思ってしまうのだが、「卓球をやる女の子が金髪」というインパクトの方が、ボクシングのチャンピオンの試合結果よりも、報道価値があると思われているのだろう。それは「ドラマ性」において、金髪という方が勝っているからである。かくのごとく、日本人はまず表面上の「ドラマ性」を好む。
それではなぜ、尾崎氏が例に出したイチローや田村亮子や古田は、技術的なところにスポットを当てられたのか。簡単である。有名人だからだ。彼らの名前がすでに日本人の常識の一部となったからだ。そう、ドラマ性の部分で日本に充分浸透した存在だからこそ、「ようやく」技術性に焦点を当てた、という方が正しいのではないか。
例えば、あなたが自分の好きなボクサーを、ボクシングにまったく疎い友人に紹介するシーンを思い浮かべて欲しい。やはり興味を持ってもらいやすいところから話そうとするのではないか。保住を、左ボディーの打ち方が凄くうまいボクサー、と言ったって、相方はキョトンとしますよ。最初は「相手を挑発する破天荒な面白い奴がいるんだ」と会場に連れてくるところから始めるでしょう。試合後、友人が虜になったところを見計らって、「実はあの左のボディー打ちはね」と解説するというのが順番ではなかろうか。
要するに、ボクサーたちは自己紹介がまだ終わっていない段階なのである。技術性の部分を述べるには、時機尚早なのだ。
畑山氏が世界王者の時には、TBSの「ZONE」や「情熱大陸」で、彼の戦略や駆け引きを描いたドキュメンタリーが放映されたものだ。おそらく、それらは尾崎氏が見ても(ある程度は)満足のいく内容だったのではないかと思う。
そう言えば、先日テレビを何気なく見ていたら、天才卓球少女・福原愛ちゃんに関するドキュメンタリー番組をやっていた。もちろん、その大半はお決まりの「小さい時から母親に仕込まれ、よく泣く負けん気の強い女の子」という取り上げ方だったが、そんなことは誰でも知っているよ、というくらい有名になってしまった現在、そして愛ちゃんが話題先行だけでなく実力もつけてきたことが明白になった今、さすがにそれだけでは視聴者が納得しない、ということに製作者も気付いたに違いない。愛ちゃんが元世界王者の小山に敗退するシーン、そして本場・中国へ単身留学するシーンなど、随所で、卓球の本質に関わる解説があった。「王子サーブ」という、球を高く投げ上げ体を大きく沈めて繰り出すサーブは、小さい体でも強い回転を生み出すためのもの、という説明や、無敵だった中国式の卓球スタイルがなぜヨーロッパ式の前に敗れ去ったのかという分析などは、卓球そのものの面白さを充分引き出したものであったと思う。先程述べた金髪の女の子も、愛ちゃんくらい有名になったら、(そして本当に強い選手ならば)その強さの秘密に迫る取材がなされるだろう。
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言うまでもなく尾崎氏の役割は今なお大きい。尾崎氏にはマニアたちを啓蒙することによって、ボクシング技術論を下支えしてもらわなければならない。それは畑山氏のような人気スター選手が再び出現し、マスコミの興味がドラマ性から技術性に移行した時、初めて大きく花開くだろう。マニア同士の会話から技術論が消えてしまっては、ボクシング界の将来は暗い。いざマスコミが、奥深いところを取り上げたい、と言ってきた時に、誰もそれを語る人間がいないというのは悲劇である。それではプロレスと何ら変わらなくなってしまう。尾崎氏には「文化」としてのボクシングを気長に育んでいただきたいと思う。
ただ尾崎氏と同じスタンスを、現在のマスコミおよび大衆に、性急に求めても、それは無理ですよ、というのが私の意見なのですが、いかがでしょうか、尾崎さん。
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