ドロップアウト・パンチ Text by Katsuya Ohkubo



 はじめまして。フリーライターの大久保と申します。
 と、菊坂編集長に初めてのメールを送ってから、もう2年の歳月が流れてしまいました。
 その間、どこぞの4回戦ボーイにも負けず劣らずのストイックな暮らしぶりながら、現・元プロボクサーたちに「勇気」をもらいつつ、書き手として温めてきた思いや過去の記憶などを、今後こちらで書かせていただこうと襟を正している次第です。
 改めまして、どうぞよろしくお願いします。
 ボクシングとの付き合いは、かれこれ十数年になるでしょうか。でも、そのスタンスは様々で、ざっと記すと、ファン→ジム練習生→プロテスト→空白期→メキシコ修行→空白期→ライターといった具合に、腰の据わらない性分です。
 では、一発目は自己紹介をかねまして、この軟男にかつて大いなる喝を入れてくれた本物の男について書かせていただきます。

        "リアル・ディール(本物の男)"

 小さなローカル紙の記者からフリーランスのライターに転じた僕が、まず始めたのはインターネットである。

 検索サイトで「ボクシング」や「ライター」などのキーワードを入力し、いくつかのホームページを巡ったのち、この『Talk is Cheap』に行き当たった。そして、バックナンバーを辿るうちに、あるライターの名前に目が留まり、創刊号から改めて読み返すこととなった。

 本田宏一。僕はその名に導かれるようにマウスをクリックしては、そこにしたためられたボクシングの戦評を先に読み進んだ。きっとそのライターは、僕の知っている元ボクサーであるはずだった。

 技術、戦術、スタイル、メンタル、傾向など幅広い観点から勝敗のポイントを抽出し、細かにラウンドを追っていく本田さんの記事は、やがて熱を失ったかのように簡素化していく。そして第8弾に『ボクシングの原風景』という逸品のコラムを残し、ペンは置かれたままとなっている。

 その理由を僕は深く知らないが、やはりあの元ボクサーだった。聞くところでは、本田さんの戦評は当たり障りがなさすぎるなど、評判は芳しくなかったようである。たしかに、なまじの選手経験がシガラミとなり、筆を鈍らせてしまっているようにも僕には感じられた。しかし、そんなことは本田さんも自覚していたのではないだろうか。そしておそらく、ひとつの原稿をアップするにも苦悩し、無益な時を費やしたのではないかと思われる。

 ライターにも様々な人種がおり、僕は偉そうに言える身分でもないが、人に読まれるものを書くには、シガラミをなるだけ淘汰し、筆者としての視点を明確にしないと先に進めないもだと思う。逆の例でいうと、僕は一頃のJリーグ・ブームに拒絶反応を示した口なのに、いざ仕事でその世界に関わることになってみると、思いのほか楽に事が運んだ。選手や監督の名前もまともに知らないところからスタートしたので、シガラミなど生まれようもなかったのである。

 そこへいくと、本田さんはボクシングの素人でもオタクでもない。れっきとした元プロボクサーであり、日本チャンピオンをノックアウトしたこともある元日本ランカーだ。だから、その気で論陣を張れば、身を削っての裏づけがない紙の上のボクシング論より、はるかに説得力を伴うはずである。現に、ボクシングやスポーツに限らず、「実体験」という鋭利な武器をかざし、メディアに生きる人はいくらでもいる。

 しかし、僕の知っている本田さんは、きっとそれができない人。いや、しない人なのだ。自分を棚に上げて、あるいはフロントに押し出して、他人のファイトを切り刻んで論ずることに、いくばくかの遠慮や罪にも似た意識を覚え、ずいぶんな葛藤もあったのだろうと察せられる。

 そんな本田さんを「男」だと持ち上げるつもりはないし、そのような賛美は本人とて不本意だろう。また、僕の勘ぐりが暴走していたら誠に申し訳ない。けれど12年前、偶然に僕の前に現れた本田さんは、たしかに本物の男だった。


 あれは大学3年の秋。学園祭でのことだった。

 やや軟派な同好会の一員だった僕は、そのサークルで出店しているタコ焼き屋を根城に、異性めあての呼び込みと徘徊を友人と繰り返していた。

「えーと、名前なんだったっけ?」 

 歩いている肩を後ろからトントンとされて振り返ると、そこには親しげに微笑むスマートな男が立っていた。そして、キョトンとする僕に、彼はかぶっていた帽子を取り上げて
「俺だよ」と、また優しく笑った。

 それが本田宏一さんである。

 当時は三迫ジム所属の4回戦ボーイで、戦績はパッとしなかったと思うが、その身体能力や練習熱心さは人目を引くものがあった。

 そして僕は、その春まで同じジムに通っていた練習生だった。といっても、一介の練習生とプロボクサーとの間には絶対的な壁が存在し、本田さんとの会話はそれまで一度もなかったと記憶している。僕はその年の3月にプロテストを受験し、翌日に合格を知ってからは、ジムと疎遠になっていた。

 エクスキューズはいくらでもできる。

 当時の僕は、月に10日前後の夜勤と引き換えに、独り暮らしの自由を手にしていた。しかし、プロテストの3ヵ月前からは夜勤をなるだけ控え、学校へも行かずにトレーニングに専念してきたため、テスト後しばらくは労働する必要があった。また学校からは、取得単位の不足による「進級警告書」なるものが親元へ送りつけられてしまい、そちらからのプレッシャーもあった……。


「大久保です」

「あっ、そうだ、大久保クンだ。俺もこの大学にいたんだけど辞めちゃってさ(笑)。でも友達がいるから誘われて来てみたんだけど、今日の武藤(敬治=プロレスラー)のトークショーも見ようと思って……」

 気さくに声をかけてくれた本田さんは、僕と肩を並べて歩きながら自身やジムの近況などを話して聞かせてくれた。

 そして、キャンパス一の大きな教室で僕の隣に座ると、人気レスラーのトークが始まるまでの間、先述したような僕の言い訳トークに黙って耳を傾けていてくれた。しかし、だからなおさら僕は狼狽し、核心を吐露してスッキリしたい気分にもなっていた。

 本当は、僕がジムに行かなくなった最大の理由は、怖かったのだ。連日のスパーリングからくる痛みや恐怖や緊張に、耐えられなくなったのが正直なところである。ましてや、行き先の不透明なプロボクサーの道に足を踏み入れるだけの自信も度胸もあるはずがなかった。

 僕はそのことを自分の中だけに隠し続けており、ついにこの場面でも言い出せなかったのだが、目の前にいる本田さんの存在そのものが僕を丸裸にしているのだった。

 トークショーが終わると、本田さんは僕らのタコ焼き屋に立ち寄り、差し出されたタコ焼きを

「試合近いから、1コだけね。ありがとう、じゃ、また」

 と言って頬張り、歩いて人ゴミの中に消えていった。

 ボクは笑顔でその背中を見送りながら、内心はどうしようもなく打ちのめされていた。同じ男としてあまりの器の差、格の違いを無言のうちに突きつけられたショックはいかにも深く――。

 「大学やめちゃった」と笑って言える本田さん――プロテスト前のスパーごときで怖気づいた俺。なのに、それを白状せずに別の言い訳をしている俺――そんなの見抜いているはずなのに、苦言や疑問のひとつもぶつけてこない本田さん。とりたてて自分が戦士であることをアピールしない本田さん――「俺プロボクサーなんだ!」とボクシングに無知の人々に得意顔で吹聴していた俺……。

 なんなんだ、この差は――。この俺のザマはなんなんだ――。


 あの自己嫌悪にまみれた日から3年後。僕は有り金5000ドルを片手に、憧れのフリオ・セサール・チャベスの国、中南米はメキシコへと渡った。
 さらに『Talk is Cheap』で本田さんがライターに転じたことを知った3ヵ月後。またも偶然に後楽園ホールで僕を見かけた本田さんは、昔と同じトーンで声をかけてきてくれ、菊坂編集長に引き合わせてくれた。

「リアル・ディール(真実の男)」は、クルーザー級の世界統一王者からヘビー級の世界王者となった米国人、ホリフィールドのニックネームで有名である。だが、「ディール(deal)」そのものの意味は、「分ける」「ふるまう」「協定」「政策」など。

 つまり、本田さんの「リアル(本物)」の像が、僕の「フェイク(まやかし)」を暴き、ある意味で解放してくれたのである。

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