正月休みにビデオレンタル店でムハマド・アリの伝記映画「アリ!」を借りてきて観た。アリに魅了され、アリと共に(観戦者としてほぼ同時代的に)ボクシング人生を送ってきた私としてはまさに遅蒔きながらの鑑賞ではあったが、実はこの映画を見ることに二の足を踏む理由があった。アリのそのドラマティックな半生を私自身、知り過ぎていること、その上、監督がマイケル・マンでアリを演じているのがミスキャストとしか考えられないウイル・スミスであることだった。
マンは「ラスト・オブ・モヒカン」「ヒート」「インサイダー」等の作品を世に送り、米国内では大いなる評価を得ている監督だが、そのもったいぶった作り方が私の性に合っていなかった。例えば「ヒート」だ。この映画は組織に組みしないギャングと、それを追う刑事の奇妙な友情をテーマにした内容だが、ロバート・デ・ニーロ(ギャング役)、アル・パチーノ(刑事役)という当代切っての個性派をキャスティングしながら、そのハードボイルド調な表向きとは裏腹に、昭和40年代初期に流行った東映のやくざ映画のような、うんざりするほどセンティメンタルなシーンで終えている。このマンがウイル・スミスを使ってアリの半生を映画にする・・。考えただけでも観たくない気がしたのである。
が、「アリ!」は紛れもない傑作だった。
1964年2月25日。ソニー・リストンから王座を奪ったシーンから始まるこの映画は、徴兵拒否のために剥奪された王座を74年の10月30日、ザイールのキンシャサでジョージ・フォアマンを奇跡的な逆転KOに屠り、再び世界ヘビー級の頂点に立つところで終っている。その間の物語はことさら珍しくもないことばかりである。にもかかわらず、なぜ、深い感動を覚えたのか。
アリに徴兵の通知が来たのは、9度目の防衛戦を終えた直後だった。当時、彼は黒人を対象としたイスラム教、ブラック・モズレムのいわば広告塔的な存在だった。徴兵の知らせを受けたアリは言う。「俺達をニガーと呼ばないベトコンを何故殺さなければならないんだ?」。こうして断固、兵役に就くことを拒否したアリに対し、アリのマネジャーでもあった宗教指導者・ハーバード・モハメッドは、国側と政治的な取引をする。つまり半年間、拘留された後、釈放するという司法取引だ(このエピソードを私は映画を観て初めて知った)。
アリがアントニオ猪木と闘うために来日したのは76年の6月である。2度目の王座に就き、カリスマ的存在として世界中の支持を得ていたアリに対し、あたかも彼の主人のように付きまとっていたハーバードをその時、私達は何度か取材した。ハーバードは口を開く度にこう言った。「猪木との対戦も全て、アラーの御意志によるものなのだ」。しかし、映画の中での彼は言う。「アリが私達の意思を受け入れない限り、彼の宗教活動も支援も停止する」。
突き放されたアリは司法との孤独極まる闘いを余儀なくされ、やがて破産する。そのアリに連邦最高裁が無罪の判決を下したのは、徴兵拒否の罪で逮捕されてから約3年後のことだった。セリフにこそないが、晴れて無罪を勝ち取った時の彼の表情がこう語っていた。「俺の主人はブラック・モズレムでもない。俺の主人は俺自身なのだ」
その後、何故、アリが自分を見放したハーバードとタッグを組んで、再びリングに立つことになるのか、深く触れていないのが残念だったが、その当たりが実話を映画化する際に付きまとう制約なのだろう。
それにしてもその実体は商才に長けた実務家のハーバードが、私達に接する際の宗教家然とした取り澄ました態度に、今さらながら腹が立つ!。話を戻そう。この映画でさらに印象的だったのは、アリが「ロープ・ア・ドープ」と呼ばれた作戦を、信頼するトレーナーのアンジェロ・ダンディの指示を無視して実行し、フォアマンをKOに結び付けるシークエンスだ。「アリ、ロープから離れろ、中央で闘え!」。コーナーからそう叫び続けるアンジェロ。が、アリはその声に逆らい続ける。8回。フォアマンの動きが鈍くなった瞬間、アリの鋭いワンツーが飛んだ。その瞬時に放った連打でキャンバスに倒れ込み、自分自身が信じられないような面もちで10カウントを聞くフォアマン。そのキャンバスにいきなり驟雨が降り注ぐ。「アリ、アリ!」と叫ぶ観客に応えるため、ロープに足を掛け、身を乗り出して両手を挙げるアリ。激しい雨に打たれながら歓声に応じている姿がやがてストップ・モーションになり、暗転して映画は終わる。
私達がアリが滞在していたホテル京王プラザのスイートルームを訪ねたのは猪木との対戦を4日後に控えた時だった。ピアノを弾き終わったアリに、私の友人が訪ねた。「あのフォアマンを倒した、前代未聞とも言える作戦は、アリ、あなたの閃きだったのですか?」。アリが笑いながら答えた。「決まっているだろう、あんな戦法を思い付くのはアンジェロ以外に誰がいるんだ?」。その時、アリの傍らにいたアンジェロはただ静かに笑みを浮かべただけだった。が、映画が事実を伝えているのならば、フォアマンの力を減殺させて、一瞬の隙を突いて王者を倒す作戦を思い付いたのはアリ自身の感性だったのだ。 何故、アンジェロの指示に従わなかったのか? もしこんな問いをアリの心の中に問いかければ「それは俺の主人は俺だからだ」。きっとまたそんな答えが返ってきたことだろう。
それにしてもマンがこの映画で言いたかったことは何なのか、何故、今、この映画を作らなければならなかったのか。
米国のブッシュ大統領のイラク対策を支持する国民は7割を超えているという。恐らく、この原稿が日の芽を見る時には既に、イラクに対する軍事攻撃は開始されているかも知れない。イラクのフセイン大統領という人間の是非は別として、イラクへの空爆は多くの一般人の犠牲を伴う。にもかかわらず、なぜ米国民の多くは、その戦争を支持しようとしているのだろう。
彼らに問えば恐らく聞き飽きた「悪を撲滅するのが我が国の使命だからだ」といった答えが返ってくることだろう。が、かつてアラブ諸国が埋蔵する原油を技術提供という形で搾取し続け、また、第二次大戦直後には、パレスチナの地に「国連決議」の名目でイスラエルを建国したのも米国の圧力によるものだった。それも3000年前にユダヤの民を率いたモーゼが40年かけて辿り着いた地。それがパレスチナだった、という理由によるものである(旧約聖書の「出エジプト記」)。つまり言うまでもなく、アラブに対し紛争の種をまき散らしたのは他ならぬ米国自身だった。にも拘わらず「正義」の名の下に、戦争を仕掛け続ける米国・・。
マンはある雑誌のインタビューの中でこう言っている。「私は今の大統領の政策の是非に触れるつもりはない。しかし、人間にとって正義とは何なのか。孤立無援の闘いを続けたアリを通して、私はそれを主張したかった」。信じる宗教からも見放され、ボクシングを取り上げられながらも、何故アリは闘い続けられたのか。マンは言う。「それは彼が自分自身を信じ続け通す希なる才能があったからだ。そしてアリにとって正義とは国家でも宗教でもなく、彼の内面だけに存在したものだったのだ」
湾岸戦争以来、戦争をゲーム感覚で捕らえがちな現在の若者に対し、実際の戦争のむごたらしさを敢えて浮き彫りにして見せたスピルバーグ作品「プライベート・ライアン」、さらにソマリア紛争に介入する米軍の悲惨な姿を描いた「ブラック・ホーク・ダウン」は、いずれも優れた反戦映画との評価が高い。しかし、私はこの戦争シーンが一切ない「アリ!」こそ、それ以上に優れた反戦映画であると思っている。また観る前からミスキャストと断じたウイル・スミスの演技が、秀逸だったことを付け加えたい。
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