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☆ JBCへの抗議について
この原稿を書こうとあれこれ構想を練っているところへ、最近、名古屋で頻発する地元判定の問題が耳に入ってきた。専門各誌も厳しい調子で糾弾しているところを見ると、その不当ぶりたるや相当ひどいものだったのだろう。普通、ああいう雑誌はあからさまに非難はしないものだから、「勇気を持って書いた」というよりも「書かざるを得ない」ほどの逆転採点だったに違いない。
世の中には「ヨネクラマジック」などという言葉がありまして(まるで他人事ですね)、さも我がジムが不当な採点で勝ちを拾ってきたかのごとく言われるが、まあそれは(ヨネクラジムだけでなく)大手のジムに対する一種の嫉妬ややっかみもあるのだろうと、あえて反論せずにいる。世論では、大手ジムという単語を何か薄汚い悪いイメージのように語るが、私たちは政治力や経済力を使って何らかの工作などしたこともないし、そもそも出来る訳もない。私たちの経営規模は個人商店そのものであって、むしろ金儲けや権力闘争にもっと器用だったら、今ごろは大企業の仲間入りをしていたかもしれないくらいである。ヨネクラジムが今あるのは、ただひたすら米倉会長が選手を育て、チャンピオンを育成してきたからである。大手ジムだからチャンピオンを育成できたのではない。選手を育てたからこそ大手ジムと呼ばれるようになっただけのことである。そのことで陰口を叩かれるいわれもないし、誰にも文句を言わせない。例えば現在、ヨネクラジムには10人以上の日本ランカーがいるが、すべて全日本新人王になったり日本ランカーを打ち破ったりと、正当な手段でここまで昇ってきた結果であって、それ以外のいかなる手段も使っていない。皆さん、「大手ジムの政治力」とおっしゃるが、具体的には何を指すのか。不当な圧力?買収?JBCの名誉のためにも言っておくが、そんなことをして選手を日本ランキングに入れることなど、できっこない。
採点に関しても同様だ。確かにラッキーな判定で救われたことも幾度かある。それは認めよう。しかしその反面、納得のいかない判定で負けにされたこともやはり数えられないくらいあるのである。審判諸氏には特定のジムや選手に対する贔屓、偏りなどはあり得ない、と断言できる。ただ、見る角度、クリーンヒットの考え方の相違、観客の応援の影響などで、世論と逆の結果をつけてしまうことも時にあるのだ。
いや、中部地区の審判だけは、どうやら例外のようである。彼らは特定の選手に思い切り肩入れし、明確な判定を平気で引っ繰り返す。それを外部で批判されても閉鎖的な社会に閉じこもってしまって、聞く耳さえ持たない。中部の事務局は問題ある審判に対して何の処分を下せず、まったく自浄能力を示せずにいる。
断っておくが、私は中部の事務局および審判を批判しているのであって、名古屋のジムや選手に対して言っているのではない。中部地区の何人かのジム関係者ともお付き合いさせて頂いているが、悪い人は一人もいない。むしろ、うちと同じように判定でのダーティーイメージが付き纏ってしまって、気の毒なことだと心より同情する次第である。
中部といえば思い出がある。私も一度、中部地区に選手を連れて遠征に行ったことがある。その時中部事務局の人間にはほとほと呆れてしまった。私がボクシング界に入って本気で怒ったことは、この一回きりである。地元選手に対して微妙な判定でうちの選手が負けた。それはいい。私も微妙な試合内容だと思っていたのだから、まあ負けにされても仕方のないことだとは内心思っていた。ただ最終ラウンドにうちのボクサーがダウンを奪っていたこともあって、選手にも採点表を見せて、どのラウンドを取られていたのかをきっちり確認する必要があると感じた。だから試合後、コミッション席に行き、採点表を見せて下さい、と普通に頼みに行った。東京では当たり前の光景である。するとそこに座っていた某が、なんと「見せる訳には行かない」と言い放ったのである。「採点表を見せるなんて前例がない」。私たちが東京で日常的に行っていることが、この閉鎖社会では前例がないと来たもんだ!
命懸けで戦った選手は、不当な判定で負けたと控室で泣いている。それに対して、抗議したが採点表さえもらえなかったでは、マネージャーの立場がない。あまりに選手が可哀相だ。もう一度、コミッション席に詰め寄ると今度は責任回避が始まった。「事務局長に聞かないと分からない」「事務局長はどこにいるんですか」「葬式に行ってここにはいない」「(ムカッ)だったら事務局長の携帯番号を教えて下さい。今、私が電話して直接聞くから」ここで、ようやく困った顔をして、渋々、表を差し出したのである。ちなみに、うちの選手がダウンを獲った最終ラウンドは、三者ともに10−9とされていた。見事な帳尻合わせであった。
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ここからいよいよ本題に入るのだが、このような事件に遭遇した時、私たちは断固、抗議しなければならない。JBCに対する抗議、それもマネージャーの大事な仕事の一つである、と思っている。先程「ヨネクラマジック」の話題になったが、他のジムに比べてヨネクラジムが比較的することと言えば、それはJBCへの抗議を頻繁に行なうということだ。圧力?ごり押し?そうではない。こちらが正しい、と思うことははっきり言っておく必要があると思うからだ。抗議することによって事態が逆転することはあり得ない。例えば負けとされた試合が勝ちになることは(普通は)ない。では何のためにヨネクラジムは抗議するのか。理由は三つある。
1.次の局面に有利な状況を作り出すため。例えばタイトルマッチ等で再戦を実現させるなど。
2.JBCへの教育的効果。JBCは皆に文句ばかり言われてお気の毒な立場だが、誰も言う人がいなくなれば中部のように堕落する。独善に陥る。適切な抗議が良い審判を育てる。(全国の審判の方々、勝手を言ってすみません)
3.自分の選手の為のアピール。中部での私の体験のように、選手が不当な目に遭って孤独感に苛まれている時は、一緒に怒っているんだ、というアピールをして、連帯感を持たせる。選手は「やはりこの人達は味方なんだ」とスタッフを信頼し、「また頑張ろう」と次へ繋がることにもなる。
ただし抗議のやり方を一歩間違えると、効果が半減してしまったり、逆に行き過ぎて世間から圧力・ごり押しと取られたり、JBC役員・審判を不快な気持ちにさせたりしてしまうだろう。そうならないためにも、抗議の際にいくつか留意しなければならない点がある。ここで私が考える「抗議の正しいあり方9ヶ条」というものを披露したい。
| 1 |
抗議する時は、頭は冷静に。 |
| 2 |
脅迫めいた言葉は一切口にしない。 |
| 3 |
下らない個人攻撃はしない。理論で訴える。 |
| 4 |
出来れば抗議は、文章と口頭の二通りで。 |
| 5 |
過激なアクションで抗議をした時ほど、あとで笑顔でフォローする。つまり人間関係はしっかり修復しておく。 |
| 6 |
対立をいつまでも持ち越さない。なるべく短期決着で。しつこい抗議は評価を下げる。 |
| 7 |
かといって、抗議しっ放しはよくない。しっかり回答を求めること。そうしないと抗議は受け流される危険性がある。 |
| 8 |
選手には早目に頭を切り替えてもらう。「ここから(抗議)はマネージャーの仕事。お前は過去を忘れて練習に専念しろ」と言う。 |
| 9 |
JBCの役員・審判に対して常日頃から尊敬の念を持つこと。抗議とは洗練された社会交流の一形態。憎しみから罵声などを浴びせてはいけない。 |
まあ、実は私も守れていないことばかりである。こうありたい、という願望も含めて羅列してみた。
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もちろん、中部でのその事件でも私は抗議文を提出した。相当、激しい文体で、採点表を見せなかったことについては「何か隠したいやましいことでもあるのか」と問い詰めた。そして「今のままでは中部地区に選手を送れない」と書き添え中部の事務局長あてに送った。抗議文自体は、厳しいながらも理路整然とした内容で、我ながら満足のいくものだった。
しかし、当時の私はまだ若く詰めが甘かった。中部事務局長との電話のやり取りで、激しい応酬の中「ではどうしろと言うのか。審判に辞めろとでも言うのか!」と一喝されてしまい、私はその剣幕に一瞬ひるんだ。「そんなことは言っていませんけど…」と口篭もってしまった私。その瞬間、勝負はついたも同然だった。さすがは海千山千の事務局長である。私の完敗だった。もう、これ以上蒸し返せる空気はなかった。まだ延々と抗議を続けては、今度はこちらが単なる嫌がらせをしているようになってしまう。9ヶ条にも書いたが「しつこい抗議」は私の流儀ではない。私はそれで引き下がることにした。
今の私であれば、こう切り返していただろう。「ええ、何か不正があるならば、審判・役員みんな辞めて頂きたいですね。」
私自身は現在、中部の審判たちとは交流がなく、もう怒りも残っていない。次回お会いする時は笑顔でお話できると思う。
しかし、昨今の出鱈目な採点を見ていると、やはり誰かが抗議して、中部審判のサスペンドくらいは求めていくべきなのではないか、と考えてしまう。誰も「辞めろ」と言わないから、緊張感がなくなってしまうのだ。実際に審判を馘にして欲しいわけではない。ただ誰かがそれを言う環境を作らないと、どんどん審判が劣化しますよ。そう、抗議は審判を育てるのだ。
誰か言ってくれませんか?
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