彼らの肖像 Vol 6

Text By 船橋真二郎
Photo By 山口 裕朗

横尾真樹(よこお まさき)



「打ち方がようやくわかったんですよね。この歳になって。ようやくですよ。年を重ねて人間的に成長していく自分と、なかなかつかむことができない感覚と。現役のときも含めて、ずっと長い間そういう状態だったんですけどね。今振り返ってみると、現役の頃はぼくはほんとに子どもだったんですよ。いろんな意味で余裕がなかったですからね。でも今は、ぜんぜん自分をコントロールできる自信はあるし。今まで何度右ストレートを打っても、どうしてもしっくりこなかったのが、今はしっくりくるし。今ようやく気持ちと感覚がいっしょになったというか。とにかく打ってて気持ちいいんですよね」
 横尾真樹はこの12月で31歳になった。最後の試合は1992年の10月。今から10年と少し前のことになる。5年前には世田谷の経堂でバーを始めた。ボクシングには、きっぱりと見切りをつけるつもりだった。しかしこの約10年間、自分の中で追求し続けていたことは、結局のところボクシングだった。
「今はこの右ストレートを試してみたいですね。人を相手にして。ようやくつかんだこの感覚が、実際にはどの程度のものなのか。試合じゃなくてもいいんですよ。とりあえずはスパーリングで。これを自分で確かめてみないことには、一生ボクシングにケリをつけられないかもしれないですね」

引き分けの勝者はいつまでもリングから降りようとはしなかった。
後の日本バンタム級チャンピオン松島二郎とのB級ボクサー賞金トーナメント決勝戦は、互いの持ち味を殺し合うクロスファイトになった。176センチとジュニア・バンタム級(現スーパー・フライ級)では群を抜く長身の横尾に、サウスポーの松島。持ち味を殺し合うといっても決して凡戦だったというわけではない。互いが互いの技術を駆使して目まぐるしく攻守が入れ替わる、激しい主導権争いが試合開始から終了まで続く、そんな好試合だった。判定は引き分け。規定によりトーナメントの優勝者となったのは横尾だった。
「あの試合で松島選手を倒せなくて、『オレはこんなもんなのかな』っていうのを感じてたんでしょうね。あの時点では自分と同レベルの松島選手だったから引き分けに終わったけど、日本ランキングに入って、これからどんどん上でやることを考えたときに、『オレはもうこれ以上伸びないんじゃないかな』『自分の限界はこれなのかな』って、思っちゃったんですよね」
 試合後のリング上で納得がいかないという風に横尾は何度も首を横に振った。セコンドが促すのも聞かず、いつまでもリングから降りようとはしなかった。
(こんなふがいない試合をしたオレがなんで勝ちなんだ……)
これが最後の試合になった。この引き分けを含め、戦績は8戦6勝(6KO)1敗1分だった。

完璧主義といっていい。確かに松島を倒せなかった、勝ち切れなかった。しかし、逆にいえば負けなかったともいえるはずなのだ。上に登りつめるためには、実力のみでは十分でなく、ときに運さえ味方につけなけらばならない世界で、日本ランキング入りを果たし、上への足がかりをつかんだのは横尾の方だった。
人は常に完璧ではありえない。それを常に求めることはある種のもろさと背中合わせにあることを意味する。だが横尾は自らに完璧さを理想の形を常に求めた。それが、プロボクサー横尾真樹の美学であり、ひとつの限界であったのかもしれない。
「点数でいえば75点くらい。なんというか自分の中で中途半端で満足できなかったんですよね。ずっと」
 横尾は自らの現役時代をこう表現する。いつまでたっても75点という自分に我慢ならない。結局これが、ボクシングを離れる原因へとつながっていく。
「打ち方がわかった今だからこそ言えることなのかもしれないですけど、あの頃は打ち方がわかってなかったんですよね。まあアゴに当たれば倒れてたんですけど相手は。でも、なんかこうしっくりこなかったんですよ。右ストレート打ってても、左フック打ってても。ただ左のジャブだけは自分の中で感覚をつかめてたんで、よかったとは思うんですけど。他のパンチはしっくりこなかった。でも、自分でなんでしっくりこないのかがわからないから、どこをどうすればいいのかもわからない。だんだん『ボクシング面白くねえな』っていう風になっていきますよね。そうなると『土曜日はクラブに行くか』『またナンパに行くか』みたいな(笑)。そういう友だちと遊ぶのが楽しくなっていって」
 デビュー戦から2試合連続KO勝ち。3戦目の東日本フライ級新人王予選こそ、その年の全日本新人王になる伊藤康秋(天翔康晶)にKO負けを喫するも、その後は松島戦まで4試合連続KO勝ち。それでも、横尾は満足できなかった。結果は残しながらも自分の中では何かしっくりこない。壁に当たっていた横尾に、さらに追い打ちをかけるような出来事が重なる。
 松島戦後、日本ランカーとして迎える初の8回戦が決まっていた。その試合に向けて練習を再開していた横尾だったが思わぬアクシデントに見まわれた。夜寝ていると全身を強烈なかゆさが襲いよく眠れない。汗をかくと全身から湧き出てくるかゆみのために練習に集中できない。アトピー性皮膚炎だった。試合が近づけば近づくほど症状は悪化した。睡眠不足と練習不足によりコンディションはボロボロ。とても試合ができる状態ではなかった。だが所属していた金子ジムの対応は、試合のキャンセルを訴えた横尾に冷たかった。
「もう試合のチケットもポスターも刷ってるし、お前の名前だって入ってる。わがままを言うな」
これがほとんど決定打になった。ケンカ別れのような形で横尾はジムを離れた。だが横尾は言う。
「ジムの『やれ』っていうのも確かに強引だったんですけど、ぼくの『やだ』っていうのも強引だったんですよね、今にして思えば。まあみんなに『なんでボクシングやめたの』って聞かれたら、自分をかばうためにアトピーのせいにしたり、ジムのせいにしたりしてたんですけど。それはしょせん表向きの理由で。いちばんでかかったのは自分の気持ちの問題だったんですよね。負けるのはぼくはすごい嫌ですからね。ほんと負けるのは人一倍嫌なタイプなんだろうな。だから、ちょっとでも負けると思ったことは絶対やらねえっていう(笑)。常に100%の状態でリングに上がりたかったんでしょうね。でもずっと自分の中で伸び悩んでたから、どれだけ練習をしてもどうしてもしっくりこない。練習するのも嫌になってくる。やりたくなくなっちゃってたんでしょうね。ボクシングを」

横尾がボクシングを始めたのは中学2年のときだった。理由ははっきり覚えていない。元プロボクサーだった父親の影響だったのかもしれないが、ごく自然にボクシングを始めていたという。その後、自宅から近かったから、という理由で入門した金子ジムで練習をしながら、高校生のときにアマチュアで数戦を経験し、高校を卒業した18歳のときにプロデビューした。
若さゆえの強さか。デビュー当時の横尾は「オレが負けるわけがない」と、自信に満ち溢れていた。自分は世界チャンピオンになるものと当然のように信じていた。
「デビュー戦のときかな。試合当日、マネージャーの運転する車で後楽園ホールに行ったんですけど、道がすごい渋滞してたんです。でも、ぼくはぜんぜんイライラしてなくて、車の中で『相手も車で来てんのかな。かわいそうだな。こんなに渋滞してる中を。わざわざオレに負けるために』って本気で思ってましたからね(笑)。怖い18歳でしたよね。でもその自信も練習の裏付けがあったからなんですよね。本当に毎日ちゃんと練習してたのも、やっぱりその頃くらいまででしたから」
 若さゆえの慢心か。デビュー戦から2戦目までを境に、練習しなくても勝てると、特に朝はほとんど走らないようになってしまったという横尾は試合のとき、走ってないからスタミナに自信がない、判定までは持たないだろう、だから早く倒そう、という悪循環に陥りフォームを崩していった。
「本来はそんなスタイルじゃないのに『前に前に』っていう感じになって……。それも自分の打ち方をわからなくしてしまったひとつの原因かもしれないですね」
若さが持ち合わせている強さとはガラスのようなものなのかもしれない。ひとつ間違えれば簡単に壊れてしまう、そんな危うさを内包しているような……。もし横尾に、若さの危うさを経験で支えてくれるような存在がいたとすれば。知らず知らずに誤ってしまった方向をそっと修正してくれるような存在がいたとすれば。横尾に不運といえるものがあったとすれば、少なくともプロデビューしてからの彼に、信頼できるトレーナーがいなかったということだろう。

ボクサーとトレーナーの関係を端的に示すセピア色のエピソードがある。ノンタイトル戦で当時の世界フライ級チャンピオンだったオラシオ・アカバロをTKOで下しながら、タイトルを賭けたリターンマッチの直前に網膜剥離が判明し、引退を余儀なくされた悲運のボクサー田辺清と、エディ・タウンゼントが初めて顔を会わせたときの風景。
 田辺はその日、鏡の前でシャドーボクシングをしていた。エディがその田辺の背中をポンと叩く。
「ゴミついてるよ」
田辺は背中を鏡に映してみるがそれらしきゴミは見当たらない。
「エディさん、どこ?」
田辺が聞いてもエディはニコニコしているだけで答えない。はっと田辺は気づく。
『背中についたゴミ(欠点)は人に言われないと気づかない』
エディはそう言いたかったのだろう、と。

ただ横尾にもひとりだけ、田辺にとってのエディのような存在になり得た人物がいた。今でもはっきり覚えているというのはまだ中学生の頃の話だ。鏡の前でシャドーボクシングをしていた横尾は「足の位置が悪い」と声をかけられる。両足が前向きに揃っていたのを、左足の向きは内側に直せ、そうしないとストッパーがきかないから(壁が作れないから)、と技術的なことをアドバイスされ、そして最後に言われる。

「お前、これ直らないぞ、今直さないと」
当時の横尾には、その「今直さないと」という意味が、まったくわからなかったという。その意味がわかったのは、プロになってからだった。
「余裕がないんですよ。プロになっちゃうと。朝走って、昼間は仕事して、夜は練習っていう生活になると、ボクシングを考える時間がなかなかないんですよね。ちょっと離れて『今オレには何が必要なんだ』とか、『どんな打ち方がいいんだ』とか、そういうことを考える余裕がぜんぜんないんですよね。あのとき言われたのはこういうことだったのかな、って初めて気づきましたよね」
 まだボクシングを覚えたてという時期、それも中学、高校生という、生活に比較的余裕があるうちに、細かいところまで意識し考えてボクシングをする習慣を身につけろ、そうやって今しっかりとした基盤を作っておけ、そうしないと後になって苦労するぞ、そういうことであったのかもしれない。
 声をかけたのは金子ジムの先輩で、元日本ジュニア・フライ級(現ライト・フライ級)チャンピオンの早山進(本名 田中正人)だった。田中は現在、横尾と同じ小田急線沿線の下北沢で、やはり同じくバーを経営している。現役時代はキャリアの終盤に大橋秀行、レパード玉熊など強豪ばかりを相手に7連敗を経験した。その後一時リングを離れ、金子ジムでトレーナーをしていたが、1年後にカンバック。2試合連続KO勝ちの後、当時世界再挑戦を狙っていた喜友名朝博を3ラウンドTKOで下して日本王座を獲得している。
 横尾が金子ジムに入門した時期は、ちょうど田中の7連敗が始まった頃だった。
「ジムの他のプロの人たちは、田中さんのことを強い強いと言ってたんですけど、ぼくは、日本ランカーだし、確かにすごい人なんだろうけど、試合で負けてばかりいたから、『そんなにすごくないんじゃないの』って最初は思ってましたね」
その印象が変わったのは中学3年か高校1年くらいに行ったというスパーリングだった。
「向かい合ったとき、田中さんがすごい遠くに感じたんですよ。それまでもジムのプロの選手とか他の日本ランカーとスパーリングをしたことはあったんです。でも、そこそこぼくのパンチは当たるし、自分がプロになったときには、『この人は超えられるな』っていう感じだったんですよね。けど田中さんにはパンチがぜんぜん当たる気がしないし、実際に当たらないし。こっちは一生懸命なのに、向こうは余裕があって、ぼくの動きはすべて見透かされている、そんな雰囲気なんですよね。『この人は超えられるかどうかわからないな』って、そのすごさを肌で感じましたね」
 横尾が唯一自信を持って感覚をつかめていたという左のジャブも、実はトレーナー時代の田中にアドバイスを受けたものだった。
「田中さんがミットを持ってくれたんですけど、『距離が近いな』って言うんですよ。で、少し下がると『もっと離れていい、もっと離れていい』。結局、これじゃ届かないんじゃないかって思うくらいの距離まで下がって。そこで『打ってみろ』っていうから半信半疑で打ったんですよね。左ジャブを。そしたらこれがしっくり来たんですよ。あの人はぼくにうまく感じさせながら教えてくれる人でしたよね」
だが田中はカンバック後、韓国で挑戦した東洋太平洋タイトルマッチに敗れ、横尾がプロテストを受ける頃にジムを去ってしまう。
「身近にいる大人で、ぼくがすごいと思ったのは田中さんくらいでしたね。ボクシングだけじゃなくて、いろんな意味で。すごいっていうより『この人好き』っていう(笑)」
 その田中も横尾とのスパーリングをよく覚えている。
「あいつはタイミングがいいんだよね。すごくいいもの持ってたよ」
横尾が田中をすごいと認めたスパーリングで、実は田中も横尾を認めていたのだ。
 ふたりの話は不思議なほどに共鳴し合う。ひとつだけ断っておくと、これはそれぞれ別々に聞いたときのコメントである。
「田中さんはオレの理想のボクシングをわかってくれてる人だと思うんです」
横尾が言えば、田中もこう言う。
「あいつはオレの言うことがわかる。感覚が伝わるんだよね」
横尾が言う。
「もしカンバックするなら見てもらう人は田中さんしかいない」
田中も言う。
「横尾がまたやるって言うんならオレが見る」
そして田中は最後にこう言った。
「横尾に伝えておいてくれ。週1回オレとマスボクシングをやろう。それだけでぜんぜん違うから」
 田中がジムを去ってから、ふたりにはほとんど会う機会がなかった。だが今から約2年前、横尾は田中の店を訪ね、いろいろな話をした。年齢が10歳離れている田中とゆっくり話したのは、初めてといっていいくらいだった。そのとき横尾は再確認した。
「田中さんは昔と変わらず、オレの10年先を行っている。この人には、まだ追いついていない」
そのことが妙に嬉しかったという。

横尾を知る金子ジムのOBのほとんどが異口同音に言う。
「横尾はいいボクサーだった」
「あいつは強かったぞ」
「いいもの持ってたんだよ。横尾は」
ある者は
「横尾を世界チャンピオンにできなかったのが金子ジムの失敗だった」
と真剣に語った。だが横尾は言う。
「そういう風に言ってもらえるのはすごい嬉しいんですけど。ぼくはしょせんこの程度のボクサーだったということですよ。最近すごい思うんですけど、ボクサーが最後に必要なのは、古い言葉かもしれないけど、根性というか性根っていうやつなんですよ。ぼくが言うのもなんなんですけど、日本チャンピオンとか世界チャンピオンになった選手を見てて、正直なんでこんなレベルの低い選手がって思うこともあるんです。でもあの人たちには、最後まであきらめない、そういうハートみたいなのが必ずあると思うんですよね。ぼくにいちばん足りなかったのは、そういう部分だったんでしょうね」
 プロで4戦目か5戦目を戦っていた頃に、こんなことがあったという。朝のロードワークのとき、だんだんと苦しくなってくる。それでも自分に言い聞かせて走り続ける。
「苦しくなってきたここから頑張るんだ」
さらにピッチを上げる。また苦しくなってくる。走り続けながら自問自答が始まる。
「なんでオレはこんなに頑張ってるんだ?」
「世界チャンピオンになるためだ」
「なんで世界チャンピオンになるんだ?」
「……」
今まで、世界チャンピオンになるのが当たり前、と思い続けてきた若者が、あるとき、自分はなんで世界チャンピオンになりたいのか、と問いかけるようになってしまっていた。自らに完璧さを理想の形を求め続けながら、なかなかつかむことのできない徒労感がそうさせたのか。そんな自分を支えてくれる存在の不在が、道を誤らせてしまったのか。あるいは逆に目的を見失ってしまったために、すべてがうまくいかなくなってしまったのか。そのすべてが原因であり、原因のすべてではないように思える。一流になり得たかもしれないボクサーが結局は一流になれなかった。そのような話はそれこそ無数にある。一流になり得たはずの人間が、なぜ一流になり得なかったのか。その原因を言葉にすることはほとんど不可能に近い。ただひとつ確実に言えることがあるとすれば、彼はついに一流になることができなかった、という当たり前の事実だけでしかないのかもしれない。

 今、横尾はようやく求め続けてきた理想のパンチを手に入れることができた。田中という信頼できる存在もいる。自分の中で目的を見つけることもできた。まずはスパーリングを。そして……。
「何を今さら」
と思う人はいるだろう。
「何のために」
と笑う人もいるだろう。
 それでも横尾はこの半年の間、午後7時頃に経堂のバーに来て開店の準備、午後8時から午前4時まで店を開け、閉店後、後片付けを済ませると、自宅まで約1時間をかけて走って帰る。そのような日々をほぼ毎日のように繰り返している。みるみる体は絞られていき、62キロあった体重が一時は56キロにまで減った。
「現役時代でもこんなに毎日走ったことはないかもしれないですね。今はパンチを打ってて気持ちいいし、体も軽いし、昔は走るの嫌でしたけど、今はむしろ走りたいっていう感じですね」
横尾は笑った。
 ケンカ別れのような形でジムを離れてから約10年。紆余曲折を経て、横尾は今にたどりついた。ボクシングを忘れて遊びまわった時期もあった。カンバックしようとジムに戻り、約1年練習を続け、試合も決まりかけたが腰椎分離症を発症し、カンバックを断念したということもあった。ただそのときも、まだ75点の自分がいた。
25歳のときにバーを始めた。店に取りつけたモニターには、ボクシングの映像を流した。しばらくすると、走ったり、走らなかったりを繰り返している自分がいた。バーの傍らずっと続けていた警備会社のバイトをやめ、一時期、またジムで練習をしたこともあった。
そして今から約1年前、求め続けていた感覚と出会ったのだ。
「そのときはただ、太ってきたから走ろうかな、っていう感じだったんですけどね(笑)。自宅の近くまで来たときだったかな。シャドーをしてたんですよ。『オレはジャブはいいんだけどな』とか思いながら(笑)。そのとき、何気なく左のジャブを出すような感じで、右ストレートを打ってみたんです。そしたら『おっ』っていう感じで。しっくりきた、というか、すごい気持ちよかったんですよね」
店で適当に流していたボクシングの映像も、いつしか自分で選ぶようになった。基準は「見ていて気持ちのいい打ち方をしているボクサー」。シュガー・レイ・レナード、ルペ・ピントール……。最後にリカルド・ロペスにたどりついた。それからはロペスの試合ばかり、何度も何度も繰り返し見るようになった。そしてロペスの打ち方から受けた感覚と、自分でつかんだ感覚を合わせた。
「拳にいちばん力が伝わる、タイミングとか、距離、角度、それに全身のバネの使い方とか、言葉で説明するのは難しいんですけど、そういう感覚を自分の中でようやくつかめたんです」

 人は何かひとつのことを通して自分を確かめる。自分という存在を証明し、やがて自分の限界を知る。自分の限界を確かめることができたとき、それは、彼にとっての成功だった、といえるのかもしれない。そしてその一生のうちで、自分を確かめる"ものさし"のような何かを、見つけることができる人はそう多くはいないのだ。
 横尾真樹にとって、それはボクシングだった、ということなのだろう。自分の限界に到達できるかもしれない残りの25点を、彼はついに手に入れることができた。神のみぞ知るではない、他人に決められるでもない。それを確かめることができるのは横尾本人でしかない。確かめるのか、確かめないのか、それを決めるのも横尾本人でしかない。たとえ今、75点の自分がいるとは限らないとしても。
 自分の限界を確かめボクシングにケリをつけるのであれ、奇跡的なカンバックを遂げるのであれ、いずれにしても、これだけは間違いない。いつの日か彼がスパーリングでその右ストレートを放ったとき、長かったボクサー横尾真樹の第1章に、ようやく終わりを告げることができるのだ。
(文中敬称略)





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